第045号室 ナイトクルーズ 分裂触

 ゾンビと化した乗客や高波に跳ね上げられて飛来するサメから逃れる為、我を忘れた乗客達は押し合いへし合い救命艇へ乗り込もうとする。何とか平静を保ち誘導を試みる船員の声は、闇夜の嵐に掻き消されると、雷雨の隙間を縫って飛翔する影を呼び寄せ、誰にも気づかれ無いまま連れ去られていった。


 甲板の惨状を上階から半目で見下ろしていた小夜が、下顎を手の甲で押し上げ無理やり視線を逸らし鼻を鳴らす。


「フフン………あんな小舟でいったい何処へ逃げようというのかしら?」

「同感だな、化け物共の胃袋に飛び込むようなもんだろ?立ち回れる分デカいこっちの方マシだ」


 甲板に胡坐をかいたマフィアのダヴィが、一晩もてば良いだろうといった具合に、転がっていた入りの靴から靴紐を拝借し、白鞘の日本刀の柄に巻き付け、これぞ急拵えと立ち上がり満足気に刀を履く。


 巨大な目の無いウナギのような触手が壁面の這いずり甲板へ乗り上げると、すかさず小夜の鞭が三度振るわれ、頭蓋を砕かれた触手は目的を失った反射的な動きでのたうち回り、一面を粘液まみれにすると足場の摩擦力を削減し、二人を船内へ押しやった。


「さっきからウナギの化け物がやけに多いな」

「この調子で暴れられたら、船一面ローションまみれになってコンセプトルームになるわね」


「「………………」」


 小夜の妙な例えに後ろを歩くダヴィが眉をひそめて相槌を飲み込み沈黙が訪れ、さらに肉食恐竜の頭を切り取り換わりに魚の頭を取り付けたような異形が、通路の遠く前方突き当りから出現、首を前後させダチョウ走りで猛進し、小夜が打ち込みクラップから持ち手を離し宙を舞った鞭に脚を絡め捕られ転倒、ダディの突きを額に受けて息絶える。


「キリがねぇ………何処か落ち着いた所は無いのか?」

「………この中で一番、セキュリティーのしっかりした場所ってどこなの?」


「そりゃ………船橋ブリッジだろうよ?」

「なら、そこへ行きましょう?」


 犠牲者の数が残りの生存者を上回り閑散とし始めた船内をすんなりと進み、最後に少しだけ間違えて操舵室の一つ上、操舵室の見学室に入室する。一階下だったわねと互いに肩を竦めたが、慌ただしくもきっちりと統率の取られた船員達の働きぶりを目の当たりにして、邪魔をしては悪いと操舵室に向かわずこの場に留まることにした。


 操舵室の船長を始めとするクルーは、類を見ない完全不測の事態にも冷静さを失わず迅速に状況を把握し、巨大な困難を切り崩して小さな問題に細分すると着実に解決へ導き、船と乗客の生存確率を引き上げていく。


「え〜すごいすごい!かっこいい〜〜〜!!………何やってんのか全然わかんないけど」


 皺一つ無く綺麗にアイロン掛けされた制服をピシャリと着こなし、習熟された手際で業務を遂行するクルーに見惚れて小夜が乙女になる。


 見られている事に気付いた船長らしき白髪混じりのブロンドヘアの男性が振り返り、見学室の少女を安心させようと優しい微笑みを浮かべウィンクを重ねる。やや芝居掛かった敬礼をして視線を前方へ戻すと、再びその背中に緊張が走り、船長としての威厳と責任が背負われた。


「いや、本当にすごいな、このまま何とか、なりそうじゃ無いか」

「そうね、下の人達には悪いけど、ここでのんびりさせて貰いましょう?」


 優秀な乗組員達の働きで座礁していた客船が再度動き出し、傾いていた船体が水平に戻る。大きな問題が一つ片付いたと小さくガッツポーズを取る者や、大きな溜息をつく者、興奮御し切れず覆い被さるように抱き着き相手の首を噛み砕く者、大量の吐血と共に激しく胎動する人喰い蛭を撒き散らす者、プッツリと意識を失い仰向けに倒れ込み、スパイダーウォークで強化ガラスを突き破り、嵐の夜の海原へ消えていく者、発狂した者を宥める正気を保った者の数は少なく、船長の拳銃を用いた制圧も効果が無かった。


「あぁ〜〜………男ってば、やっぱりダメね〜………」


 頭のてっぺんから空気が抜けるように冷め切った小夜が、生存者がいるうちに助けに行きましょうと、ダヴィと目線一つで目的を共有しあった時には既に遅く。


 通路側のドアを破壊して雪崩れ込んで来た、瞳のないウナギや鉤爪のある八目鰻の姿に似た分裂触クラスターの大群によって、この巨大豪華客船を操舵し得る人材は残らず触手の波で、団地ダムの底へと洗い流されてしまった。

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