第046号室 ナイトクルーズ ローションプレイ

 細かな個体差はあれど巨大なウナギやヘビに似た分裂触クラスターの大群は、互いに絡まり合い高い保水性を持った粘液を練り上げると、酷く生臭い悪臭を放つ陸を滑る腐海となって巨大豪華客船の内部を駆け巡り、絡め捕られた獲物は粘液の中で動きを封じられ、溺れ死ぬよりも早く分裂触のそれぞれに違った形を持つ牙や口顎に、一口づつ噛み千切られ壮絶な痛みの中で命果てていく。


 操舵室に流れ込む分裂触の大群は留まるところを知らず、上階に当たる見学室の大窓に迫るほどとなり、物量に耐えかねた壁や柱が悲鳴を上げる。


「危なかったわね、ここじゃ無くて、下に居たら私達も巻き込まれていたわよ?」

「なんだ?やけに冷めてるな、こりゃ死んだぞ?何とも思わないのか!?」


 現実離れした状況や人の死に直面しながらも、その年端に似合わぬ胆力と他人に対する意識の欠落、冷徹に切り捨てる人間性の乏しさを見せる小夜に、ダヴィはマフィアに洗脳されて鉄砲玉にされた少年達を重ねて憤っていた。


 怒気を含んだダヴィの言葉に小夜が顔を上げ充血した瞳で睨め上げる。不気味に吊り上がった口角の隙間から食い縛った歯を開き、心の内をぶちまけようとした瞬間、それを遮るように重苦しく短い破裂音が足元から二人の身体を突き上げ、操舵室へと視線を捥ぎ取る。


 流れ込み続けた分裂触の大群はついに操舵室の窓を抜き、触手とローションの滝となって階下に降り注ぐと、船首を流れて団地ダムに帰って行った。脅威が一つ、相手の方から過ぎ去った事だけ見れば二人にとっては僥倖ぎょうこうだったが、操舵室を埋め尽くすほどの物量と高い粘度を持った流体が、一斉に流れ出した際のエネルギーは凄まじく、分裂触の粘液は張り付いた吸盤のように壁を剥ぎ取り支柱を抜いて、天井を、見学室の床を抜き、鋭い傾斜をつけて二人を階下へ滑り落としてしまった。


 何かを掴む間もなく落下した二人は、窓が破壊され船外に続く分裂触の残した粘液に塗れた床を滑走し、まず、滑りながらも一手打てる程度に態勢を整えたダヴィが、容赦なく小夜を蹴り付け操舵席に押し込み止める。


「あああああああああっっっ!!!」

「あぶねぇええ!!!」


 怒号にも似た悲鳴と共に小夜がノールックで鞭を振るい、襲い来る鞭を股間が弾けるすんでの所でダヴィは刀の鞘で絡め捕ったが、小夜のか弱い細腕で大人一人を支えられる筈もなく、席から引っ張り出され再び二人で滑り出す。


「馬鹿め!儂一人ならどうとでも出来たんだ!!」


 突発的な小夜の行動に悪態を付きつつ、上体を起こし鞘から刀を半分抜いて腹で抱え、ガラスが抜け落ち辛うじて残った窓枠の間に、支えるようにして船外への落下を堪える。ついでに滑って来た小夜を背中で受け止め、体勢が前のめりになり操舵室から船外を見下ろす一望に肝を冷やす。


「馬鹿やろ〜〜!!早く退け〜〜………!!!」

「うるさい………!」


 分裂触の粘液でテカテカのヌメヌメにコーティングされた操舵室を、生まれたての小鹿のようにプルプルにビクビクしながら這いずる二人。


「おい!外に向かって滑るんじゃないぞ!?」

「わかってるわよ!」


 わかってるけどガラスの抜けた窓に向かって滑って行く小夜が、悲鳴を飲み込み鞭を縄跳びのように回転させて床を打ち、スピンしながらも上手く方向を変えて進む。


 操舵室の中程まで進んだ辺りで小夜が首を傾げ、ダヴィの言葉を遮った。


「お前、さっき鞭を投げたのは、儂を助けようとしたつも「ちょっと待って、何か聴こえる………」………なに?」


『………!………い…?………………か!?』


 二人は立ち止まり、暴風と豪雨と雷鳴、そして異形の咆哮との間に隠れて、微かに聴こえる人の呼び声らしき音に気付いた。


「誰か生き残ってる………!?」

「まさか…………………?いや………こりゃ、無線だな」


 小夜の希望は掻き消され舌打ちに変わる。音のする方へ、通信席に近付くにつれ、相手の声が聞き取れるようになり、その正体に気付いた小夜が怪訝な表情を浮かべる。


『誰か、誰か応答してください。誰か居ませんか?何かあったのですか?』

「はぁ………?………………教授??」


『っ〜〜〜……………っっっ!!!???』


 教授は聞き覚えのある生意気な声に絶句した。

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