第043号室 ナイトクルーズ フォーマルナイト

 救命胴衣を身に着け慌てふためき、船内放送を無視して救命艇へ群がる乗客達の間を踊るようなステップでひらり…と躱し、ずぶ濡れのままランドセルを背負った少女、小夜さやには傾いた豪華客船の中でも楽しむだけの余裕があった。


「『今夜のドレスコードはフォーマル』………フフン?」


 床に落ちていた船内新聞クルーズコンパスを拾い今夜の予定を把握する。先ずは着替えと濡れて肌に張り付いた洋服を摘まみプロムナードをウインドウショッピング、素人目にも違いの分かる肌触りの良い生地で仕立てられたブラックレースのフォーマルワンピースをチョイス、濡れたように光を反射する深紅のリップジェルを小指ですくい唇に這わし鏡を見て即、ガラじゃないわねと手の甲で拭い取った。


「ディナーも期待できそうね♪」


 次は腹ごしらえ、食欲を誘ういい香りを辿りメインダイニングへ向かう途中、前にどこかで見たような気のする一抱えはありそうなヤツメウナギと触手の混ざり合った姿の異形の死骸を跨ぐ。その死骸の傍で船内救護用の斧を握り締め、放心状態で立ち尽くす船員にやるじゃないとグッジョブを送る。


 舌を噛みそうになる気取った名前のメニューを流し見、床に散乱した食器と料理を踏み越え厨房へ侵入、ジャイロで水平を保たれた大鍋からスープを頂く。丁度焼き上がりの骨付き仔羊肉ラムチョップの香草ローストはパン粉が表面にまぶしてあり、湯気から香る爽やかなローズマリーに思わず深呼吸、カリカリの食感とほどける肉の柔らかさが相性よく舌を幸せにする。


「あっちょっと、飛ぶっ………」


 しかし、フルコースを楽しむほどの暇は無いらしく、ズタボロに引き裂かれたドレスを乳房露わに翻し、両腕に歯型の防御創と噛み千切られた指の痛々しいご婦人が調理台に全速力で走り込み減速無く激突、配膳前の肉料理へ被さると手掴みで貪り始める。後から入って来た掌の噛み傷を押さえ、具合の悪そうな紳士が困惑しきった表情で婦人をなだめようと肩に手をやり、婦人の振り向き様に小指をご賞味される。


 まあ、これだけナマの人間が集まれば走るゾンビだって出て来るわよねと、小夜は哀れな夫婦の食欲が自分に向かう前にラム肉をパンで挟みテイクアウトした。


 人外の住民たちの乗船が始まり、混乱の度合いを増していく船上の狂瀾をメリーゴーラウンドに乗って眺める。ヤツメの触手に巻き付かれても、おやまぁ、で済ます肝の太い老婆を助けてアイスクリームを奢って頂く。エレベーターが開けば我先に飛び出す乗客に混じり、プレックスエリアから遊技用小型車両バンパーカーを持ち出した小夜がダッシュ&スピン、異形もきれて道を開ける。


 スピンの、し過ぎで眼を廻し、ふらつく足でロボットアームがバーテンダーを務めるバイオニックバーへ入店、この世の終わりと酒を煽る船員に一応、たしなめられたが日本人は若く見えるのよ押し通し、備え付けのタブレットからチェリーの載ったオススメを注文、お支払いは落ちていた財布から済ませた。


 速さと正確さが売りのロボットバーテンダーかと思いきや要所、要所で人には到底真似できないぎこちなさを発揮し、小夜をヤキモキさせ船体の傾きを計算に入れない提供でプラスチックのカップを倒した。


「だぁ~~めねぇ………」


 突っ伏し笑いを堪えて、転がったチェリーを長い舌で絡め捕り茎ごと口に含んで転がす。新たなオーダーを受けたらしいロボットアームが逆さまに吊られたボトルから正確無比の計量を始め、激しすぎる緩急の差でシェーカーの蓋を慎重に締め小夜の笑いのツボを突く。


 出来上がりと同時に倒れるカップを小夜の真横から伸ばされた手が受け止め、浅黒い褐色の肌に鼈甲べっこうの角眼鏡、福耳にダイヤモンドのピアスを光らせ、たっぷりと髭を蓄えた一目で堅気ではないと分かるホワイトスーツの中年男性が、持っていた白鞘で鬱陶し気に小夜を押し退けた。


 キレそうになった小夜、ランドセルの横に丸めて吊るした鞭を手に取り相手へ向き直る。直ぐに、男が派手なショルダーホルスターに、金と銀で唐草模様の打刻が刻まれた拳銃を挿しているのを見て、相手にしてはいけないと怒りを飲み込み背を向け、その場を後にしたが悪態が思わず口を衝いてしまう。


「………バカンスに銃持ち込むとか、ヤクザかよ………」

「………………なんだあ、このガキ………」


 小言の聴こえてしまった男がカクテルを一口、喉を潤しカップから口を離すと一言、正しい感想を述べた。


 足の止まる小夜、その生意気な背中に不味くなったカクテルを一気に煽り、男が空になったカップを小夜の足元へ投げ捨てる。


 ちょっと、キレた小夜が振り向き様に唾を吐き捨て、男の堅苦しいフォーマルシューズに、チェリーの茎で編まれたリボンが可愛らしくあしらわれてしまった。

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