第041号室 嵐の夜に………

 厚い雲の向こう側から微かに透ける日差しがすっかり暮れて、夜の帳が下りると共に訪れた嵐は、暴風で持って団地の合間を通り抜け、取り付けの甘い窓枠をガタガタと絶えず震わす。巨大な雨粒の豪雨は空中で融合と分裂を繰り返し、無秩序に壁を打ってバラバラと絶えず降り頻る。強烈な光を放つ落雷は、空を引き裂き、ガラガラと絶えず鳴り響いて、決して止むことがなかった。


 嵐が通り過ぎるのを待っている小夜は、時々入り込んでくる河童の皿にオムツを被せ脱水、一息で血を吸い尽くす大蛭に石灰を掛けて蒸し殺し、銀イオンフィルター搭載除湿器でお手軽に除霊を済ませて暇を作ると、港で拾った謎の靭帯を団地のインターネットで調べた知識で、洗濯機を使い数日掛けて薬品でなめし、丁寧に編み込み繊維を均質化、革製品の手入れに使う馬油で拭き上げ、赤銅色に鈍く輝く8m近い1本鞭に仕立て上げた。


「フフン、こんなものかしら?」


 鞭の出来栄え自惚れながら、試しにマンションの通路へ繰り出し空き缶を並べる。上下と左右が狭く、前後に開けた空間では扱い方にも限りが生まれ、前後への振り抜きを中心にコントロールを重視し、まったりとスローペースで加速させていく。


 加速を続ける中で歪に硬質化した鞭の先端が床から浮き上がり、風切り音が外の嵐に混ざり出す。小夜の身の丈には、かなり長く重く感じられたが異形の住民への対抗と考えれば、まだ短く重さも軽い方であると思えた。グリップとボディの境目の無いスネークタイプの持ち手を両手で持ち替え、全身を連動させて身をひるがえすように勢いを付けて振り抜く。一際大きな風切り音を響かせ鞭が伸び切ると、音速を越えた末端が空気くうを打って、雷鳴にも劣らぬ破裂音を鳴らし、鞭は小夜のコントロールから抜けて手を離れ、ちゅうをのたうった。


「痛った~~………危ないわね~」


 鞭との摩擦でヒリヒリと充血する手の平をすり合わせながら鞭を拾い、入居者のいない部屋のキッチンから青色のゴム手袋を探し出すと、パチン!とめて再び鞭を振るう。鞭の特性を把握し自分の躰に馴染ませチューニングしていく。


 想定外の鞭の暴れを踏み付け制御し直す、当たれば怪我では済まない打ち返しを、顔面から床へ倒れ込むように躱し、背面を通して加速、更なる打ち返しの反動を利用して、床にキスする寸前で態勢を入れ替え膝立ちに、反り返りオーバーヘッドで鞭を舞わすとそのまま側転、鎌首擡かまくびもたげて被さる鞭を足の裏でいなし、向きを変えて連撃に繋げる。ヘロヘロにたわんだ鞭の腹を肘で小突いて背中を這わし、腰で撫でつけ脚を絡めて元気にすると、蹴りと同時にぶっ飛ばして快音を鳴らした。


 イイ感じじゃないかしらと鞭に損傷が無いか確かめ、傷ひとつなく目の詰まった編み込みに指を這わせて、後は実戦で通用するか試してみるのが待ち遠しいと、不敵な微笑みを浮かべる小夜を雷光が照らす。


 ふと、雷に炙り出された影に胸騒ぎを覚え窓を見る。嵐の立てる騒音とは別に、屠殺場の動物が自身の末路を察して啼いているかのような、躰の芯から揺さぶられるような唸りを聴き、無意識に唾を飲み込む。悲鳴と共にカラスが窓に衝突し、窓硝子ガラスにヒビを入れ羽を折り嵐の風に弄ばれていったが、緊張状態の小夜にはまるで響かない。嵐の空を飛ぶ愚行へ駆り立てるだけのむにまれぬ事情を知ってしまったから。


 建物の下方から大量のコンクリートが砕かれ、巨大な鉄骨がひしゃげる轟音と衝撃がつき上げる。地震のような揺さぶりで建物全体がスライドし、壁が小夜を打ち、横方向へ落ちたかのような錯覚を与えた。なお押し迫る壁を押し退け鞭を巻き取り、せり上がり出した廊下をへ走り出す。建物の歪みに耐えかねた壁面に亀裂が走る。


 床が壁になる前に手近なドアを開いてマンションの一室へお邪魔すると、傾く角度が変わり床を雑貨が転げ、踏鞴たたらを踏む小夜の足元を絨毯が絡め捕って滑り落ちた。ドアの取っ手を掴み重力へ抗う小夜だったが、ドアはその身を委ねて開け放たれ、振り子になった小夜は体重を保持し切れずに宙を舞い斜めに落下、窓のガラスに尻餅を着いてヒビと軋む窓枠に動きを封じられる。


 硝子のヒビを広げないように恐る恐る手足を伸ばし窓枠を掴んで安心したのも束の間、ふわりと身体の浮かび上がる感覚、ガラスの下から突き上がる影、ともすれば建物ごと落下していることは明白で、鋭い舌打ちと重い溜息が同時に零れ、倒壊の衝撃に為す術なく小夜はマンションから嵐の夜へ放り出された。


 大した距離を飛ぶ事もなく着水した小夜は、嵐の中の川や池にしては澄んでいる水だとか、雨が降っていないだとか、一緒に崩れた建物が落ちてこない疑問に頭上を見上げ、倒壊したマンションが別の建造物に引っ掛かっているだけだと気付くと必死に犬掻きで泳いだ。


「プールがあるのね………!??助かったわ………」


 プールサイドの梯子ラダーハンドルを登る途中、再び揺れに見舞われて脚を踏み外し脛を打って悶絶、倒壊したマンションが持たれていた建造物の側面を滑り出し小夜に迫る。脚を引き摺りながらも必死の走りで、中央からせり出したウォータースライダーらしい穴にヘッドスライディング。


 透明なチューブの中を旋回しながら落ちていく内、雷の明滅に映し出される不可解な流動を見せ、建造物に被さる濁流の塊を遠くに見止め、大勢の人間が逃げ惑い叫び声を上げるのを聴き、吹き抜けを両側からベランダの階層に囲われたプールに着水、嵐の中、亜熱帯植物が生い茂る情景に圧倒され思わず鼻でわらう。


「もう、滅茶苦茶ね?………こんなの一体全体、何処から出て来たのかしら??」


  小夜は苛立ちと不安に苛まれながらも、それ以上の好奇心と興奮に心臓を弾ませ、並みのマンションよりはるかに巨大な、20万トンを優に超える超巨大、大型豪華客船への搭乗を果たしたのであった。

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