第040号室 住民戦力調査 ②

 四方を古びたマンションに囲まれた団地の公園、分厚く流れの速い暗雲が日を隠し、谷間風と暴風が合わさり植木の小枝を折って吹き荒れる。電話ボックスの中で小夜は、ゲームセンターで両替した大量の百円玉を公衆電話に絶え間なく挿入しながら衛星電話をかけていた。


『………。………。………。……………誰?』


 数回呼び出し音が鳴った後、低く無愛想で威圧的な女性の声が聞こえ、一瞬気圧された小夜であったが直ぐに気を取り直し応える。


「…私よ、小夜「あ〜〜ん!小夜ちゃ〜〜〜ん!元気ぃ〜〜〜??ウルスラおばさんよ~~~!!」」


 相手が小夜だと分かった刹那、受話器の向こう側にいる女性の態度が食い気味に一変し、母親が子を叱り付けていた最中、急にかかって来た電話を取った時のように、声の高さが限界まで上がる。


「今、おばさん達、砂漠っぽいとこでファラオと戦争中。ファラオ、知ってる?ツタンカーメンとか、スフィンクスとか、まあ、本当にファラオかどうかは、分かんないだけどね?「あの、」でも、見た目は完全にエジプト系、間違い無い!ほら〜〜金と青って言うか〜緑って言うか〜〜シマシマの〜ほら〜〜〜………「あの、」ヒスイ!!?そうだわ!金と翡翠色のシマシマの…なんだあれ?頭に被ってる頭巾みたいなやつ「あの〜」いや!頭巾では無いはず。だってあんな頭巾やだもん「お〜い」あっ、ごめんなさいね?おばさんばっかり話しちゃって「ええ、本当に」さっきもねえ「あれ?」トリとネコとあと、なんかワニみたいな奴に襲われたの、1対3よも〜〜あっ、でも大丈夫!おばさん強いから!!そりゃ〜あね!瞬殺よ〜〜〜いつものやつでしばき倒しておいたわ!」


 永遠と一人で話し続ける相手、衛星電話を掛けるにあたって、充分過ぎる量の百円玉を準備してきたつもりであったが、いつ終わるとも知れないお喋りに小夜は、付き合い切れなくなってきたので、被せて喋ることにした。


「お姉さん?」

「あ〜〜ら、おねぇさんだなんて小夜ちゃん、お上手!だいたい、エイプリルの奴がまた裏切ったせいなのよ!」


「フフン、いつもの事じゃない。ちょっと、団地にダムがあるの知ってた?」

「ああ、ダゴンの根城ね?おかげで、ジャックとサモニャンは砂丘に飲み込まれたわ(笑)」


 ダムだけで無く触手ダゴンの存在まで、知っていたかのような口ぶりに小夜はイラッとしたが、なぜ知っているのか聞くと長くなりそうなので、努めて要点のみに会話を集中させた。


「………流砂じゃないかしら?オヤジ達にはそのまま退場してもらいましょう?そのダムなんだけれど、近い内に決壊するのよ。」

「ウチの弟君も斥候に行ったきり、はぇ〜〜〜………ケッカイ?あ!ドォロミちゃんは元気よ!相変わらずゾンビだけど!」


「弟君は大丈夫でしょう。ドォロミは………まだ、ゾンビなら元気じゃないのでは?」

「あれはあれで元気なのよ。ミイラのゾンビをパンデミックしてウチの新入りは全滅、敵のファラオの軍勢も粗方壊滅、んん~~~?…………けつかいぃ??」


「………あっ、ダムをぶっ壊すってこと」

「あ〜なるほど〜〜〜楽しそうじゃない!ちょっと待って!クレオパトラ来た~~~!!!」


「でしょう?でも、これだけ大事おおごとすれば、何が出てくるか分からないから、出来れば人手が欲しいのだけれど、どうかしら?」

「う〜ん………それって、私達へのメリットはあるわけぇ?わぁお!クレオパトラめっちゃ怒ってる!!」


「ダムの底に、団地から脱出できるゲートがあるそうよ」

「へぇ?そんなモノに何の意味が?あ~クレオパトラ、なんかユーナに男、寝取られたんだって!!」


「え?………はあっ!!?」

「まあ、パスよね?………痛っ!?ちょっと、舐めプできそうにないから切るわね!!

………。………。………。」


 団地攻略ガチ勢の司令塔、ウルスラはどうやら暇ではないらしく、小夜の誘いは些末な問題と軽くあしらわれてしまった。


 公衆電話ボックスのガラス板に小さな雨粒が降り始め、風に煽られ斜めに楕円形の水跡をつけて弾け飛び、傘を差したとしてもそれが、十分な役割を果たす事が無いのは明らかだった。


 

---



 ボブと教授は連れ立って、とあるマンションの屋上へ向かう階段を登っていた。


「俺はヘリに乗って団地ここへ来たんだ。2分隊、2機のヘリで飛んでいたら、何の前触れもなく瞬きする間に団地の空さ」

「んん~初耳ですね~~」


 風にいななく屋上の扉を開くと、四翔回転翼に双発動力機の中型多目的軍用ヘリコプターが一機、横倒しになっていた。


「あっという間だった。状況を理解する間も無く、相方のヘリは、あそこの背の高いマンションに突っ込んだ」


 ボブは向かいの高層マンションの中程にできた、軍用ヘリコプターが激突して出来た穴と火災の跡を指差した。


「生存者の確認はまだ出来ていない。事故現場へはどうやっても辿り着けなかった。時空でも歪んでいるのか、見た目以上に距離があるんだ。ここに不時着した1分隊の8日間掛けた行進は………ご覧の通り俺以外全滅だ。そう言う俺も、小夜が現れなければ死んでいたかもしれない」

「それは………お気の毒に」


 先の戦闘触アタッカーとの戦闘で火力不足を痛感し、軍用ヘリコプターに据え付けられた重火器を取り外そうと作業に取り掛かるボブの背中に、教授が何とか声をかけ補助に入る。


「ダムの底さらったら、デカいのも出て来そうだし、これだけの武器、このまま錆び付かせて置くのは勿体無いだろ。どうせなら景気よく使っちまおうぜ!」


 ボブが手際よく取り外せる物を全て取り外し、出来るだけ軽くした重機関銃を本当に軽そうに担いで降ろし、実際軽いのではと錯覚した教授が持ち上げようとして手を掛け、即間違えに気付いて諦める。こっちはまだ軽い方だとボブから手渡されたミニガンを、教授が自由落下とほぼ変わらない速度で床に降ろす。これなんか羽毛だぜとボブが、ミサイルポッドからロケット弾を抜き取って投げて寄こし、教授が腰を抜かしながら受け止める。驚愕と怒りの表情を浮かべる教授がロケット弾を握り締め6.5kgぐらいですかねと呟いた。


 横殴りの小雨が降り始め大急ぎで屋内に運ぶ途中、ささくれだった鉄板の縁で、手のひらを切ったボブ、教授の心配にちょっと血が出ただけと軽く返し、手のひらから溢れた血液をシャツで拭って、傷の具合を確かめようしたが、傷口を見つける事ができずに首を傾げる。更に残った血液を拭き取り、微かに痛みの残る手のひらを様々な角度から、目を皿にして確認したが結局、血を流すほどの傷はおろか、僅かな引っ掻き傷すら見つける事が出来なかった。


 ボブは怪我をすれば傷が出来て血が流れるといった、人間として当たり前の反応を無視した自身の肉体について、怪我をして血を流した側から傷が塞がったような気がしたが、単なる気のせいで何か赤い液体がたまたま、偶然、手に着いてしまっただけなのだろうと、この時点で深く考える事はしなかった。



---



 雨と風は激しさを増して雷と共に団地を打ち付ける。施錠された屋上の扉の鎖を糸鋸で切ってこじ開けると、風圧で勢いよく扉が開き、壁に衝突してガラスが割れ雨風に混ざって飛散した。


「へぇ、先に来ていたのね……」


 屋上の扉は確かに施錠されていたのだが、どうやってそこへ現れたのだろう。小夜の倍はあろうかと言う身の丈を持つ人物は、色褪せた黒色のロングコートの至るところに仏像を縛り付け、素肌を晒さぬようグローブやブーツ、チョーカーを念入りに留めており、更に一際目を引く猛禽を想わせるペストマスクは、決してファッションの類では無く、病原菌感染予防に対して十全な機能を果たす防護服であった。


『………私は、君の味方だ。助けがいるのなら何時でも駆けつけるさ………』


 嵐のせいかペストマスクのせいかくぐもった声は、本来の声質を想像できないほどに、忌避感を煽ぐもので、恐ろしくも悲しげな雰囲気を纏っていた。


「うん、ありがと………そうだ!これ見つけてきたのよ。ドクター、あなたこう言うの好きでしょ?」


 ランドセルからご利益のありそうな仏像を取り出し、雨の降り頻る屋上へ踏み出した小夜を、ドクターが片手を前に突き出し静止する。


『ダムを決壊させるつもりなのだろう?』

「そうだけど………って、まだ話して無いわよ?」


『………余り、良いアイデアとは思えないが、もう、取り返しのつかない所まで進めているようだな』

「フフン、別にいいじゃない?楽しくなるわよ?ドクターも一緒に楽しみましょうよ」


『ああ、だが余り当てにしないでくれ、いろいろと限界なんだ。………見て見ろこの嵐を!!雷が瞬くたび地獄の情景が空にひるがえり、風は悪魔の高嗤いを載せて吹き荒ぶ!!うああ………この雨が特に駄目だ!あらゆる隙間に流れ込み、鉛さえ突き抜けこの身体を濡らす!!!この、神仏に包まれたわずかな安らぎの空間さえ奪っていくぅ!!!』

「ちょっと~~~落ち着きなさいよね?」


 小夜の手加減の無い仏像の投擲がドクターの側頭部に命中、人間の可動域を越えて傾げられた首を不自然に回して戻し、全くのノーダメージながらテンションガタ落ちのドクターが小夜を見つめる。


「本番は、私以外にも人いるんだから、ホント頼むわよ?」

『ああ………何とか、してみるさ………』


 ドクターは小夜の投げた仏像を拾い上げ懐に押し込むと、さも当然といった足取りで屋上から身を投げた。驚いた小夜が屋上の縁へ走り寄り崖下がいかを覗き込んだ時には、渦潮のように荒れ狂う暴風雨の中心で、時折輝く稲光に照らされて、石畳を遠ざかるドクターの影が団地の壁に映し出されるのみであった。

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