第032号室 まだ、名を伏せられし者
小夜とボブ、シスターそして教授の4人は人魚であるローレライの案内で、団地ダムに面する港の荷下ろし場へたどり着いた。
満々と濁った水を湛え底の知れない団地ダムは、対岸が霞んで見える程の広大さと容積で辺りの高層マンションを飲み込み、そのマンションの水没を免れた上層部分も度重なる風雨と波の浸食によって、かろうじて原型を留める程度であり、朽ちたマンションの今にも崩れ落ちそうな、哀れにも見窄らしい佇まいは、この団地ダムがいかに古くからこの場に鎮座しているかを物語っていた。
夕暮れの生温い風に吹かれダムの水面が妖しく揺れ、ダムに面する荒廃し切った港の岸壁をいやらしく撫でる。不気味なほどに静まり返りかえった荷下ろし場には、異様な力で捻じ曲げ引き裂かれた大型コンテナの残骸と、大小様々な異形の住民達の死骸が小型の捕食者達によって骨と皮だけとなり、虚しく散らばっているだけであった。
「これは………海なのかしら?」
「いいえ、ここがあなた達の探している貯水湖があった場所よ。そして今、ダゴンが拠点にしている場所でもあるわ」
眼を細め霞む対岸を見据えて疑問を
「まあ、拠点といっても彼らがいるのはずっと底の方だから、多分私達には気付いてないと思うけど、一応用心しなさいよ?」
カーキ色のワークパンツにブーツ、仕立ての荒い麻のボタンシャツの袖を捲くった教授は、まるで人類未踏の秘境に隠されていた古代遺跡でも発見し、童心に帰った考古学者(あながち間違えでもないのだが)かのように目を輝かせる。
「底を攫うにもこれだけ大きいと、水を放水し切るだけで何日掛かるか………取り合えず僕はダムの造りを見てきますね」
教授が団地に佇むダムと港という異様な光景としつこい程に漂う邪悪な気配にも怯むことなく好奇心を輝かせ、半世紀を超える年齢に似合わない健脚でダムの方へ向かっていった。
「日が沈む前には合流しますのでお構いなく~!」
既に日も陰る中、遠ざかる教授の背中にあれは朝帰りになりそうだなとボブは考え、同じ風に思っているらしく、フフンと鼻で嗤った小夜と目が合い、同じく止めても無駄なのでしょうと首を振るシスターへ肩を竦めて見せた。
「夜になったら色々出て来るだろうし、後で迎えに行くか………」
「ええ、仕方ないですね」
手近な瓦礫を見付けて座り込むシスター、肩で息をしながら脚の具合を確かめ、傷から滲み出る体液の感覚の割には染み1つ付かないガーターストッキングに、この衣服が呪物の類である証拠を見て取り頭を抱えた。
「私は少し、休ませて貰います」
OKと頷きボブは、シスターが大立ち回りを演じたらしい闘技場の残骸へダゴン攻略に繋がる手掛かりを求めて踏み入って行った。
岸壁へ向かったボブが身を乗り出し夕陽を映す波間から、仄暗い水の底を眺めて眉間を寄せ、水面下から注がれる姿無き視線を睨み返す。
「何かいる気がする………」
一瞬、水面のごく浅い場所がキラリ輝いたかと思うと、小指ほどの小魚が跳ねてボブへ
「………ほ~ら、魚がいた」
そばに寄ってきたローレライが、湖なのだから魚くらいいるわよと笑い、ボブはそうだなと返しつつも、先程跳ねた小魚は青白く腐食した小指に見えなくもなかったと思い出し、ほんの少しだけ心をざわつかせた。
小夜は腐肉食動物によって可食部分を全て食い尽くされ、平たく萎んだ異形の住民達の死骸を見渡す中で、巨大な蛇のような骨と皮の隙間からはみ出した、赤い縄状の物体に興味を覚えていた。
燃えるように赤熱した金属線で編み込まれたかの如き光沢を放つ縄状の物体、鋭く研がれた刃物にも似た威圧感を全方位に向け、生前はその物体が鞭のように良くしなり波打って空気を切り裂き敵を破壊したであろうと容易に想像できた。
小夜は平均的な女性よりもずっと小柄な母親が、目一杯見上げる程大柄な父親を夜な夜な、可憐かつ煽情的な超絶技巧の鞭捌きで絶頂へ導き、娘の眼前で父の親として男としての尊厳を無残に踏み躙る姿を思い出す。
くぐもった啜り泣きが密室に響く中、母は言っていた。処刑用に
「これは、運命を感じるわね」
(カサカサ!!)
頑丈かつしなやかな竜の靭帯を掴むのと同時に、皮と骨の隙間から黒光りする6脚のアイツが現れ、小夜の手の甲に取り付いた。
「私も同感です!小夜ちゃんとは運命を「っ!!!」」
反射的に小夜の手が腕ごと、肩ごと、身体ごと跳ね上がり、心臓に悪い登場の仕方をした団地
「クソ虫がぁああ!ふざけんなよ!!」
「無事、貯水池まで来られたようでまずは何よりです!いやぁそれにしてもお目が高い!今小夜さんが手にしたのはドラゴンの尻尾の靭帯!非常に強靭で丈夫な素材です。私がそこまで肉から剥がすのには苦労したんですよ?」
大空を舞う
「し・ね!!!」
「そうです!小夜さんならそういう使い方をすると思っていました!!実はその靭帯、初めから差し上げるつもりで!?ぐぁあああああ!!!」
早口でまくし立てる標的に、波打ち高々と登って行った竜の靭帯は、相手の滑空速度と届くまでの時間を計算し尽くされていたかのように距離を詰め、生前の酷使により脱臼や骨折を繰り返し再生する度、歪に凝り固まって殺意を高めた尾の先端が伸びきる刹那、音速を超えて爆音を轟かせる。
「ああ!はねがぁ!!(^。^)」
辛うじて攻撃を避けはしたものの、龍の靭帯の末端部分が音速を越えた際に生じた衝撃波で、コントロールを失ったSNGが小夜の額を狙ってポトリと落下。小夜が竜巻の如き様相で身を捩って躱し、トラックにでも跳ね飛ばされたかのように宙を舞って距離を取る。
「まだまだ、鞭と呼ぶには
小夜が横っ飛びで一回転両腕で竜の靭帯を思い切り振り抜く、獲物に喰らい付く蛇のように地を這う脈動が、残像を残し加速するSNGを打ち付け団地ダムの遥か対岸まで届くほどの轟音と共に粉砕した。
「んん~~~!素晴らしい、ついに私の速度に対応しましたね?」
爆散して死んだはずのSNGの声が何処からともなく響き、小夜は驚いて耳を塞いだ。
「大丈夫、幻聴ではありません。私
「じゃあ、もう一回死ね!」
喋る虫が出た程度で大袈裟だなと感覚の麻痺したボブと、聖書の一節が聴こえたような気のしたシスターが興奮する小夜を
「しかし、その爆音はよろしくないですね、時と場所を選ばなくてはいけません。今、皆さんはダゴンの頭上に居るということをお忘れなく」
悪鬼羅刹が
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