第033号室 戦闘触

 団地のダムから港へと這い上がってきたダゴンの一触、戦闘触アタッカーはつい一昨日のドラゴンとの戦闘で昏倒する不覚を取ってはいたが、身体的な損傷を負ってはいなかった。


 自身の不甲斐ない戦果に、単純で直情的な戦闘狂の小さく愚鈍な脳細胞は、やり場の無い怒りを手当たり次第にばら撒いては、回復を優先させている兄弟を残し、ダムの港へストレスをぶち撒けに上がって来たのであった。


 いち早く戦闘触に気付いたローレライ、人魚である彼女に取ってみれば、人間共にくみする義理などひとつも無く、ダム湖へ入りさえすれば、水中での移動速度で触手に遅れを取る事もあり得なかったので、このまま人間が触手に気付いていないうちに逃げ出す事にした。


 何事もなかったかのように車椅子を回し、ダム湖へ向かう。触手も人間達もお互いの存在には気付いていないようだったが、どちらかが相手の存在に気付くのは時間の問題だった。人間達に怪しまれないよう車椅子を無意識に走らせているように意識して走らせ、触手の注意を引かないよう注意しながら車輪を回す。そしてローレライはそれらの事に脳のリソースを奪われた結果、視野が極端に狭まり、荷下ろし用のクレーンを移動させる為に作られたレールを見落とすと、車椅子の車輪をレールの溝に脱輪させ、目の届く範囲に存在する全ての意識を集めるのに丁度といった、絶妙な事故音を立てて転びヘッドスライディングした。


「うあっ!?ちょ………いた!」


 一斉に視線を集めるローレライ、その肩越しに小夜達と戦闘触の視線が交わった。


「いち、に、さん、よん…………」


 ローレライが腕立て伏せをして失敗を誤魔化す。全く無駄のないフォームで小夜がガチ走り、倉庫街の開け放たれた鉄扉へ突っ込む。今の自分が他者を庇ったところで、足で纏いになるのは明らかと、シスターが負傷している脚を引き摺りながら小夜の後を追う。ボブがローレライをお姫様抱っこで抱え上げ車椅子に乗せ直して走り出す。獲物を見つけた戦闘触、幸先が良いとスキップ混じりに小走りで距離を詰め始めた。


「待って待って!そっちじゃない!私、水の中入ったら簡単に逃げ切れるから!!」

「へえ?すまん!でも、もう遅いだろう!?」


 徐々に速度を増す戦闘触、四足動物の脚に見立てた触手が水を打つような音を立て、デタラメな動きで地面を蹴って、ミミズのように身体の伸縮を繰り返し、ボブの背中を射程にとらえて飛び掛かる。


 動作音の変化で相手の跳躍を悟ったボブが勢いを付けて車椅子を押し出すと、ローレライが短く悲鳴を上げて吹っ飛び、小夜とシスターが閉めようとしている鉄扉の間に吸い込まれた。


 ヒリ付く殺意を背中に感じて、振り向きざまにサバイバルナイフを抜き打つ。サメの歯が幾数枚か乱雑に重なり溶け合ったかのような触手の先端を弾き、これまたサメの頭部を思わせる触手の集合体の噛み付きを掻い潜ると、体重を支える為、すじ張って硬直の見られる脚部を、頭側面から腹中に掛けてバッサリ斬り落とした。


「えっ?よっわ………!雑魚かよ………」


 小夜が素直な感想をもらす。バランスを崩し倒れ込む相手にとどめを刺す為、サバイバルナイフを構え直したボブが一転、弾けるように放射された斬れ味抜群の触手を躱し、仰向けに倒れる。右腕一本で跳ね、体勢を入れ替え風車状に薙ぎ払う触手の鞭を擦り抜ける。脚を狙う触手、ボブは両腕を振り上げ、前方の地面へ叩き付けるようにして身体を引き起こす渾身のパワームーヴ、ワイヤーアクションじみた不自然とも取れる物理法則を無視し掛けた距離の取り方で、触手の歯が地面を叩く。


 欠損した触手を他の部位から補い再び立ち上がる戦闘触を尻目に、ボブが倉庫の鉄扉を潜ると同時に扉が閉まり、管抜きが下された。


 間髪入れず鉄刃物の混じった濁流が、打ち付けるような音と衝撃が鉄扉を揺らし、握り拳ほどの凹みが順に浮かび上がり歪な円状を描くと、鋭く尖った金属同士が高速で振動し、破壊し合う轟音が鳴り響き人の耳を塞がせた。


「この扉持たねーぞ!?」

「え〜!?なんて〜〜!??」


 倉庫の奥へと逃げ出す大人を見送り、小夜が扉の横に陣取る。


「何か腹立ってきたわね。何で私が逃げなきゃ行けないのよ?」


 火花を散らして扉の一部に穴が開き触手が数本勢いよく噴き出し、それに合わせてツイストダガーが振り下ろされる。


「あら、このダガー、殺しにしか使えないと思っていたけど、メーカーの言ってたロープを切る為の形ってのは、完全、建前って訳でも無いのかしら?」


 少女の腕力でも難なく切断された触手が床で踊り、後から噴き出した別の触手も同様に切り落とされる。


「はぁ?雑っ魚ぉお!!コイツおんなじ手に何回引っ掛かんのお!!?」


 小夜がダガーを振るうたび床に散らばる触手の残骸、扉の穴がいきなり広がりダガーでは対処しきれない量の触手がなだれ込む。気圧され尻餅をついた小夜を戻って来たボブが引き起こし更に奥のシャッターへ手を引き走る。


「おい!何やってんだ!?」


 戦闘触が硬質化した触手の先端を不規則に振動させ床をえぐり、倉庫内の鉄材を駆け上がり、天井に突き立て跳ねると瓦礫と共に降り注ぐ。後方を一瞥いちべつし瞬時に回避策を案じたボブが小夜のランドセルの肩紐を掴みハンマー投げ、空飛ぶ小夜はシャッターを降ろそうとするローレライに激突、お互いにくぐもった悲鳴を上げ車椅子が走り衝撃を受け流す。ボブがスライディングで触手と瓦礫と閉まり掛けたシャッターの下を潜り、半歩遅れて触手の先が滑り込む。


「学習しないのねぇえええ!!?」


 我を忘れた小夜が飛び込みダガーを振るって触手を切り飛ばす。鉄扉程の強度を持たないシャッターが即座に切り裂かれ、溢れた触手がサメの頭部を形取り小夜へ被さる刹那、シスターのメイスがアッパースイングでその顎を閉口させる。ボブがサバイバルナイフを握る右手首を、左手で掴み歯を食い縛って張力を蓄え、メイスによる打点が最高になった地点で振り抜き、明らかに刀身より長い距離を切断する。


 堪らず距離を取る戦闘触、相手と穴の開いたシャッターを挟んで睨み合い、怒りと興奮に満ち溢れる触手を蜷局とぐろを巻いて抑え込む。僅かに残った理性で状況を推し量り、触手の絶対量を減らし、戦闘能力の拮抗し始めた相手の脅威を認め、ゆっくりと後退りを始めると、小夜が聞こえるか聞こえ無いかと言った微かな声で囁いた。


「………ざぁ〜〜〜こ♡………逃げんなよ、触手ぅ!!」


 このままでは相手に逃げられてしまう。折角ここまで斬って削ぎ、殴って潰しで消耗させたのに、あと一手で止めと言うところまで来て、逃げの態勢に入った触手に小夜の口が思わず動いていた。


「そうやってまた、仕切り直すつもりなの?次来てもまた負けるだけだよ?あんた弱いから」


 ボブとシスター、ローレライは前にも戦った事があっただろうかと首を傾げたが、小夜には触手の個体差など、区別のつけようが無く、もし付いたとしてもどうでもいい事なので、相手が初見であろうと些末な問題でしかなかった。


「チッ、最初、あれだけイキり散らして追いかけて来たのに、ちょっっっと、不利になったら尻尾しぃっっぽ撒いて逃げてしまうだなんて………フッ、ダサすぎでしょ?」


 言葉が通じている訳ではなかったが、何となく悪く言われているのが分かってしまう程度の知能が戦闘触にはあった。しかし、悲しいかな、そのちっぽけな自尊心は、安い挑発を流せるほどの余裕を持ち合わせておらず、逃げるという行為を取った自身に怒りを覚え、それに気付かせ、更に付け込んできた小夜にその激昂した矛先を向けた。


「あら?どうしたの??動かなくなっちゃって、逃げなくていいの?もしかして震えてるの??おん?きっもい動きしてんじゃないわよ!」


 最初こそ、はした無く罵る小夜を諫めようとしていた大人達であったが、離脱をやめて動きを止め、青筋を立てて粘膜を吹き出し、ワナワナと憤怒に震えているらしい触手にを見た。


(((明らかに、もう一押しなのでは???)))


「フフン、やらしい見た目通りふにゃふにゃの根性無しね!う〜わ、っさ、雑魚が!あんた、ビビってるんでしょう!?マジ、ビビってるんでしょう!!?ビビっ……ぐあっ!!!」


 戦闘触の心の天秤が生命維持から己の誇示に大きく傾き、残った触手の全てで持って、相手をこの世から滅する為に跳ね上がる。


「クッッソ、生意気ィィィ!!!」


 極細微にバイブレーションするサメの歯が連なった触手の先端は、竜の鱗すら斬り裂く威力を有しており、少女の柔肌に抵抗無く食い込み、骨を粉引いて臓腑の中を暴れ回り、一瞬でその矮小な身体をさいの目状に破壊する事が出来たが、それも当てる事が出来たなら、と言う話で致命的な隙を晒した戦闘触の切っ先が届くよりもずっと早く、ボブのナイフとシスターのメイスが戦闘触に食い込んだ。


「び・び・らすなや!」


「いいぞ!このまま逃すな!!」「えい!えい!!」

「当たり前でしょ〜〜〜う!!?」


 小夜のツイストダガーがやたらめったら打ち込まれ、瞬く間に挽肉と化し、ローレライが手頃な鉄屑で止めだ!と一発叩いた時には、ダゴンの一触、戦闘触の残骸は全て残らず団地の染みとなっていた。







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