災厄ちゃん
江戸川台ルーペ
色彩
「警部、取り調べ室までお願いします」
「何番?」
「五番で」
俺はこれ幸いと書きかけの書類を放棄し、煙草とライターをひっ掴んで席を立った。
黒電話と電気スタンドを載せた、何の色気もない灰色の机を挟んで美少女が座っていた。中学生の高学年あたりか。その出で立ちは異様だった。金髪のツインテールで、黒が基調のゴスロリの服を着ている。身長はわからない。大きな鋭い目で俺の目を見据えている。
「コスプレか?」
「これで貴様とは2589万9432回目の邂逅である」
少女の澄んだ声は薄暗い取り調べ室に良く響いた。俺はとりあえず本日5本目の煙草に火を点けた。日付けが変わってまだ30分しか経っていないのだ。
「とりあえず落ち着こうか」
「
「その格好は趣味かな?」
「適当だ」
「適当」
詳しくは分からないが、ゴスロリは何かしらの強固な信念によって身に付けられるべき服飾であるように思えた。まだ三十年しか生きていないが、それくらいの事は分かる。適当に着られるべき服は、ゴスロリの8兆倍は存在しているだろう。ふん、と少女はそっぽを向いた。くだらない話はもうしたくない、という風に。
「どうして君はここにいるんだろう?」
俺は付き添いの警官がいないのに気が付いた。ただ単に五番取り調べ室に来いと言われたに過ぎないが、誰もいないのは妙だ。事情を知るものを大声で呼ぼうとしたところで、
「そういうものだからだ」
と少女が先んじてそれを制した。
「我と貴様は話をする運命にある。受け入れろ」
俺は一口煙草を吸った。長い話になりそうな予感がした。あるいは一瞬。
「名は?」
「名、など必要か?」
「不便だ。これから多分、君に聞く事がある。あると思う。取り調べ室という所はその為の場所だからな」
「貴様は何月生まれだ」
「俺? 5月」
「我の名前はジュライ」
「5月はメイだが」
「すまないが、貴様が何を言っているのかよく分からぬ」
「いや、俺の誕生日を聞く必要があった?」
少女、いやジュライは「チッ」と舌打ちをしてまたそっぽを向いた。生意気だった。
「貴様に頼みたい事はこれだ」
ジュライは立ち上がると、自分のスカートの中をごそごそとまさぐり、黒い物体を机の上にゴトリと置いた。
「これで我を射殺していただきたい」
それはリボルバー式の銃に見えた。ジュライは俺の目を見ながら、再び音を軋ませてパイプ椅子に腰を掛け、綺麗な足を高く組んだ。やるべき事はやったぞ、どうせお前には無理だろうがな、といった風に。俺は煙を口から流れるに任せながらそれをぼうっと見た。玩具にしか見えない。子守りか?
「手に取れ」
俺がまた大声で人を呼ぼうとしたところで、ジュライが鋭く言った。俺がやる事を先読みしてるかのように。仕方なく、俺はそれを取った。本物の銃だった。俺は安全装置を掛け、真っ正面からジュライの目を覗き込んだ瞬間、この世の終わりのような音で机上の電話が鳴った。荘厳に、数度世界の終わりを告げたところで、ジュライが俺に目で電話を取るように促し、俺は仕方がなく受話器を取った。
「なんだ」
「少女のご両親が面会を求めています」
「すぐ行く。聞きたい事もある」
「そいつらは偽物じゃ」
ジュライが細い頬杖をついて、目を閉じたまますらっと言った。俺は無視をして、部屋を出た。
「娘を自由にしてください」
恐らく母なのだろう。
「娘は無実です。ちょっと変わっているだけなのです」
こちらは恐らく父なのか?
「分かりました。どうぞお引き取りください」
俺は意味の分からない事を言い続ける男女に向かって頭を下げると、そうそうに取調室に戻った。
「どうじゃった」
「異常だな」
ふふん、とジュライが片方の唇を上げて笑った。
両親は夏だというのにどちらも黒づくめで、ロングコート、マフラーで口元までぐるぐる巻きに隠し、シルクハットまで被っていた。サングラスももちろん四角い黒。同じ言葉しか繰り返さない。「娘を自由にしてください」「娘はムジツです」 ──イントネーションが妙に神経に触る。
「分かってくれて嬉しい」
「奴等は何者なんだ」
「我が知るか。大方、未来歴史の改竄を許さぬ運命教徒パトロールの連中じゃろ。そんなことより、さ、バーンとやってくれ」
「自殺すればいいだろ」
俺は疼くこめかみを抑えて吐き捨てた。妙な事態に巻き込まれている。運命教徒パトロール? SFか? 俺は混乱している。ジュライはその隙にテーブルの上の銃を手に取り、安全装置を外してこめかみに押し当てた。それから六回連続で引鉄を引いた。そして銃を無造作にテーブルの上に投げた。顎でしゃくって、確認しろという風に。俺は弾倉をスライドさせて、銃弾が確かに一発だけ装填されているのを確認した。ジュライはニヤニヤしている。
「な?」
「──屋上へ行こうか」
港区にある警察署の屋上は13階相当の高さで、落ちれば即死だ。
深夜の今は本来暗いはずの空の下を薄明るく繁華街の光が照らしているのが見える。救急車の音、薄くヘリコプターの音。いつもの東京の夜だ。平和な。
「飛び降りろ」
俺はジュライに言った。
「無駄じゃぞ」
ジュライは軽快な音を立てて走ると、躊躇なくピョンとヘリを飛び越え、飛び降りた。
「んな!」
俺は慌てて下を覗き込んだが、死体など見当たらなかった。人通りがない、暗く平坦な舗装路が冷たくあるだけだ。そして背後のステンレス製の扉がガチャリと音を立て、ジュライが再び姿を現した。
「の?」
俺はジュライに近付くと、乱暴に身体をまさぐった。
「ワハハ、くすぐったいわ! ワハハ!」
二つ折りの革の財布があったので、中を検分した。カードは全て真っ白いプラスチックで、紙幣は紙幣の触感のまま真っ白だった。小銭は無い。
俺は財布を地面に叩きつけた。
「何なんだお前は!」
「我は災厄である」
髪を風になびかせてジュライが得意げに言った。
「美しいが故に、また人がそれを信じぬが故に、我は滅亡できぬ」
「災厄って、何だ」
「疫病から虐殺、戦争。幅広く扱っておるよ」
ふふん、とジュライが鼻で笑った。
「我をその銃で撃ち殺せば世界は平和になるというのに、誰も我を撃ちよらん。故にこの世界は不幸が満ち溢れ続けるのじゃ」
「その証拠は」
「つまらぬ事を言うでない」
「確証無しに人を撃ち殺す事なんかできる訳がないだろ!!」
俺は激高した。
「単なる気が触れた大人って逮捕されるだけだ!!」
「なかなかの進化ぶりじゃぞ、我は満足じゃ」
「何がだ!」
「証拠があれば我を殺せるという腹づもりを見事じゃと言うとるのじゃ」
「ホントにどうかしてるわ……俺かお前が」
「証拠はないのじゃ」
ジュライが悲しそうに言った。
「証拠も約束もできぬのじゃが、我を射殺すればこの先、どのような疫病も流行らぬし、核戦争も起きぬし、飢餓で人が死ぬ事もなくなるのじゃ。我は人間が好きじゃ。愛しておる。故に、こうしてお願いをしに人間の元に、何度も何度も現れておるのじゃ」
そう悲しそうに言うと、ガバリと俺に抱きついた。
「頼む、信じてくれ! 我を、撃ち殺してくれ!!」
俺は大きな溜息をついた。
ジュライは大きな瞳を俺に向け、淵にまで涙をいっぱいに溜め込んでいる。とても嘘を付いているようには見えない。
「分かった」
「ほ、本当か」
「どうやらお前は人間じゃないみたいだ。死とか、そういうのとは無縁そうだからな、一発お見舞いしてやるよ」
「きき、きき奇跡じゃ! あああああっりがとう!! そなたは英雄じゃ!! 神じゃ!!」
俺から離れると、満面の笑みを浮かべたジュライが両腕をTの字に広げた。
「さあ、バーンといってくれ!」
俺はジュライが持ってきた銃の安全装置を外し、構えた。
夏の夜の匂いがする風が吹く音がした。
ジュライは神のように腕を広げたままだ。俺は逡巡した。
「はよう!」
「……なぁ、撃たれるとお前、痛いのか?」
「なんじゃ?」
「いや、やっぱり女の子撃つのは嫌な気分だなって……」
「おーいー!」
ジュライが近づいて俺の襟首をにじりあげた。
「そりゃ痛いに決まっておろうが! 多分だけど! だがそんなの一瞬じゃ!! これから未来永劫、人類が直面する痛み・辛さ・悩み事に比べればほんの些細なものなのじゃ!」
「く、くるしっ」
「何故に自分が可愛くて我を撃ち殺せんのじゃ! 嫌な気分じゃとう!? これから撃たれる方がよっぽど嫌な気分じゃ! ほら、はよう!」
「よ、よせ!」
ジュライが俺の手を取って自分の額に銃口を当てた。
「はっ……よっ……うっ……!」
「よせって!」
力一杯ジュライを振り払うと、ゴロゴロと転がって頭をゴチンと壁にぶつけた。
「ぃった!」
「す、すまん」
俺は思わず謝った。
「いーたーいー! ウワーン!!」
「わ、悪かったって。すまなかった」
「ウワーン!!」
「ってお前、これから撃たれるって時に痛いって泣くってどういう事なんだよ」
「それとこれとは別なのじゃ」
グスッグスッと涙と鼻水を啜ってジュライが弱々しく言った。
「別腹じゃ」
「別腹って何だよ」
「よし分かった! じゃあやろう!」
俺は腹を決めた。ジュライが来てから、不思議な事ばかりが起こった。奇妙な格好、両親、財布、飛び降りて復活する様。数えきれない程、俺とジュライは出会って、その度に撃たずにきた(とジュライは主張している)。だが俺は今、ジュライを信じても良いと思っている。何故かは分からない。恐らく、奇跡的な何かが偶然、カチリと音を立てて一致したのだ。
「本当に?」
ジュライは隅っこで体育座りをしていたが、ダッシュで戻ってきた。
「偉いぞ! 良しやれ! 早くやれ!」
「気持ち悪いなぁ。条件がある」
「なんじゃ! 我を裸にして最後に性の悦びを教えようとしても無駄じゃぞ!」
「何だそれは。やはり撃つのは気がひける。そこで」
俺は人差し指を立てた。説明する時のポーズだ。
「お前、端っこに立って飛び降りる準備する。俺、後ろからお前を撃つ。落ちる、お前、いなくなる」
「たどたどしい日本語じゃのう」
「じゃかましい。要するに、俺は最低限の仕事だけにしたいんだ。撃たれる瞬間のお前と目が合ったりしたくない。もし合ったりしたら、しばらくの間、とっても・すごく夢見が悪くなる」
「弱い人間じゃの」
「──やっぱり中止するか」
「うそうそうそ! まじ嘘!!」
ジュライは屋上の縁に立つと、大きく両腕を広げた。
「ああ、遂に我の念願叶うのじゃ! 永遠にも等しい繰り返しじゃった。だがそれも今日にて終了じゃ! そこの英雄……えっと、何て名だ?」
「名前なんていらねえよ、お前を消滅させる男だ」
俺は弾倉をスライドさせ、装填した。
「そう、そうじゃ! その無慈悲さこそが究極的に人類を救うのじゃ! さあ、ドーンとやってくれ! 大丈夫じゃ、我は化けて出たりはせん! 夢枕に立ったり断じてせんからに!」
「なぁ、お前は何で生まれてきたんだ?」
俺に背を向けているジュライの心臓に狙いを付けて、何となく聞いてみた。出来るだけ引き伸ばしたかったのだ。
「さぁの。我はバグなのかも知れぬ。あるいはワクチンなのかも知れぬ。いずれにせよ古代から存在する我ら災厄は、30年後の2020年の夏に再び現れよう! その時にはお前! 名も無き貴様! 圧倒的な無慈悲さを持ってそいつを撃ち殺すのじゃ! 姿形に惑わされてはならぬ! 悪は悪の形をもって人類の前に姿を現す事など断じてないのじゃ!」
俺は銃を握り直した。
「さぁ! カモン!!」
銃声。
ジュライはゆっくりと身体を宙に浮かせ、ビルの屋上からフワリと落下した。俺は目を瞑り、じっと耳を澄ませ、後ろのドアが軋み開く音を待った。だがやがて訪れる静寂に、世界は反転し、俺は全くもって新しい地平に立っている事に気が付いた。そして俺はもう、ジュライがいた世界の色彩をどうしても思い出す事ができなかった。メイ? ジュライ? メイ? ……ジュライ?
ヘリコプターの音が遠く聞こえる。
救急車の音、いつもの騒がしく、けれども平和な蒸し暑い東京の夜だ。
ガチャリ、と背後で勢いよく扉が開く音がした。
「間違った! お主、すまん! ちょっと我と一緒に来てくれ!」
その少女はゴスロリの格好をしていた。美しい金髪をツインテールにし、険しい顔をしているが美しい顔立ちをしている。
「お、お前だれだ?」
「はぁ!? もう忘れたのか!」
ゴスロリ少女はずいずいと俺を押し、屋上の端っこまで追い詰めた。
「ん? 何度目だったかの? まぁいいや! すまん!」
(ドンッ)
俺は勢いよく両胸を押され、突き落とされた。
「うわぁーーーー!!!!」
「真の敵を倒しに行くのじゃ! 若人!」
回転しながら落ちていく俺がみたのは、俺の後を追って飛び降りたらしい金髪の少女のあられもないスカートの中だった。
「こっち見んなぁ!」
そうして俺は生きながら、死んだ。
多分、どこかで生き返る。ふつうに。
(終)
災厄ちゃん 江戸川台ルーペ @cosmo0912
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