【百合】お題:可愛い動揺 必須要素:三つ巴

 ――誰がうさぎを殺したの?


 うさぎの死を悼んでいた皆の沈黙を破ったのは、真子の一言だった。


 真子は机の上に置いたランドセルの上で、ガラス球のようなほの青い瞳を浮かべていた。それはまるで、人の心の過去や未来までもを映し出しそうなほど美しく妖しい模様だった。


 わたしの席は真子の隣だ。一番近くで真子を見ていて、ひそかに憧れていた。それはちょうど、TVの向こうの人達に感じる気持ちのようだ。髪の毛だって、真子に近づけるために伸ばしている。


「ちょっと、真子ちゃん!! どうしてそんなこと言うの?!」


 先生がやや遅れて、ヒステリックに叫ぶ。

 みんなは「え、殺されたの? 誰がやったの?」と、犯人探しに躍起になっていく。


 こんな芸当ができるのも、ひとえに、真子のオーラによるものだった。

 艶のある黒髪はクラスで一番長く、特徴的な青い瞳は、誰よりも透き通っていた。もしここが都会の小学校なら、芸能会にスカウトされてもおかしくはない。

 それはわたしの主観ではなく、学校中の誰もが思っていたことだ。みんな真子に魅了されていた。真子に近づこうと思った子もたくさんいたけど、真子は誰とも深く付き合おうとしなかった。そのせいか、神秘性はますます増していった。


「――みんな静かにっ! 変なことを考えるのは止めて!」


 先生が、こらえきれないといった表情で言った。芝居がかったようにハンカチをとりだし、メガネをずらして涙を拭いた。

 先生はそれから、うさぎの死を通して命の大切さを伝えようとしていた。けど、犯人探しに入った今、もう何を言っても馬耳東風だった。結局、その日の帰りの会は糸が切れたみたいに終わってしまっだ。


 わたしは真子の顔を見つめながら、言葉の意味を考える。それは「うさぎを殺した人がいる」ということだ。

 本当にいるのだろうか。だって、うさぎは老衰だったはずだ。

 

 わたしはうさぎのことを思い出す。わたしが毎日世話をしてたうさぎを。


 ムクムクと太った大きめの体。ところどころ茶色い毛。少し黒くなった右耳。

 一応、茶々という名前がついていたが、その名で呼んでいたのはわたしだけだ。人間でいうとおばあさんの歳で、動きもどこかぎこちなかった。


 掃除の時に小屋のドアを開けっ放しにしてても、そこから出るほどの元気はなかった。何かを待っているかのように、開いた扉をじっと見つめていた。その呆けた姿が妙に愛らしかった。


 うさぎは飼育小屋に1羽で暮らしていた。以前は子うさぎ3羽と一緒だったのだが、近くの幼稚園にあげてしまったのだ。もしかしたら、子うさぎが来るのを待っていたのかもしれない。


 真子はそんなうさぎの様子を、3階の教室の窓からじっと見ていた。先生用の椅子に腰掛け、手すりに両腕を載せて。

 もしかしたら、真子はうさぎが誰かに殺されているのを見たのかもしれない。


 わたしはいつも、真子の視線を感じながらうさぎの世話をしていた。排泄物を水とブラシで流し、餌をあげた。週に一度は、近くにある八百屋さんにキャベツの葉を貰いにいった。


 最初にうさぎが死んでいるのを見つけたのもわたしだった。

 ちょうど猫でいうところの箱座りをしていて、掃除に邪魔だなあと思ってブラシを軽く当てたところ、全く動かなかったのだ。いつもならのっそり起き上がってからゆっくり巣穴へ戻るのに……。

 恐る恐るうさぎの背中を叩くと、不気味な硬さを手に感じた。なにかいけないことをしているような気がした。


 毎日世話をしていたのに、不思議と悲しい気持ちは湧いてこなかった。飼育委員の先生に「辛かったね」と言われても、どういう気持ちなのかわからなかった。

 それなのに、真子が「誰がうさぎを殺したの?」と言ったのを聞いたときは、誰が犯人なのか知りたいと思った。なぜなのだろう。うさぎの死より犯人探しのほうに心が動くなんて、わたしは軽薄だと思った。


 わたしは犯人のことを忘れようとした。

 けど、忘れることはできなかった。帰る途中、真子に呼び止められたから。


「あなた、うさぎが死ぬ夢を見るわ」


 そう言い残し、真子は去っていった。





 そして、わたしは確かに、うさぎが死ぬ夢を見た。

 わたしがプラシを使ってうさぎを執拗に叩く夢だった。

   うさぎは少しずつ弱って、最後には動かなくなった。


 わたしは怖くなって逃げようとした。

 けどできなかった。


 真子がいた。

 真子はあの青い瞳で、わたしをじっと見つめていた。



 一体あの夢はなんだったんだろう。わたしはなんであんなことをしていたんだろう。

 それを考えると怖くなった。


 夢には自分の潜在意識が出てくるのだと、科学の本で読んだことがある。起きているときは脳が悪い気持ちを抑えているけど、寝ている間は抑えがなくなって、こっそり動き回っていると……。

 

 わたしはそんな考えを振り払おうと、勢いよくシャワーを浴びて、少し早足で学校へ行った。けど、体の妙な疼きが止められなかった。


 締め付けるような、急かすような感じを。

 何かから逃げるような、何かを求めるような、得体の知れない感覚を。


 学校に着いたわたしの足は、夢に誘われるかのように飼育小屋へ向かった。

 そこには真子がいた。


「お、おはよ」


 わたしは声を絞り出す。真子のことはよく見てるけど、実際に話したことはあまりないのでちょっと緊張してしまう。


 それに、昨日の言葉。「あなた、うさぎが死ぬ夢を見るわ」。

 あの言葉の意味を知りたいけど、触れてはいけない気がする。

 そう思っていると、真子がその話題をした。


「見たでしょ、昨日」


 透き通った青い瞳で私を見る。私は蛇に睨まれた蛙みたいに頷いた。


「私にはわかるの。その人の表情とか、雰囲気とかでね。なんとなく周りが歪んで見えるの。きっと、その人が隠しているものが抑えきれなくなって、ちょっとずつ漏れ出してるんだと思うわ」


 真子は表情を変えずに淀みなく言った。

 真子の目は綺麗すぎて、少し怖い。何もかも見透かされているようだ。私の心の中も、悪い部分も全部。

 もし真子がみんなの前でわたしの心の中のことを言ったらどうなるだろう。きっとわたしは責められるだろう。そう考えると身がすくんだ。


「ねぇ、教室から飼育小屋を見てたのはどうして?」


 見つめらたままなのが居た堪れなくて、わたしは聞いた。


 真子は一体何を見ていたのか、何を見てうさぎが殺されたと思ったのか。

 ――誰が殺したと思っているのか。


 そこまで考えてはっとする。いけないいけない。わたしは何を考えているのだろう。きっとそれは、知ってはいけないことだ。


「あなたを見てたの」


「……わたしを?」


「そう。あなたのこと、はじめから終わりまで、全部」


 普通の話みたいに淡々と言うけど、わたしは尋常でない恐怖を感じる。全部という言葉も、あなたを見ていたこという言葉も、恐ろしいものだ。


「……どうして? ひょっとして、うさぎに触ってみたかったとか?」


 自分のことが話題になるのが怖くなって、何気なく聞いてみる。

 意外にも真子の表情が少し曇った。


「私にはそんなことできないわ」


「できないって、どうして?」


 この子でもこんな表情するんだ……と、少し驚く。

 ひょっとしてアレルギーとかだろうか。けど、真子の表情はなんというか、そんな軽いものじゃない気がする。

 もっと致命的というか、根源的というか。自分の力ではどうしようもないような何かに、抗うことすらできない感じだ。

 一体それは何なのだろう。きっとわたしには想像できないものだ。

 わたしの潜在意識が見せた夢より、もっと謎めいた、恐ろしい何か。


「――私の中、覗いてみる?」


「……え?」


 真子の言葉に気圧され、わたしは呆然とする。

 何も否定しないわたしの態度をOKととったのか、真子はブラウスのボタンをはずす。細く白い指が、綻びを一つずつ解いていく。その度にわたしは、少しずつ息が詰まっていくような気持ちになった。

 目を離せば元に戻るかもしれないのに、それすらできない。鎖骨、下着、お腹と、少しずつ体が顕になる。


 真子は全てのボタンを外すと、前見立てを掴んで広げる。下の素肌を隠すものはなくなってしまった。わたしはその部分を見た。

 すごく綺麗だと思った。清涼飲料水のCMみたいに、体が泡になって海に溶けていくみたいだった。わたしの体とは成分が違うのかもしれない。


「どう思う?」


 素肌をさらしたままで真子が言う。二人だけの飼育小屋で、真子を見ているのはわたしだけだった。そのことを意識すると、口の中が固まって苦しくなる。

 息苦しいのは、綺麗だからだろうか。それとも、真子の体を独占しているという高揚感だろうか。


「どうって……綺麗だと思うけど」


「――そう」


 無意識に答える。だが、真子の表情は曇ったままだ。

 どうすればいい? わたしはどうしたい?

 自分の心が醜くなっていくのを感じる。うさぎの夢を見たときの感触に似ている。


 この体が欲しい。

 青い瞳と白い体に溶け込んで、何もかもを思い通りにしたい。

 頭の中のうさぎをブラシで叩く。

 そこをどいて。わたしの邪魔をしないで。


 けど、わたしの意識はチャイムによって現実に引き戻された。ここが学校なこと、自分のしようとしたことがはっきり意識される。

 その感触から逃げ出したくて、わたしは飼育小屋から駆け出した。





 ――やさしい、いい子。


 わたしに向けられるのはいつもそんな声だった。


 1年生のときからそうだ。クラスで勉強ができない子に教えたとき、先生に「やさしいねぇ」と言われた。けどわたしは、自分の班の点数が下がるのが嫌だっただけだった。先生は班ごとにテストの点やドリルのスピードを競わせていた。いい順位に行くには、下の人を上げたほうがいいと思った。ただそれだけだ。


 飼育委員を選んだのも、ただ単に委員がひとりだったから。家では大抵ひとりでいたから、その方がやりやすかった。世話好きというわけではなかった。


「うさぎさんは幸せね」


 先生はそう言ったけど、本当にそうだったのかな。

 うさぎは喋らないし、笑いもしない。餌をあげても掃除をしても、わたしには興味なさそうだった。


 それなのに、どうして先生は心の中までわかったように言うんだろう。わたしが思ったことって何なのだろう。


 ああいやだ。こんな醜いことを考えてしまうなんて。早く忘れて眠ってしまいたい。

 今日も変な夢を見てしまうのかな。

 わたしはいい夢を見ようと、別のことを考える。


 真子の綺麗な体が頭に浮かぶ。こんな綺麗な夢ならいいのに。

 けど、夢には何も出てこなかった。

 自分の夢なのに、どうして思い通りにならないんだろう。


 真子のせいだ。

 あいつがあんなことを言ったから。

 あいつさえいなければ……わたしは……





 衝動にまかせたまま、飼育小屋に向かう。今日も檻の中に真子がいた。まるでそこにいるのが自然であるかのようだ。

 どうしてこの状況で自然でいられるのだろう。

 わたしは怒りをぶつけてしまった。


「真子さんみたいな人が、どうしてこんなことするの?」


「私はこうなの」


 わたしとは対照的に、淡々と答える。まるで世間話でもするみたいに。わたしのことなんて聞いてないみたいだ。

 苛立ちをぶつけたい、と二の矢を継ごうとしたら、。


「私、みんなが思ってるほど綺麗じゃないのよ。親には可愛げがないって言われるし、心の中ではいつも汚いことばかり考えてるの。

 うさぎを見ても、みんなみたいにかわいいと思う気持ちが湧いてこないの。だから、毎日世話をしてるあなたが嫌だった。

 だって、まるで私へのあてつけみたいじゃない。あなたはこんなふうにうさぎを愛することなんてできないでしょって。私の心が汚いのを見透かしてるみたいで、怖かった」


「それで殺したなんて言ったの?」


「あなたがどんな顔するのか興味があったの。けど全然驚いてないみたいだったから、ちょっといたずらしてみたの」


 真子の表情が崩れる。

 それはクラスの皆が憧れていた綺麗な女の子じゃなかった。わがままで意地っ張りで不器用な、わたしたちと同じ普通の女の子だった。

 怒ってやろうとしたのに、思わず拍子抜けしてしまうほどの。


 そして、真子の告白がわたしの悩みとどこか似ている気がした。わたしも心が綺麗じゃないのに、周りの人に綺麗だと言われて嫌だった。心を操られてるみたいな感じがして怖かった。


「わたしもそうだよ。うさぎ見たって、かわいいなんて思わないもん。かわいくて世話してるんじゃない。ただ係だから仕方なくだよ。立候補したのは、一人でやれる係にしときたかっただけ」


「それでも……、それでも私は、あなたを羨ましいと思うわ」


「そうなのかな」


「そうよ。私には綺麗に見える」


 そうなのだろうか。わたしはうさぎを……茶々をかわいいと思っていたのだろうか。何かを思いやる、綺麗な心を持っているのだろうか。たとえ綺麗な心なんてなくても、周りから綺麗に見えれば綺麗なのだろうか。

 よくわからなった。けど、心は少し軽くなった気がする。軽くなった心は、別のことを考え出す。周りから見れば綺麗に見えることを。


「じゃ、真子さんも飼育係になれば? 別に二人いちゃいけないわけじゃないし」


「そうね。でも、うさぎはいないわ。何を飼うの?」


「そんなの決まってるじゃない」


 真子、あなたを飼うのよ。

 お勉強も、身の回りのことも、心の中も……お世話してあげるわ。


 全部、わたしの思い通りにしてあげる。

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