【エッセイ】お題:フォロワーの映画館 必須要素:即興イラストのステマ

 Twitterのフォロワーが映画館になる。心躍らせる表現だが、同時に鑑賞後の心に倦怠をもたらす表現でもある。まぁ、僕がTwitterで変な人達をフォローしすぎているせいもあるのだろうが、それにしても倦怠に思う。


 映画というのは構成が大事だ。最初から最後まで、順次追っていくような展開は退屈そのものだ。いきなりクライマックスを提示したり、何度もループするのはもちろん、色々な人へと立ち代り立場が変わるなど、趣向を凝らすべきだ。普通の展開の映画をやるなら、ドラマで12週かけてのんびり放送した方が良い。

 しかし、フォロワーの映画館も作ってしまったら、みんなが好き勝手にシーンを盛り込んで前衛絵画のようになってしまうだろう。何事も加減が大事だ。


 Twitter映画館について考えながら夜の動く歩道に乗っていると、何だか夕日になった気分になる。自分はこのまま、あの断末魔の輝きを放った後の太陽のように、虚しく消えていくだけなのだろうか。僕は、そんな憂鬱な錯覚に対して、抗議してみる。朝日のように、地平線から力強く這い上がるために。


 そのためには、意図的に生きなければならない。主体的にTwitterと関わるべきだ。全ての行為に理由をつけるべきだ。僕はTwitterで誰をフォローしているのかが良くわかっていない。アイコンが可愛いとか、趣味が合うとかいう理由でフォローしたが、可愛いのは単に絵師の力だし、趣味の楽しみ方は合っていない。

 だから、このフォロワーの映画館というのは、ひどく退屈なものだった。電車の中で、周りの乗客の世間話を聴いているようなものだ。僕はそこに入り込むことは出来ない。


 そんな時、僕はよく即興イラストをすることにしている。お題に沿って、ペンの運びだけに集中していると、鬱々とした心がほぐれて行くように感じられる。いい絵でもまずい絵でも同じだ。心の晴れやかさに、絵の出来は関係なかった。


 投稿する先はTwitterだ。即興イラストはTwitterアカウントがないと登録できないため、投稿作品は自動的にTwitterに行く。きっとこの絵も、誰かの映画館のワンシーンになるのだろう。そう思うと、自分の描いた絵が退屈なものに思えてくる。

 全てはTwitterが原因なのだ。僕は決めた。即興イラストは続けるが、Twitterはやめよう。

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