【文学】お題:黄色い姫君 必須要素:フォロワー達が○し合い
最後にカレーを食べたのはいつだっただろう? カレー屋に向かい自転車を漕ぎつつ、そんなことを考える。
天気は一面曇りで、太陽は雲の上に追いやられている。もしカレー日和というのが存在するとしたら、今日は間違いなく当てはまらないだろう。誰がこんな陰鬱した天気に陽気なカレーを食べるのだろう?
これは僕の持論なのだけど、感情というものが相殺されることはあり得ない。楽しいTVを見れば悲しい気持ちが和らぐとか、怒っているときにアロマを嗅ぐと落ち着くとか。一見理にかなっているようだが、そんなことをしても、感情のほうは何ともないのだ。
――感情はただ、そこに、存在している。
そんな天気なのに僕がカレーを食べに行く理由は一つ。要するに、僕はせっかちなのだ。行きたいと思えばその日に行く。だめでも翌日には行く。そうでもしないと、カレーの味や香りで頭が一杯になってしまう。
思い立ったがlucky day、そういう性分だ。
運転中に落としたスマホが偶然自転車のカゴに入って助かるなどの幸運に恵まれつつ、目的地に到着する。黄色や赤で着色された大衆居酒屋に囲まれて、民家風の白壁が少し居心地悪そうにしていた。
一応看板メニューをチェックすると、ランチタイムメニューに、twitterでオススメされてたカレーがある。ものすごく人気で、フォロワー達が殺し合いでも始めそうな勢いでカレーに殺到していた。
看板にあった写真はとても美味しそうな見た目をしていた。カレーの海にうっすらと浮かんだ具が、本格派であることを証明している。
昨日は仕事があって行けなかった。でも、今日はとことん食べる。今の僕の胃袋は、完全にカレーだ。
意気揚々と店の中へ行くと、ひげの生えたウェイターに、4人がけのテーブル席につくように促される。そのウェイターは、どちらかと言うと、飲食店向きの顔ではない思慮深さを持っていた。まるで、山奥の木や石を切って特殊な音色を響かせる楽器を作っていそうな雰囲気だ。僕は彼にランチを注文した。
店の雰囲気は中々だった。背伸びして手を伸ばせば届きそうな天井から、裸電球がぶら下がっている。棚の上に置かれた黒いオーディオ機器から、異国から届けられた新鮮な打楽器の音が聞こえる。歌は何語かわからないが、多分ロクでもないことを言っているに違いない(大抵の歌はそうだ)。
そういえば、カレーの色は茶色だと思うけど、世間では黄色だと言われているそうだ。一体なぜなのだろう。僕は無類のカレー好きで、しょっちゅうカレーを見ているけど、黄色だと思ったことはない。そりゃ、インドカレー店でターメリック系を頼めば黄色いのが出てくるけど、普通のチェーン店は茶色だ。
知りたい人のためにちょっと紹介しておくと、僕が一番美味しいと思うレトルトカレーは、カリー屋カレーだ。あんな美味しいものが100円以下で手に入るなんて、本当に素晴らしい世の中だと思う。
そして、急に思い出した黄色いカレーは、なぜか僕の心臓をトクンと叩いた。只の一度きり。でもそれは、湖に小石が投げられた時のように、徐々に波紋を広げていった。やれやれ、なんでカレーなんかでドキドキしなくちゃならないんだ?
カレーが運ばれてくる。すると、ちょっと変わった猛烈な辛さが襲ってる。かなり特殊な感覚だ。まるで、大学のサークル勧誘で親しげに近づいてきた先輩のようだ。全く普通と見せかけておいて、僕が辛さに沈んでしまう頃には、ふっと姿を消している。
もちろん、味はパーフェクトだ。実に見事。だが、想定外の辛さで、意識が朦朧としてくる。
『あなたのことは好きです。でも、どうしてもカレーだけは好きになれません。あの茶色くドロドロしたものが私の口に入ることが何を意味しているのか、あるいは何を象徴しているのか……。それを考えるとひどく不気味なのです
いつか、あなたと遠くはなれた場所で、カレーと出会った時、不意にその意味が理解できるのかもしれません。でもその時にはきっと、理解する必要もなくなっていると思います』
最初に付き合った彼女は、最後のメールでそんなことを言っていた。彼女は、何度言ってもカレーの色が茶色だと信じてくれなかった。
いくら丁寧に教えても、彼女は僕の主張を異国からやってきた得体の知れない病原体のように見ていた。彼女は黄色い国のお姫様みたいだった。
今思うと、もしかしたら本当にカレーは黄色だったのかもしれない。僕は彼女の言い分を聞くべきだったのかもしれない。食べ終わった僕は、ウェイターに聞いてみた。
「すみません。変なことを聞いて申し訳ないのですが、このカレーの色は『何色』って言います?」
するとウェイターは、表情一つ変えずに答えた。
「茶色だよ。茶色は人間を自然に還してくれる、最も根源的な色だ」
僕はそれを聞いて嬉しい半面、混乱した。
なぜだ。世間ではカレーの色は黄色ではなかったのだろうか。
ウェイターは、どうぞごゆっくり堪能下さい、というようなお辞儀をしてゆっくりと去っていった。その動きは、なぜか一瞬の動きに見えた。
ウェイターはもういない。僕には彼に反論することができなかった。僕は、ここが茶色い世界だと認めてしまった。彼女のいる黄色い世界は、もうどこかへ消えてしまっていた。
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