8.芝宮涼子は悩んでいる

 いつものとおり、僕らは戸締まりを終えると、下校して帰路につく。

 もう暗くなった帰宅途上の道。居並ぶのは、芝宮先輩、百道、そして僕だ。

 僕と百道は、芝宮先輩の顔色を伺っている。

 競技会に出られないかもしれない、ということが芝宮先輩にとって、重大な懸念事項であることは、これまでの僕らの馬術についてのレクチャーに対しての姿勢から十分に伺い知ることが出来る。

 そして、僕らとしても、芝宮先輩には競技会に出てほしいと考えていた。

 ただ、それを決めるのは大戸先生で、町山先輩は明らかに、今日の出来事を先生にチクっただろう。ほんと腹立たしい奴だ。

 重苦しい空気のなか、芝宮先輩が口を開いた。


「聞きたいんだけどさ、乗馬ってさ、金持ちの遊びなの?」

「え」


 あっけにとられて百道が聞き返す。


「親父がさ、馬術なんて上級国民のお遊戯にお前みたいのが入って、やっていけるわけないってさ」


 確かに、お乗馬なんてスポーツは庶民からは程遠い。ぶっちゃけ、うちの両親も馬術部に入ると言ったら驚いていたっけ。


「そ、そんなことないと思いますよ、うちも貧乏だし」

「うちも別に、サラリーマンだし……」


 百道と僕がフォローを入れる。貧乏でサラリーマンなのは事実だ。しかし、芝宮先輩はそれとは別の育った環境における悩みみたいなものがあるような気がした。

 幹線道路を戻る途中で、傍らを改造した高級車が走り抜ける。

 芝宮先輩が、車を顎で指して言う。


「あたし、ああいうのほんと嫌なの。こないだのバカどもとか、親父とかみたいになりなくないの。だからさ、真逆っぽいことやろうとしたんだよ」

「真逆ですか……」

「馬ってさ、のったらどこかいけそうじゃん? 車とちがってエコだし」


 ギャルと馬術は確かに真逆だ。そして確かにエコだ。

 うつむく芝宮先輩。馬に負けないくらい長いまつげ。つけまじゃないと、最近知った。


「でも、みんな邪魔するの。余計なことするし、あたしがバカなの良いことにつけこむしさ、お母さんもバカなんだから、さっさと水商売でもして働けっていうしさ。なんで? あたしなんか悪いことした? 何でみんな邪魔するの?」


 芝宮先輩の言葉に、泣き声が交じった。

 僕らは答えに困る。

 他人には、理解しようもない労苦を背負う人がいる。

 芝宮先輩が何を背負っているのかはわからない。けれど、少なくとも、芝宮先輩は時に女子高生には荷が重い状況にあるのだろうと思えた。こないだの車で連れ去られた事件だって、一歩間違えば──何かあってもおかしくないと思えた。

 芝宮先輩が鳴き声混じりに言う。


「ごめん……今の……誰にも言わないで」


 僕は理解する。

 芝宮先輩は、自身を縛り付けている父親や母親の生活から離れたい。抜け出したい。逃げ出したい。その為に彼女はけっこう本気で馬術を選んだのだ。


「……はい」

「言いませんよ」


 僕と百道はそう応えるのが精一杯だった。

 そして、コンビニ前で芝宮先輩はひとり別方向に向かって返っていった。力なく手を振って。

 残された僕は立ち尽くす。何かしてあげられることはないだろうか、と考える。しかし何を? 高校生ごときが、ひとさまに何をしてあげられるっていうんだ?

 

「ちょっとコンビニよろっか?」

「え」


 百道が言った。


「買い物」

「何買うんだよ?」

「包帯。あんたも半分お金だしなさいな」


 僕はそう言われて、半信半疑ながらも従った。 

 少なくとも、百道も同じように芝宮先輩に何かをしてあげたいと思っているようだった。

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