5
翌日、家を出ると家の前であすかが待っていた。朝起きれないあすかがそんな風に待ち伏せていることが驚きだったし、鋭い目で威嚇するように睨まれた。
「なんで無視するんだよ」
返すことばは見当たらなかった。
「ごめん。梓が何考えてるか教えてくれよ」
あすかは急にすがるような目になった。
「なんでもないよ」
傷つけることを避けようとすればほんとうのことなど何も言えない。
「じゃあ、なんでもないなら、無視するなよ」
あすかは少し諦めたように言った。
「俺が、女物の浴衣着てたから?」
それもひとつだけれどすべてではない。
「あれは遊びでたまたまやっただけだから」
何か言わなくちゃいけないのに何もことばが浮かんでこない。
「ごめん」
ようやく搾り出したのがそんな容易すぎることばだった。
「いいよ。もう」
あすかは駅の方を向いた。
「ただ、遊びで着ただけだって、梓にわかってもらいたいだけだったから」
何を想ってそんなことを言っているのか、何を感じながら歩き出したのかまるでわからなかった。あすかがいちばん大事にしている部分をくれようとしているのに受け入れようとする気がわたしにはまるでない。でもいまは本物のあすかのことをちゃんと考えることができなかった。
その日、あすかは学校に来なかった。先に歩き出したのに教室にいないどころか何時間経っても来なかった。
「榎木どうしたんだろうな」
休み時間に沼井くんが心配そうな顔で加茂野さんたちに言っていた。
「メール返ってこない」
「よっぽど具合悪いんじゃないの」
窓辺のひとたちがそうやって言っているのをきいて安心していた。あすかがいないところで誰かがあすかを悪く言うなんてことはしていない。いつもそうだった。
翌日、あすかは何ごともなかったかのように学校に来た。そのまま上期の終業式までわたしたちはひとことも話さなかった。学校は話をする場所じゃないから、あすかが家に来ないならことばを交わすことがないのは当然だった。
夏休みに入って、毎日抜け殻のように過ごした。キャンバスの絵は色をのせられないまま、見つめたり、布をかぶせて見えないようにしていた。描き足せば壊れてしまうような気がした。それならこのまま線画のままでいい。
ベッドに横たわって布をかぶせたキャンバスを見た。
わたしがあすかのことを好きだと言ったのもこの部屋だ。この部屋でわたしたちはいけない遊びをして、ふたりだけ世界から切り離されているような錯覚を愉しんだ。でも、それももうこのまま終わる気がした。そしたらわたしは、この先誰を好きになるんだろう。そのひとは果たして男性だろうか。女性だろうか。またあすかみたいなひとを見つけて好きになるんだろうか。あすかはどっちなんだろう。この先、あすかはどんどん女の子になってしまうんだろうか。――結局わたしは、あすかをベースにして勝手な夢を見ていただけだ。あすかの気持ちは全部、無視して。
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