"その蕾が開く鍵"-8


 なんて羞恥プレイだ、とは思うけど、やっとあの時の勇気にちゃんと向き合うことができると思ったら別にどうでもよかった。

 改めて、奴の正面に座りなおす。

 あの時のあたしは、悔しかったのだ。

 あんなあたしなんかを想ってくれた気持ちを、ちゃんと汲めなかったこと。

 こんなあたしなんかを、密かに想っていてくれた、温度に逢えたのに感じられなかったこと。

 きっと、無様でも頼ればよかったのだ。

 本当なら訴えるはずの痛みを、あたしは耐えようとしてしまったのだ。

 いつかどこかの話にあったね。痛みは「耐える」ものじゃない、「訴える」ものなんだよ、って。

 けれどできなかった。愚かな自分は強がることでしか、自分を守ろうとしなかった。それしかないと想っていた。誰かに頼ったら巻き込んでしまう。

 そんなことは、絶対にしてはいけない。あたしごときが、誰かにそんなリスクを背負わせるわけにはいかない。

 あたしから、誰かに負を連鎖させるわけないはいかない。

 結果、自分のプラスの思いとそこから5年にもわたるかくれんぼが始まる。

 影踏み。

 そして、その手紙は。

「……世界だなこれ」

「どう言うことだ?なんて感想だよまったく」

「瑞帆っていう、世界が、ある気がする」

「意味がわからん」

「ちなみにこれ、書いた当時は誰に宛てて書いたんだ?」

「…お前に読ませた以上、わかってるだろ」

「……」

「やっと、その手紙の正しい宛先がわかった。やっと届けられた。やっと、わかった」

 影が伸びる。ぐんぐん、ドーピングしたように。

「最後に一言だけ。今まで、本当にごめんなさい」

 あたしはまた軽く頭を下げる。その間も影は伸びていく。

 影踏み鬼なら一瞬で敗北してしまうだろう。

「い、いやいいから!瑞帆!」

「うん。いいから。聞いて」

 慌ていふためいたような奴が、大人しくなる気配がする。

 頭を上げて、立ち上がって、また手紙を取り出した時のように背を向ける。

 これはまずい展開だけど、自分で始めたことだ。

 そして、雪帆が作ってくれた時間でもある。

 それなら、チャンスだと想った方がいい。

 あたしは、あたしを砕きにいく。

「……もう夜も遅いけど、まだ少し時間大丈夫か」

「お、おおう……瑞帆がいいなら」

 あたしは、あたしの耐えてきた痛みは、もう限界になりつつある。

 かくれんぼは、どうやら敗北みたいだ。

「…結論から、言う」

「うん」

「あたしは…あたしには、絶対に章が必要なことは、わかってたんだ。

 けど、それを訴えられなかった。おま…君が、ずーっとずーっっと大切だったのに、踏み出す必要性がわからなくて、幼馴染として足踏みばっかりしてたら、あるとき突然トイレで、頭からバケツ2杯分の水が降ってきた。

 けど、そんなこと言えないって、反射的に想った。誰かを巻き込んじゃいけないって。

 そこから、自分の考えとか、思いとかに対しては、絶対的な否定の連鎖。いじめられてるだけの自分じゃダメだって想って、立ち振る舞いも変えてみた。口調だってそう。

 なのに、章は学校の外で声をかけてくる。あれ、狙ってただろ」

 章からしたら、ただ背中が語ってるだけだけれど、音が飛んでくる。

「…なんとなく、は察してたから。何もできなくて、すげえ悔しかった」

「それはいいんだ。それをどうこういう気もないし、どうこうして欲しかったなら、あたしがちゃんと……助けてって……言わなきゃいけなかったんだ。ものすごく大事な思いを伝えてくれた君の勇気に比べれば、そんなのはどうってことないことだったはずなのに。あたしは、それができなかった。けど。だから」

 変化の足音がする。

 影と日向が、まるで逆転するみたいに。

 そのまま机に収まっている椅子の背もたれに両手を付く。

 膝が震えてきた。これだ。これが、苦手なのだ。

 視界も歪んできた。勝手に。

「あたしが思うその、勇気に値するであろう気持ちで、応えなきゃいけないって想ってて」

 ゆっくりとあたしは章のいる方に向き直った。

「けれどできなかった。あたしは自分の気持ちを、影だって思い込むようにして、あたしなんかが抱いてはいけないものなんだと。でもそう思った時にはもうどうしようもなかった。まるで丸腰のかくれんぼ」

「……瑞帆…」

 章が立ち上がって、ポテチの境界線を越えてくる。

「あたし……あたしは、なんで。きみの」

「……」

 章の手が、濡れているあたしの頬に触れる。その優しさが、最強の武器の必殺技のようにあたしの心の壁を一撃で砕く。

 きっと嗚咽で、何を言っているのかわからないかもしれないけど、きゅうっ、と締め付ける喉元も無視して、あたしは声を出す。まるでか細い蜘蛛の糸みたいな声量。

「きみのことが…」

 涙で視界が歪みきって定かじゃないけど、多分、目が合ったから、もうダメ。

「なんであたしは君を。

 こんなに好きなんだろう…」

 頬に触れた手が背中に回って。

 とうとう声を上げて泣きじゃくるあたしを、優しく抱きしめる腕になっていた。

 ずっと。

 ここに、ずっと来たかったのに。

 壊れるくらいに好きなのに。

 バカなあたしは。

 こんなことすら、できないでいたのだ。

 あたしを開く鍵は、こんなすぐ近くにあったのに

 ずっと拒否し続けていたのに、ずっと待ってくれていたのに。

 章に抱きしめられる熱が、ゆっくりと凝り固まったあたしほぐすように伝わってきて。

 あたしがあたしじゃなくなるような、すごく不思議な感覚。

 きつくもない。けれどちゃんと感じる、毛布みたいな抱擁は、あたしが泣き止むまで続いて。

「やっと、ちゃんとお前に触れられた気がするよ。瑞帆」

 別の呪いが始まる。


 そしてそれは今度こそ、解呪なんてできない。

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