"その蕾が開く鍵"-5
そんなことを思い返していたら自分が嫌になって、再び課題に取り組み始める。
もうそろそろ18時30分。
あと一時間もすれば両親も帰宅する。あ、そういえば今日はあたしが夕食当番だ、と思って、キッチンへ向かおうと階下へ降りると、妹の雪歩がちょうど帰ってきた。
「たっだーいま」
「おかえり」
共働きで妹
「あ、姉ちゃん。ちょっと話があんねんけど」
「なんで関西弁」
「ええから。部屋行くで」
だからなんで関西弁。なんか、雪歩のその様子は妙に浮かれている様な感じがする。
「でもご飯作らなきゃ」
「…そうか。わかった」
あからさまな意気消沈。何をそんなに期待していたんだ何を。
「じゃあ、お風呂一緒はいっても良い?」
信じられないかもしれないけれども、秋野家の高校生姉妹は割とよく一緒にお風呂をすませる。
「良いけど…なに?」
「良いから。あ、ご飯手伝うよん」
「ありがとう。手洗っておいでね」
「うん」
なんだろう。こう言う時は大抵雪歩が泣きじゃくる様な悩みを爆発させられるのだけど、今回ものその流れだろうか。
夕飯を二人で作っていると両親が帰宅して、すぐに料理は仕上がった。
いつも通りに四人で夕飯を摂り、あたしから順番に入浴を済ませようと思ったが、そういえば雪歩の件があると思って洗い物も引き受けて両親を先にして、二人で入った。
若干タイミングをずらして、あたしがルーティンの作業を終えて妹が入ってくる。
「たーのもーう!」
「道場破り設定!?」
「今日は掘るよー」
何をだ。油田?
「何よ、掘るって」
「さぁ先ずは体を洗いますよー」
「実況良いから」
宣言通りに掛け湯をした後に体を洗い始め、泡だらけになる雪歩。
「お姉ちゃんさ」
「ん?」
湯船のお湯に浸かり手持ち無沙汰にしているのを察したのか、雪歩が声を発した。少し迷っている様にも聞こえる。
「なんであんなに章くんに厳しいの?」
「なんでって…」
「まだ引き摺ってるの?」
痛いところを突いてくる。さっき部屋で回顧したこととリンクしてしまって、つい架空内臓器官である心が本音にアクセスしてくる。
「…そうでなくても、あいつはどうでも良い気を使っているだけだから、まともに取り合うだけ無駄でしょ」
「……面倒だからはっきり言うけど」
体の泡を流しながら
「私の好きなお姉ちゃんは、そんなんじゃない」
「…いっときからそれ、すごい言うよね」
今日はなんなんだ。あの頃にまつわることが次々と想起される。
「だってあからさまに変わったんだもん。やっぱり、あのクソ僻みが原因?」
「クソって……」
「だってそうじゃん。なんでそんなの、お姉ちゃんが受け止めなきゃいけないのよ。意味わかんない。あたしの好きなお姉ちゃんは、もっと強くてキラキラしてるんだもん」
「……」
「それに強かったよ?今みたいな剣みたいな感じじゃなくて、盾みたいな強さ」
言いたいことは、わからなくない。けれど。
「でも…わがままで他人を傷つけるわけにはいかないし…」
「それは相手が選ぶことでしょ」
体を洗い流した雪帆は洗顔に取り掛かる。
「そうかもしれないけど、迷惑の原因になることが見えていてそんなことできないに決まってるじゃん」
「知ってるよ。けどさそれは気を使いすぎ。人間一人で生きいけないことなんて分かり切ってるでしょ?」
「それは、まぁ」
「あたしの大好きなお姉ちゃんは、強いよ。でもそれは弱いってことをちゃんと知っているからなんだよ。その弱さで強くなれたら、優しくなれるはずなのに、トゲトゲなんだよ今。それ、なんでだと思う?」
まるで、心の支柱を爆破テロする様な言葉。
「……」
「わかってるくせに。自分の気持ちを否定しすぎなんだよ」
「いやだってそれは」
「考えちゃいけない?思っちゃいけない?それで、お姉ちゃんの大事な人を不幸にしていることになんで気づかないの!今まさに、お姉ちゃんはわがままで誰かを傷つけてるんだよ!」
顔を流して洗髪に移る雪帆。
「誰かが、誰か、私はわかるけど、お姉ちゃんもわかるでしょう?」
「え……」
ぼんやりと輪郭だけ思い浮かぶ人物はいるけれど、顔が判別できないのは、きっと自分に対する否定のせいだろう。とは、思うけれど。
「もう!いつからそんなにダサくなった!私はお姉ちゃん大好きなの!だけど、私の好きなお姉ちゃんはもっとカッコよかった!負けないで、強くて、弱音あまり吐かなくて、でもなにかあればあたしには話してくれた。少なくとも学校から帰ってきた後に制服のままでベッドに突っ伏して泣いてなかった。でも、今は真逆。ダッサ。自分で勝手に負けっぱなし。自信もない。弱り果てて、タチ悪い方のかまってちゃんみたい」
あたしが言葉を挟む隙もなく続く雪帆の言葉に、揺さぶられていくあたし。
「なんで!?何で言ってくれないの?あたしの好きなお姉ちゃんが」
髪を洗い終えたらしく、シャワーで泡を流していく雪帆。
「汚れてく。そんなの、私は見たくないし、そうならないためならなんでもする。前力になれなかったこと、本当にごめんて思ってるから余計に」
そこで一呼吸置く様に浴びていたシャワーを止める。
「…ね。章ちゃんのこと」
「……わかってる」
「なら」
「ダメなんだ。ダメなんだよ。あいつのことになると、意味がわからなくなる。何がしたいのか、何を思っているのか、何をしたら良いのか。急に、何もかもが奪われるみたいな感じで、全部が止まっちゃう。あたしがどこかにいっちゃう」
「違うよ。それはお姉ちゃんが把握できない速さで気持ちが動いてるんだよ」
髪から水気を削いで、ちょっと失礼、と言いながら湯船に浸かるあたしの隣に入ってくる。
「ここなら、誰もいじめない。誰も嫉妬もしない。お姉ちゃん。馬鹿みたいに、恋してるんでしょ?」
言われた瞬間、息ができなくなる。
ひた隠しにしてきた、影。
あたしの強がりの後ろ側に隠してきた。
それを発露してしまったら、あたしは今度こそ後ろから刺されてしまう。
馬鹿臭いと思う人もいるだろう。
けど、中学の暗黒は、あたしに、その気持ちを全否定してコンクリート詰めしてマリアナ海溝に沈めるくらいしなければならないくらい、命の危機すら感じるほどのものだったのだ。その引き金になった奴に、彼に、頼ることだけは絶対にしなかった。きっと、彼は妹から聞いて事の詳細を知っているとは思うけれど、それでも、と言うか、だからこそ何も言えない。
自分からは言えない。
泣いた跡を無様に晒してリビングに降りていったあの日を盛大に後悔する。
「……過去のことはいいんだよ。今どうするかなんだよ。そんなこと、本当はわかってるんでしょう?」
「……」
「怖いのはわかるよ。でも…」
「……なに」
「お姉ちゃんなら大丈夫だよ」
「…雪歩だって、章のこと」
「ああ、あれ?あれは失敗した作戦」
「…え?」
「本気だと思った?あのとき私彼氏いたし」
「……え?!」
「まあ今のは冗談。確かに章くんのことは好きだけど、あれは口裏合わせただけ」
「なんでそんなこと」
「決まってるじゃん。お姉ちゃんが、私に章くん取られたくないって思ってくれないかなぁって思っただけ。教科書焼かれたぐらいのころだっけか」
「うん……」
このときあたしは、一つの違和感を完全にスルーしていた。
「ねぇ。お姉ちゃん。私は、お姉ちゃんのこと嫌いになりたくないんだ」
「うん」
「わがままだけど。けど同じくらい、お姉ちゃんに章くんのこと嫌いになって欲しくないんだ」
「……」
「頷けボケ」
と、浴槽のお湯を両手でバシャリと頭からぶっかけられる。
「…はい」
顔をぬぐいながら答えるあたし。泣きそうなのに気づかれたのだろうか。
「前みたいに、明るくなって欲しいんだ」
「うん」
「私のこの気持ちを嫌って思う?」
「思わない」
「なら、上がろう」
ん?どう言うこと?それとお風呂から出るのと、なんの関係が?
「答え、出たじゃん。章くん、もう10年も待ってるんだよ」
「……へ?」
「あー暑い。これ以上浸かってたらのぼせちゃう。先に上がるね」
「あ、あたしも」
話がはぐらかされた感じがしたけれど、もうふにゃふにゃだったのであたしも一緒に出ることにした。
事後処理を順番に終えて、あたしが雪帆の次にドライヤーをかけてから脱衣所兼洗面所を出る。リビングは真っ暗になっていた。
すでに雪帆は部屋に戻っている様だ。
少し喉に枯渇感を覚えてリビングの電気をつけ、乾いてヘアオイルがまだ染み込みきっていない髪を少しいじりながら、リビングから繋がっているキッチンで一杯だけ水を飲む。
「はぁ…」
どうしろと言うのだろう。
雪帆の言葉も意思もわかる。
けれど。
「できないよそんな…」
心の中がクチャグチャだ。こんな状態で放り出すんじゃない妹よ。
リビングの壁時計で時間を確認すると、まだ10時前だった。もう少し課題ができると思いつつ、重い足取りで部屋に戻る。普段なら駆け上がる階段がやけに二階が遠い。
みんながプライベートスペースに戻った家は、とても静かでより思考が進んでしまう気がする。
早く部屋に戻って、一旦音楽でも聴こ。
と、部屋の扉を開けた瞬間。
「…おお。やっときた」
床に座って雑誌を読んでいる章がいた。
クソ妹が。
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