"散りゆくはなびらの、行く先に"
あまり履きなれないヒールのかかとが痛い。
普段学校の時はだいたいかかとのあまり高くないサンダルとかスニーカーとかなのだ。就活用のパンプスももうだいぶ履いているはずなのに、合わないのかなかなか足が慣れてくれない。
もういい加減にどこでもいいから決まって欲しいなぁ。と思わざるを得ない。目標もあったはずなのに、それすら霞むくらいに自暴自棄になりたい時もある。けれど、できれば彼とはあまり離れたくない、と思うけど、それももうどうでもよくなってしまうかもしれない。
大学三年ももう終わる。
もう周りはすでに内定をもらってる友人もいるのに、私は空ぶってばっかりだ。
もう少しで季節は4月。桜も、満開とは行かないまでも、梅はもう最盛期だ。そんな花を見上げながらつくため息ほど、幸せを遠ざけるものもないのかもしれないなんて思いながら流し込むペットボトルのカフェオレが、私の現実を意識させてくるからタチが悪い。私は君が好きだから飲んでるんだよ。意地悪しないでよ。もう。
痛い足を引きずって夜の9時。もう自炊なんて面倒になってコンビニで夕飯を買い込む。就活の後に大学で課題を片付けていたらこの時間になってしまった。一人暮らしの部屋に着いた傷心の私は、颯爽とパンプスを玄関に転がしてリクルートスーツという呪いを解く。
あ、やっぱり靴擦れしてる。
まったくこれだから。
シャワーを浴びて夕飯のリゾットをレンジで温めながらレンジの対面のシンクの淵に寄りかかって終わるのを待ちつつ、スマホをチェックするけど、やっぱり連絡はない。
やっぱりあれはそうなのかな。
最後にやり取りをしたラインは4日前。今日しなければ、もう5日になる。けれど、焦ってこちらから連絡するのは、何か気分が違った。負けてはいけない。私は多分まだ好きだけど、向こうがそうでない証拠を残す。いや違う。向こうから連絡を望ませるくらいでないといけない、と思いつつも、私はそれを見てしまった。
もう内定を獲得している彼は、私とは生活のペースも活動スケジュールも違う。
飲み会だっていけないし、ほとんど学校にもいない。
けれど彼は違う。残りの大学生活、内定取り消しされないようさえしておけば自由な学生なのだ。完全なるモラトリアムの中にいれば、ろくに予定の合わない彼女の必要性は低い。それな、という考えになっても不思議なことではないとは思う。別に運命感じてるわけでもない。
けど、私にとっては初めての恋だったから、きっともう、慣れてる人にしたら未練たらしいことをしているのだろうとは、思う。
思う、けど。けどさぁ。
あいつだって就活の厳しさは知ってるんだから少しくらい優しくしてくれてもよくない?と思わな雲ない自分もいる。
子供の頃から無駄に物分かりのいい手のかからない子をやってきた。下に二人妹弟がいることもあるけど、そういう扱いの長女なのだ。こればっかりはそうならざるを得なかった。
だから私は、こういう時にわがままが言えない。
そう思って、ふと気づく。
あ、日が明けたら、もう一週間も会っていないことになる。
なのに、あいつは昨日、同じ大学の女の子と腕を組んでいたのだ。
ずり。
ずりずりずり。
シンクに寄りかかっていた腰が、ゆっくりと力の抜ける膝に従って下がっていって、背中を擦り始める。
そのまま床に座り込んで。
電子レンジが夕飯の温めの終りを告げるのすら聞こえないふりをして。
子供の頃、親に迷惑をかけないようにと、押し入れでそうしていたように。
少しの筋肉痛を纏う、使いすぎでパンパンに張ったふくらはぎを従えた膝を抱えるように小さくまとまって。
誰もいないのに。迷惑かける親も彼もいないのに。
ぽつ。ぽつ。
穿いているジャージに染みが増えていく。
気づいたら、声を殺して泣いていた。
そして次の日、就活の予定のなかった私は、ラインの連絡ではなく大学に来ていた彼に声をかけて、別れを告げた。
「そうだと思った」
と言われた。
どの口が、と言おうと思ったけど、飲み込む。ほんっとうに、こんな自分大嫌い。
最後くらい文句かましてやればいいのに。
染み付いた無駄なお利口が、そのわがままな言葉を出そうとする喉を締め上げる。
「じゃ、実咲と仲良くね」
それが、精一杯だった。
腕を組んでいるのを目撃した女の子の名前。
一瞬ハッとする彼の顔を、まるで見るんじゃないとでもいうように視界を波打たせる涙の幕越しに見て、私は踵を返す。
もういい。
これでいいんだ。
バイバイ、私の、最初の恋。
サヨナラ。
それから半年が経った。
5月にやっと手に入れた内定を武器に、さっさと大学の単位を取ってしまった私は、もうほぼ大学に行かなくても卒業できる状態だった。
そんな時、ふと足を伸ばしてみたカフェ。
そこは、あの彼が、住んでいた駅だった。
家の場所は覚えている。
カフェでミルフィーユケーキと紅茶を堪能して、カフェオレをテイクアウトして少し散歩しようと思った。噂通り美味しかったです。ごちそうさまでした。
もう9月。
残暑はまだ厳しいけど、今日は風が少し冷たくて心地よかったので、マキシ丈のノースリーブワンピースの上に薄手のカーディガンを羽織っている。日差し対策に帽子も。肌、焼きたくないし?
裾が、風に揺れる。
脇腹を少しくすぐるようなそれを見て、右手はカフェオレを持っているけど、左手は空いている。
最後に誰かと手を繋いだのはいつだったろう。
そんな、もう程遠い感傷に浸ってみる。
もうすっかり、私の解毒は済んでいた。なんの未練も、きっとない。
なんとなく、彼の家の方面にある公園の方に行ってみた。
子供達が全速力で走り回って遊んでいる。
可愛いなぁ、と思って、ベンチに座る。ポーチは肩にかけたまま。
まだまだ日差しのある昼下がり。
日差しは暑いけどやけに清々しかった。湿度が低いからだろうか。
ベンチの後ろにちょうど植え込みがあった。
差してくるのは、木漏れ日。木漏れ日って、水面に映る太陽みたいだよね。キラキラキラ、泳いでるみたいに見える。
ふー。
天空を仰ぎながら目を瞑って、息をつく。
半年前はため息だったそれは、深呼吸に変わっていた。
人は変わる。自分で変わるし、他人に変えられる。
選ばなきゃいけないし、決断しなきゃいけないし、時には諦めなきゃいけないし、戦わなきゃいけない。
生きてくって、それの積み重ねだ。その年輪が、人に必要な忘却能力を起動させ、人に必要な希望を思い描く想像力を作ってくれる。
つまづいて立ち止まっても、泣きじゃくってうずくまっても、痛くて立ち上がれなくても、全部私を作ってくれる大切な養分。感情とか感性とかもそうだろう。
あーあ。一人もいいけど、たまには誰かと居たいなぁ、と思う。
友達がいないわけじゃないけど、もうこんな時期だ。残り少ない大学生活、しかも夏休みを恋人と過ごす子がほとんどだ。しかたないよねそりゃ。
恋人、かぁ。
キッチンで泣いた夜を思い出した。
あれは、痛かったなぁ。
けど、必要な涙だったから、それはいいのだ。おかげで決断もできたわけだし。
同時に、長女体質は変えないといけないというのもわかったし。
木漏れ日を目を瞑って浴びていた私が、不意に目を開けると、そこに真っ逆さまに覗く顔があった。
「よっ」
「…びっくりした。木崎くん」
それは、同じゼミだった木崎くんという同級生だった。
「そんな冷静にびっくりされてもなぁ。何してんだよこんなところで。黄昏か?」
「ちょっと、近くのカフェに行きたくて。来たついでにお散歩を」
「お散歩、ね。隣いいか?」
と、片手に持ったコンビニ袋をぶら下げて言う。
「あ、もちろん」
木崎くんはなかなかに聡明で、ゼミでもよくディスカッションを率先して展開してくれていた。割と仲のいい方、だとは思う。見た目もしゅっ!としてて爽やかだ。
ベンチの背後から回り込んで、私の隣に腰を下ろした。
「カフェ行って来たばっかりのところあれだけど、食う?」
と、コンビニのカットされてあるロールケーキを差し出して来た。
「……いいの?」
「どうぞご自由に」
いいながらプシッと缶コーヒーを開けた。ブラックか。私は飲めないや。
「…木崎くんこそ、なんでこんなところに?」
「ああ、俺この近くなんだよ。家。もうあまり大学も行かなくていいし、バイトも今日は休みで内定もらっちゃうと、やることなくて、時々ここ来てんだ」
「…ふーん」
「なんだよ。その興味なさげな返答。羽生から訊いて来たんだろ」
「…ゴメン」
「いや謝らんでもええわ」
「じゃあどうしたらよかったのよう」
「…なんかもうちょっと突っ込むとかないの?」
そこで私は、周囲の知り合いの状況を思い出した。
「木崎くん、こういう時に会う彼女とかいないの?」
「いないよ?二年の時に別れてそれっきりかなぁ」
よくもまぁしれっと言うわ。知ってるぞ?
「私、木崎くんに振られた知り合い何人かいるんだけど?」
と、口にしたら、まずった、みたいな顔になる彼。
「あ…あー。うん。それは、まぁ」
「ゲイなの?」
指摘したら吹き出した。
「ちょっと!何言ってんの!」
「え、だって、男子って告白されたら基本付き合うんじゃないの?みんながそうとは思ってないけど」
「なら言うなよ。俺がそのタイプってことか?」
「……違うか」
「だろうよ!全く失礼な」
「…ゴメン」
「いいよ別に。それより羽生こそ、彼氏いないの?中井と別れてそれっきり?」
「あ、うん。ないね」
「そうか。今気になってるとかもなく?」
「んー。そうだねぇ」
私はまた空を仰ぐ。
「んー。そうなのかねぇ」
木崎くんが呼応した。
「あ、ロールケーキ美味しいね」
「だろ?これ好きなんだよ。しつこくなくて」
「ふーん」
「また興味皆無の返答だよ」
「へっへっへ」
「もうちょっと興味持ってくれてもよくない?」
「あ、ならさ、なんで彼女作んないの?」
「作るもんじゃないだろ…なんでって、そりゃ付き合いたいなぁ、みたいに思ってる好きな人はいるよ」
「え!?」
私はガバリと姿勢を正して問いただす。
「誰!?同じゼミ!?」
「うん」
「ええええ!なんだそれ!まじ!」
私はつい楽しくなってしまっていた。
「まじ」
「だから振ってたのか。へぇ。一途だねぇ」
「なんだよその言い方」
「ねぇ、差し支えなければ誰!今度誘ってご飯行こうよ!」
「いいけど、訊いたらびっくりするぞ多分」
「意外な人!意外な人なんだ!えー…あ、ギャルっぽい根元ちゃんとか!?」
「違うなぁ」
「あら。じゃあちょっと地味目の鈴木ちゃん?」
「不正解」
「えー?誰だぁ?」
「羽生由依」
「あーハブ茶かぁ……は?」
完全に不意をつかれた私。
「お前だっつーのよ」
…なんだ。
「…え、えっと?」
「だから、お前のことが好きだから誰とも付き合ってないの。理解しろよ。バカじゃないだろ羽生」
「……バカです?」
「なんで疑問系だよ!」
「コントじゃないよね!?」
「だとしたら質が低すぎる!成立してない!」
「ドッキリ!?カメラ!」
「ないわボケェなんのロケじゃ!」
「…じゃあ……本当に?」
「うん。そうだよ」
しれっと言いやがって。
「え、ええ?えっと、これは断るのが正しい流れ?」
「流れってなんだ!ま、俺が羽生のことが好きってだけで、あとは羽生次第っちゃそう。別に無理くり付き合ってくれって言うつもりはないしね」
「…なんで?」
「そう言うのはお互いの問題であって、告白した方の思いがまかり通る言うのは乱暴だから」
「んー…じゃあ…」
その少しあと。
二人で立ち上がったベンチの後ろの植え込みに、薄紫のシオンの花が揺れていた。
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