極彩色乃心華-gokusaishiki no shinka-
唯月希
“届けたい花の足跡の影"
「それじゃあ」
そう言って背を向けた君に、私は何も言えなかった。
私は、物心ついたときからずっと臆病だった。
そのくせ、思うことはたくさんある。
いろんな人や物に対する想いもたくさんあるのに、それをどこかに伝えるとか、書き残すとか、発信するとか。
そういうことができない。
自分のそういう想いは大切なのに、覚えている限りで、そういうことに自信が持てた試しがない。
本とか、音楽とか。
料理とか、お菓子とか。
洋服とか、アクセサリーとか。
そういうものなら、向こうには明確な意思がないから素直になることができなくもない。けれどそれにしたってできないことはないって程度。洋服とかアクセサリーなんて、好きだけどどうせ似合わないって思っちゃうし。本とか音楽も、どうせ私なんかが読んだり聞いたりしてもわかんない、って思ってしまう。料理もお菓子も、味の詳しいことはわからないし。結局自分のことが嫌いだから、それでも抱いてしまう他者への好感に、全くもって自信がなく、かつ肯定もできない。
自分なんかが。
そんな思考停止の卑下を織り込んだカーテンが、とても広く視界を埋め尽くすように目の前に下がっていて、私はそれをめくって、先に進む術を持たない。触れると、指先が焼けるように痛いように感じる。
その先にある窓から吹き込む風にやさしく揺れているのに、私は拒否されているように
、痛みだけ伝えてくるみたい。
どうしてなんだろうと考えてみても、答えはいつも一つしか思いつかない。
私は、私が嫌い。
それなのに。
こんなにも苦しい思いを抱いてしまったから、君は去ってしまった。
自分のことも認められない人間が、誰かを認められない。
ちょっと違うか。
自分のことも好きなれない人間が、誰かに恋することなんてできない。
なのに、恋とも愛とも好きともつかないこの想いを抱いてしまったのは何故なんだろう。
もし認めてもらえたら、自分のことが好きになれるかもって思った?
もし受け入れられたら、私も自分を受けられるって思えたのかな?
今は、もうわからない。
君は、別れの言葉だけ残して、去ってしまったから。
これでも、似合わなかもしれなかったけどおしゃれしてきたのに。
頑張って連絡して。
頑張って色々考えて。
あったらまず言おうって思って覚悟を決めて。
待ち合わせの一時間も前に、待ち合わせ場所の海岸沿いのガードレールのそばについたのに。
心臓の音がすごすぎて波の音も浜風の音も聞こえない。
そんな一瞬の一時間を過ごしたのに。
目の前に君が現れたら、足も心も竦んでしまった。
情けない。
黙って引きこもって膝を抱えていろよ。そう思った。
うつむいて後ろ手に手を組んで、何も言えずにその場からも動けず、何も言葉を発することもなく、何分過ぎたろうか。
君が言った。
「今日は、ありがとう。それじゃあ」
ハッとあげた顔。その瞳が捉えたのは、すでに踵を返した君の背中だった。
すぐ近くの角を曲がって見えなくなる君のことを目線だけで見送って、私はロングスカートのワンピースなのに、後ろ手に花を持っているのに、御構い無しにスカートをたくし上げてそばのガードレールを思い切り跨ぐ。
乱暴にサンダルを脱ぎ捨てて、裸足になった頃に、私の顔はもう誰にも見せられるものじゃないほどに泣きじゃくっていた。どうりで、眼前に広がる太平洋の水面がやけに歪むわけだ、と思ったけれど、それでまた思う。
感情は悲嘆で爆発してる。状況は最悪だ。けれど、結局私の理性は冷静で、一大決心したことの失敗すらこんなに冷静に捉えている。
本気じゃなかったの?
毎晩ベッドの中で考えた君のこと。
いつもふと一人になる思い描いた君のこと。
考えるだけで呼吸が苦しくなる君のこと。
多分きっとおそらく、大好きな、君のこと。
波に覆われて湿っている土が裸足をまだらに黒く染めていく。
こんな風に、黒いものに心もやられてしまえば、こんな切ない思いをすることもなかったなのかなぁ。
悔しい。
こんな自分が、勝手に惨めで、勝手に悔しくて、勝手にダサくて、弱くて臆病で。もう嫌だ。
諦めればよかったんだ。
諦めなきゃいけなかったんだ。
そう思って、波打ち際を進む。もうここからものを放り投げたら、回収するのは難しいだろうというところ。波は私の足、くるぶしの上までかぶるくらいのところだ。ワンピースのスカートの裾が波をかぶり始める。
そして私は、まだ未練がましく、渡そうと思っていた、君の好きな花を投げ捨てようと振りかぶる。
一瞬躊躇した。そんなことで、断ち切れるわけもない想いなのに、これに意味はあるのか?
それでも、私はやっぱりやめなかった。
もっと大きく振りかぶって、放り投げるように腕を全力で振り回ー
「…ちょっと待った」
その花を持って振りかぶっていた、今まさに振り回されようとしていた腕の、手首が掴まれると同時。
そんな声が耳元に飛んできた。
「捨てるんなら、それ、欲しいんだけど」
忘れようと思っても忘れられない声。
波音がうるさいはずなのに、ものすごく鮮明に鋭く耳朶を叩くその声は、君のものだった。
「……え?」
「…いや、だからその花、投げ捨てるんなら欲しいんだけどって」
「……なんで」
「いや、僕がそれ好きなのわかってて持ってきてくれたんだろ」
「…なんで、いるの」
あまりにも不意の事態に頭が混乱してしまって、緊張が吹っ飛んだのだろう。待ち構えていた時は違う態度を取ってしまった。手首は掴まれたまま、私は君に向き直る。
少しうつむきがちに、そんな私の問いにゆっくりと答える君。
「…さっきあんな様子だったから。気になって戻ってきたら…いや、違うな。一回帰ったふりをしてみたんだ。すごく緊張していたから、一旦僕が離れたら、緊張も解れるんじゃないかと思って。そんで戻ってきたら海の方に行くからおいおいって思ってさ。追いかけたら、投げ捨てようとするから、つい捕まえちゃった。そしたら、やっと今日初めて声聞けたな」
…。
「なんだよ、その顔。ぽかーんって。戻ってきちゃいけなかった?」
「……う、うん」
「…いけなかったのかよ」
「……え、ええ!?いや、そんなことはない!です!はい!」
「……っははは」
私が全力で否定すると、君は心底面白そうに笑った。むねのあたりがきゅうぅっとする。
「え?何?」
相変わらず惚ける私。
「いや、意外だった。女友達と一緒の時以外に、そんな反応のいい百合を見るのが新鮮で」
「……い、いま……」
「ん?…あ、ごめん。つい呼び捨てにしちゃった」
「……なんで、名前…」
「そりゃ知ってるよ。クラスメイトだし、それに…」
そこで君は少し言い淀んだ。私の背後に沈んでいく夕日が、君の顔を照らしている。浜風が私の胸ほどまでの髪を揺らすと、少し君に触れた。こんな距離に、いたことはない。
「あ、その花、もらっていいの?」
「……え、あ、ああ、うん。はい……」
手首が放されて、その手に花を渡した。ここの中でがっかりしている自分が、ものすごく卑しく思えた。
「…ありがとう。やーなんかやっぱり嬉しいなぁ」
「お、男の子なのに花なんかでごめん……」
「じゃあなんで今日僕と会う約束ってわかってたのにこれ持ってきたの?」
「え、あ、えと、ざ、材料になるかなって……」
「あー。確かにこの手のは使いやすいね。材料にはなるけど」
君は、アクセサリーとかハーバリウムが、お母さんの影響で好きなのを私は知っていたから、小ぶりなものを用意したつもりだった。
「……けど?」
「いや。んー……これは使わないかもなぁ」
「き、気に入らなかった!?」
「いやいやいや!違うよ」
「??」
そういうと、君は花を持っているのとは逆の手を差し出し、
「あ、でも使うかも。」
そして差し伸べた君の手が、私の手を握る。
「大好きな人からもらった花だし、枯れて欲しくないしね」
今の一瞬、写真に撮っておきたかったなぁ。
その一言で、私の世界の色彩が、まるで変わってしまった。
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