第5話 いっただっきまーす!
「八時だよ!」
「今、モヤシ炒めてるから、ご飯とか箸の用意頼むよ。」
士郎は中華鍋を軽く振りながら、醤油を回しがけしている。鶏ガラスープの素と酒と醤油のみのシンプルな味付けだ。
「八時だよ!」
「ああ、もう少しで出来るから。」
モヤシが半透明になりかけた頃合いを見計らって、生卵をひとつ落とす。すかさず火を止め箸でかき回し、余熱だけで仕上げる。
「八時だよ!」
「……全員集合。」
ジャージ姿のシズエが、腕を組んで納得した顔をしている。士郎の手は休む事なく、モヤシ炒めの盛り付けに移っている。熱いものは熱いまま食べて欲しいという士郎の思いは、まだ腕を組んで立つシズエに届いているのだろうか。
いつの間にかテーブルの上には箸もお茶も並べられていた。小皿にはワサビを溶いたポン酢が用意されている。そして最後の最後に冷蔵庫から胸肉を並べた大皿が出された。
「はい、これで本当に全員集合だよ。」
出来たての肉と比べて、表面のツヤが違う。しっとり感が違う。出てしまった肉汁を吸収し、なおかつ皮から出た脂で肉汁がゼラチン状になっているのだ。正確には『蒸し鶏』であるのだが、シズエが「チャーシューみたいだね」と言ったから、通称『鶏胸肉のチャーシュー風』になったのだ。
「よし、遅くなったけど食べよっか。」
「うん!いっただっきまーす!」
士郎はゆっくりと箸で肉を掴む。その間にシズエは肉を頬張っている。ひと噛み、ふた噛みするたびに、シズエの口から
「んー!んー!」
と声が漏れる。
「お兄ちゃん、すごい上手に出来てるよ!全然パサって無い!ジューシー!」
満面の笑顔だ。しゃべりながら次の肉を口に放り込んでいる。肉肉モヤシ米肉肉。幸せそうに食べるシズエの顔を見ながら、士郎も肉を口に運ぶ。
「うん、パサついて無い。上手く出来たね。」
「わさびポン酢つけても美味しい!」
「シズエが美味しい肉を選んでくれたからね。」
「えへへー!」
否定はしない。お兄ちゃんの料理のおかげだよ、などという言葉は無い。お世辞という球を全力で受け、投げ返さないのがシズエという女だ。だが士郎にとっては、シズエの笑顔と豪快な食べっぷりを見る事が出来れば、それで十分だった。拳を交わして己を語る格闘家にとって、言葉は無粋であるという。ならば料理家にとっては千の言葉より、ガツガツと夢中で食らう姿の方が心に刺さるのでは無いか?いや……そうか?そうでもないのか?そもそも士郎はただの高校生であり、料理家では無い。そしてシズエも客では無かった。
「シズ、インスタントでよかったら、味噌汁飲む?」
「んぐ。ぷはー!飲む飲む!」
「ネギ、豆腐、ワカメのどれにする?」
「とーふとーふ!」
大切な事は二度繰り返す。たまに、大切でない事も二度繰り返す。士郎は電気ケトルでお湯を沸かしながら、お椀に味噌と乾燥薬味を入れていた。
「お兄ちゃん、後で私も洗い物手伝うね!」
「ありがとう。でも大丈夫だよ。このくらい、すぐ洗えるから。」
「だーめだって。早く後片付けして、お母さん達帰ってくるまでモリオカートやろ!モリカー!」
十時過ぎには、双方の親が帰宅する。シズエは親の前では士郎の事をお兄ちゃんとは呼ばない。『士郎ちゃん』に戻るのだ。なんと面倒な女だと思うかもしれないが、シズエは十四歳中二である。なんとなく気恥ずかしいのであろう。
「ねえ、お兄ちゃん。来週は炊飯器ローストビーフ食べたいけど……ダメ?」
「んー、木曜の夜に仕込んでおけば、金曜に切るだけで大丈夫だけど。」
「食べたい食べたい!」
士郎は薄く笑みを浮かべながら、お椀に湯を注いだ。
士郎は気が利くうえに気配りも出来る男だ。美形のくせに思いやりもある。
シズエにとっては従兄妹であるが、兄のような存在である。
そして金曜の夜だけ、士郎は『お兄ちゃん』になるのだ。
「お兄ちゃん、おかわりー!」
了
金曜日は、お兄ちゃんごはん マスク・ド・ゆーゆー @maskedyuyu
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