第2話 スーパー

「士郎ちゃん、あったよあったよ!まだ結構残ってるよ!」


「スーパーで走っちゃダメだよ。あと、結構残ってるとか大きな声で言うのも、やめた方がいいよ。」


 士郎は気が利く男であり、気を配る男であった。片手で空のカゴをぶら下げながら、小学生のような振る舞いをするシズエを静かにたしなめた。私服ならギリ小学生と思われる可能性はあるが、今は制服である。店内に少なからずいる未就学児の手本とならなければならぬのだと、士郎は考えていた。まあ、考えすぎなのだが。


 精肉コーナーの棚には鶏胸肉のパックが、まだ豊富にあった。黄色地に赤の『特売』の字が心強い。特に売りたい、という気迫に溢れている。普段からお値打ちな胸肉ではあるが、金曜日はさらにお値打ちなのである。


 シズエは常日頃から考えていた。なぜ鶏胸肉は安いのか。いや、安過ぎるのだ。ここ、スーパー『ハロー』は地元最大のチェーン店である。その成長を後押ししたのは、商品価格の圧倒的なお値打ち感である。他店で皮の盾と棍棒しか買えぬところを、ハローなら布の服と鉄の剣が買えるのだ。例えが分かりにくいかもしれないが、雰囲気は伝わろうて。そのハローは、もちろん鶏モモ肉も安い。しかし胸肉はその半額であるのだ。胸肉は美味しさでモモ肉に劣るわけではない。しかし値段は大きく異なる。これは不当評価ではないか。シズエの脳内では「ふとーひょうか」と表記されているが、ここでは特に問題としない。今は肉の話をしているのだ。


 シズエは、みっちりと詰められた肉のパックを薄目を開けてじっと見ている。どの肉が美味しいのか品定めをしているのであろう。


「士郎ちゃん、これが一番美味しそうだと思うけど……どう?」


 やや頼りなげに右端のパックを指差す。全体的にピンクがかった瑞々しい肉である。ふた塊で六三四グラム。


「うん。じゃあこれにしようか。」


「やた!シズエ案、採用であります!」


 では法案成立です〜、と言いながら、パックを士郎のカゴに入れた。素案の提出から成立までが秒である。信頼性は無いがスピード感だけはある立法機関だ。


「安倍が選んでくれると美味しいからな。助かるよ。」


「いやいやいや、そんな褒められると照れるじゃないのさ、ねぇ?」


 ジャラジャラジャラと手提げカバンのキーホルダーが揺れる。士郎は嘘のつけぬ男である。好きなことは好きと言うし、イヤならイヤと言う。シズエとは違う意味で自分の心に正直なのだ。


「ねぇ士郎ちゃん。やっぱり『安倍』って言われるの何かやだなー。外でシズって呼ぶの……嫌?」


「嫌っていうか、知らない人が聞いたら誤解されちゃいそうだからな。帰ったら呼ぶよ。」


 その時、精肉売り場担当のオバちゃんの目が輝いた。夕方に食材を買う若い男女の声に耳を傾けてみれば、


「今晩、耳元でお前の名前を呼んでやるよ。嫌というほどな。」


 と美形少年が囁いているではないか。(いない。)些細な部分で事実と異なる部分があるのは、彼女にとって大きな問題では無い。要は楽しめるかどうかなのだ。翌日、バックヤードで語られた『禁じられた金曜の鶏胸肉』は、パートのオバちゃん達の間で永く語り継がれる逸話となった。だが話の本筋には一切関係ないので、このへんで止めておくとする。


 シズエ達の足は野菜コーナーに向かっていた。どちらにしても生鮮コーナーは寒い。外は春だというのに、店内は年中ヒエヒエである。県内のスーパーの室温の移り変わりをグラフにしたら夏休みの宿題に良いのでは、とシズエはぼんやりと考えていた。たまに自分が中二である事を忘れている。


「生野菜が良い?それともモヤシ炒めでも作ろうか?」


「モヤシ炒め食べたい!」


 シズエは即答した。危なく右手を上げるところだったが、ここは教室では無い。


「じゃあ二袋作るからな。」


「モヤシ祭りだね!」


 小声でわっしょいわっしょいとシズエが囁く。カバンを持ったまま、神輿の棒を担ぐジェスチャーをして手を上下させている。キーホルダーがチャラチャラと音を立て、シズエの目が士郎に訴えかける。


 ほれ、わっしょいと言うのだ。


 ほれ、ほれ!言っちゃいな!


 わっしょい!わっしょい!


「……お会計して良いか?」


「……良いっしょい。」


 


 二人が店から出ると、町は夕焼け色に染められていた。士郎は自転車の前カゴに荷物を入れると、突然「あっ」と短く声を出した。


「ごめん安倍、聞くの忘れてた。胸肉、チャーシュー風で良かったか?」


「え?てっきりそのつもりだったけど、言ってなかった?」


 きょとんとした顔でシズエが答え、続けて言った。


「ご存じ、鶏肉のチャーシュー風だもんね!」


 満面の笑顔だった。コロコロと表情がよく変わる少女である。


「ご存じとは言っても、俺たちの間だけだけどね。」


 士郎はそういうとサドルにまたがり、ペダルに足をかけた。


「ほら、行くよ。」


 言うが早いか、士郎の背中はシズエから離れていった。


 


 背後から、待ってよ士郎ちゃーんという声が小さく聞こえるが、士郎は振り返らずに自転車を走らせる。


 桜並木を抜け、なだらかな坂を下ると小さな神社が見える。平日の夕方は人影もまばらで、散歩がてら参拝に来るお年寄りが、ゆっくりと手を合わせている。錆びた金網。壁を這う枯れたツタ。ドクダミの葉の匂い。記憶の向こうにある懐かしさを士郎は感じ、目を細めた。


 自然と士郎のペダルを漕ぐ足も速度を落とした。来週末は春の祭りが行われる。地元の武将ゆかりの祭りだが、誰もが春の祭りと呼んでいる。子供神輿と大人の神輿が街中を練り歩くのだ。


 今年は桜が急いで咲いてしまったが、散るのはもう少しゆっくりでも良いだろうと、士郎は思った。背後からのシズエの声が徐々に高く、大きくなる。士郎は静かにブレーキを握り、鳥居の横で止まった。


「士郎ちゃ〜ん」


 速度を緩めずに走ってきたシズエが、横をしゅーっと通り抜けた。


「先いくね〜


 わっしょい!わっしょい!」


 前カゴのカバンからジャラジャラと派手な音を立てながら、シズエの背中がどんどん小さくなっていく。自由な女だ。士郎は軽くため息をつき、ペダルに足をかけた。


 そして、誰にも聞かれぬほどの小さな声で呟いた。


「わっしょい、わっしょい。」


 士郎の口角が、少しだけ上がった。

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