第56話 そらのために

 たちばなそらが意欲的に自身の向上に努める一方、プロダクションASHの事務所では、関係する大人たちが集まり、今後の展望について話し合いを進めていた。


「そうかぁ……でも、結構早いなぁ。出てから半年も経ってないくらいじゃろ?」


 革張りのソファに腰を落ち着け、腕を組みながら対面のマネージャーへ問いかけるのは、これまでバーチャルアイドルの活動について適宜てきぎ助言を出してきたお笑いコンビ『とりかわ』の坊主頭の方――立川たてかわであった。


「そうですか? 私としてはこれでも遅い方だと思いますけど……」


 立川の言葉に、マネージャーの高木は怪訝けげんと困惑の入り混じったような表情を浮かべる。


 そんな高木の、口には出ない感情を紐解ひもとくように、立川は自らの意見を述べる。


「まぁ、芸能事務所としてはそうかもしれないですけどね、こっちの業界……いや、ウチらも片足突っ込んでるからどんなつらして言ってるんだって言われるかもしれないですけど、そこまで立てない人も星の数ほどいるって知ってるもんでね」


「あぁ、こっちでいう地下アイドル的な感じですか」


「もしかしたら、それ以下かもしれんな。地下アイドルって言っても、人気の有無はあっても、そういう場をプロデュースされてるものじゃろ?」


 そう言って立川は顔だけを後方へと向け、そこに立つ人物――相方の爆発頭な男、鈴木すずきへと同意を求めた。


 すると、鈴木はスマホをいじる手を止め、一時的に顔を二人の方へと向けた後、語り始める。


「あぁ、そうっすね。地下アイドルは最低限持ち歌も準備された状態でライブを繰り返すのが前提みたいなとこあるんで……いや、全部がそうかは知らないですけど」


 鈴木の言葉を受けて、高木はうなり、考え込む。


「そうか……だとすると、結構反発とかあったりするのかもしれないなぁ。でも、今更になって延期するっていうのも――」


 いつになく神妙な面持おももちの高木。


 そんな彼のかもす雰囲気からは、絶対に失敗できない、させたくはないという、マグマのような熱量を放っていた。


 高木の並々ならぬ、どこか危うさをはらんだ意気込みとは対照的に、立川は背もたれに両腕を広げて寄り掛かり、話し始める。


「ん~、そこは本当に気にしなくていいと思うぞ、高木さん。さっきのは、本当に早いなぁってだけの素直な感想だからな。それより大事なのは、プロモーションの方だと思うが……」


「そうっすね。事務所の力っていうのも、見る側はわかってますから、その辺のことを問題視して騒ぎ立てるって危険はそんなにはないと思いますよ」


 立川と鈴木、両者の言葉に、高木は表情を硬くしたままではあるものの、身体の力を抜き、対話を続ける。


「わかりました。お二人を信用させていただいて……あっ、もちろん責任は私が持ちますので」


「ははっ、冗談抜かせ。そらちゃんのためだったら連帯責任上等だわ、なぁ鈴木」


「そうっすよ。立川の為って言われたらためらいますけど、そらちゃんの為だったら責任でもなんでも取るって話ですよ」


「おい、鈴木、今お前……いや、いいわ。それで、高木さん、そらちゃんのライブの告知、どうしていくか、ビジョンはあるんか?」


 再び身体を戻し、やや前傾になると、立川は高木へまっすぐ視線を伸ばす。


 すると、高木も立川の思いに応えるように、同じく姿勢を前傾にして、真正面から視線をぶつけた。


「はい。おそらく、今主流となっているような、ファンに拡散してもらう形だけでは、目標を達成するのは難しいと思っているので、批判覚悟でダイレクトマーケティングを進めていく予定です」


「ダイマか。逆に潔くていいかもしれんな」


「それで、問題は方法なんですが……」


「小さな事務所だし、スポンサー広告みたいに大々的に行うのは、予算的に無理って話なんじゃろ?」


「――はい」


 重い返事と共に、くちびるを噛み、苦い表情をする高木。


 しかし、高木はすぐに、自らを縛り付ける鎖を振りほどくかのような、熱く純情な思いと共に、声を発する。


「なので『とりかわ』のお二人にも、告知の方をお願いしたいんです。お願いします!」


 両膝に手を置き、目の前のテーブルに頭をぶつけるのではないかと不安になりそうなほどに、高木は深く頭を下げる。


 その様は傍目にも必死さにあふれていて、事情を知らない者であったなら、その光景を目の当たりにした瞬間、距離を置いてしまいそうなほどであった。


 だが、その様子を最も近くで目にした二人は、困惑することもなく、むしろどこか嬉しそうに口端こうたんを持ち上げ、答える。


「なんだ、そんだけのことでウチらを呼んだのか」


「俺としては、もっと大変なことを頼まれるかと思ってましたよ」


「すいません、でも――それしか打つ手が……」


 頭を下げたまま、謝罪する高木。


 その姿勢を『とりかわ』の二人は、一蹴いっしゅうする。


「そんなこと、言われんでもやるわ。でも言われたからにはドンドンやっちまうけど、文句言うなよ?」


「人が集まりすぎて苦情が来たら、高木さんが責任とってくださいね」


「立川さん、鈴木さん……すいません」


 高木は顔を上げると、涙声になりながらも、再度謝罪の言葉を述べる。


 すると、そこへまた別の協力者が姿を現した。


「そうか……じゃあ、私も根回ししちゃおうかな」


「――社長⁉」


 その場にいた皆の視線が、パーテーションの脇より姿を現した声の主――プロダクションASHの社長『上野うえの』へと向けられる。


 社長は3人の驚きの表情など意に介す様子もなく、遊びに交ざろうとする子供のような期待感あふれる顔で、会話の中心へと入っていく。


「さすがに、テレビでっていうわけにはいかんけどね。私にはこれまで培ってきたコネってのがあるからね。そらちゃんの為だし、今回くらいは無茶させてもらおうかな」


「社長……ありがとうございます」


 すっくと立ちあがり、社長の手を取り、頭を下げる高木。


 そんな高木を社長は軽く笑い飛ばす。


「おいおい、今からそんな感極まってたらダメだろ。高木くんが泣くのは、そらちゃんがライブを成功させた後じゃないと――」


 社長の言葉に、高木は今にも泣きだしそうな顔を無理やり引き締め、うなずいてみせる。


「――はい、社長」


「よし、それじゃあ、プロダクションASHの総力をもって、ダイレクトマーケティングを進めていこうじゃないか」


 社長の声を合図に、そらの知らない場所で、大人たちの決意が産声うぶごえを上げたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る