第57話 手元に届いた夢

「お待たせ、そらちゃん」


 ドアの開閉音を背に、息を弾ませながら、高木たかぎは先客――たちばなそらへと声をかける。


「あっ、高木さん。お疲れ様です」


 高木の姿を確認するなり、そらは立ち上がり、頭を下げようとする。


 だが、高木は軽く手を前に突き出し、それを制した。


「いや、座ったままでいいよ。マスター、アイスコーヒーをお願いします」


 事務所最寄りのバス停近くにあった、喫茶店。


 そのカウンター席の最奥に、そらは座っていた。


 他に客の姿はなく、テーブル席もがらんとしており、店内は貸し切りといってもよい状態だ。


 相変わらず室内は冷房が痛いほど効いているせいか、そらは薄手のフェミニンな装いの上に不釣り合いな厚手のカーディガンを肩に羽織はおっており、眼前に置かれた、中身の減っていないコーヒーのグラスからも、何らかの事情により急遽きゅうきょ呼び出されたことがわかる。


 一方、マスターと呼ばれた店主は、カウンター内で新たなグラスを用意しながら、目線のみで両者の動向をうかがいながらも無言を貫いていた。


 木の気配が色濃く出ている店内。


 その小さないこいの場を享受きょうじゅする間も惜しいといった様子で、高木は額の汗をぬぐうこともなく、そらの隣へと腰掛ける。


 そして、持参したカバンからCDのケースと小さな冊子を差し出した。


「高木さん……これは?」


 ラベルも何も貼っていないCDケースを手に取り、聞き返すそら。


 そんな彼女に対し、高木は興奮を抑えながら、内容を伝える。


「オリジナル曲の音楽データだよ。そっちの冊子は歌詞と作詞家からのコメントが書かれてる」


 高木に言われるがまま、そらは冊子をめくり、中身を確認する。


「ごめんなさい、私、作詞家さんには詳しくなくて……」


 目を通しながらも謝罪の言葉を述べるそらであったが、高木はそれをも軽く笑い飛ばし、答える。


「有名プロデューサーが作詞作曲した楽曲でもない限り、そんなものだよ」


「すいません、気を遣ってもらって」


「ううん、それと田辺たなべトレーナーの方にも曲の方は通してあるから、次のレッスンからでも練習はできると思うから」


「はい、何から何までありがとうございます」


「だから、お礼はいいって。これが僕の仕事だからさ」


「――どうぞ、こちらコーヒーです」


 そのタイミングでコースターに乗せてコーヒーのグラスが高木の前へと配られる。


「ありがとうございます、マスター」


 高木は店主へと礼を述べると、氷の入っていない、純度の高い黒寄りの褐色かっしょくをした液体が、グラスの中で液面を揺らしている中へスティックシュガーを流し込む。


 そしてストローでかき混ぜたかと思えば、先端を口にくわえ、一口吸い上げる。


「あぁ、暑い日はやっぱりこれですね」


 まるでビールでも飲んでいるかのような熱いノリで豪快に感想を口にする高木。


 そんなマネージャーに対し、そらは笑みを返しながらも、質問をぶつけた。


「あの、高木さん。ちょっと聞きたいんですけど、どうしてCDなんですか?」


「んっ? どういう意味?」


 そらの意図がつかめなかった高木は、ストローから口を離し、そらを見つめた。


 すると、そらは気まずそうに、わずかに目をそらしながら、続ける。


「いえ、音楽って最近はデータが主流なので、どうしてCDなのかなって……」


 瞬間、高木とそらの間にぽかんとした間が生まれる。


 そして数秒後、高木は眉間みけんにしわを寄せながら、重々しさを演出するように、ゆっくりと語りだした。


「う~ん、確か、簡単にデータを流出させないようにだとか、そんな理由だった気がするなぁ。あとは慣例とか、手にしたっていう実感を得られるとか、理由も色々とあったような……」


「なるほど。確かに、言われてみればそうですね」


 安定感の欠ける高木の説明に、そらは目からうろこといった様子で感心し、うなずく。


 その後、そらは水滴のついたグラスを手前に引き寄せ、自分の分のドリンクを口に含んだ。


「歌に関して僕ができるのは、ここまでだ。あとはそらちゃんが頑張る番だから、よろしく頼むよ」


 最後、それだけ言い残すと、高木は自分のコーヒーをストローで一気に飲み干し、思いきり顔をしかめた。


「あっ、一気に飲んだら頭が痛いっ! マスター、これお代ね。ごちそうさま」


 高木は逃げるように代金をカウンターに置くと、カバンを手に外へと飛び出していく。


 その場に残されたそらは、高木の後ろ姿を眺めながら、くすりと笑い、自分のオリジナル曲の入ったCDケースを優しくでるのだった。

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