第38話 氷解の予感

「……あの、今なんて?」


 自分が耳にした言葉を素直に受け入れられず、そらは思わず社長に聞き返す。


 社長はそんなそらを安心させるように、もう一度ゆっくりと言葉を繰り返した。


「だから、WEB番組に出演できることになったんだ」


「私が、番組に……」


「あぁ。番組の内容は参加者みんなで大喜利したり、トークをしたりっていうものらしい。歌の企画じゃなくて悪いけど……」


「いえ、ありがとうございます……でも、どうして突然?」


 今までのそらの活動は、基本的に自発的な動画や生放送の配信によるものであった。


 それが今日になって仕事として番組の出演告げられた――その理由を自らの内で消化しきれなかったこともあり、そらは素直に喜べなかった。


 そんなそらの疑問を察したかのように、社長は自身の分のグラスを一杯、のどうるおすと、仕事が決まるまでの経緯を話し始めた。


「一応、うしろちゃんはウチの事務所の所属タレントだからね。これから活躍していくために必要なフォローをしていくのも、私たちの仕事だからね」


「それはわかりますけど……」


 ――どうして、今になってなのだろう?


 デビューをしてから今に至るまで、そらの方から仕事が欲しいとねだったことはなかった。


 しかも、最近は歌一本でいってはどうかと、マネージャーから提案を受けたばかりだ。


 自分が思い描いていた事務所の形と、実際に提示された現実の差異さいに、戸惑いを抱くなという方が無理な話だ。


 思い切ってたずねてみることも頭をよぎったが、目の前で嬉しそうな顔をしている社長に対し、それを口にすることは、そらにはできなかった。


「んっ? 浮かない表情をしているようだけど、嬉しくないのかい?」


 まるで心の中をのぞき込んだかのような、社長の声に思わず表情を強張らせるそら。


 ――そんなにわかりやすい顔をしていただろうか?


 そんな思いがそらの頭に浮かぶよりも早く、社長は続けた。


「あぁ、実はね――」


 その言葉をまくらに、社長はまるで内緒話でもするかのように、そらへと顔を近づけた。


「この仕事は、高木たかぎくんが取ってきてくれたんだ」


「えっ、高木さんがっ⁉」


 まったくの予想外の展開に、そらは今日一番の大きな声で驚く。


 そらから見て、高木はそらの歌声に一番固執していた相手と言ってもいい存在であった。


 そんな彼が、どうして急に歌以外の仕事を用意してくれたのか。


 『うしろ』のことをわかってくれたのか、それとも仕事だからと嫌々取ってきたものなのか。


 高木の本心がわからないことにモヤモヤとした感情を抱きながらも、そらはただ事実を受け入れようとする。


「驚いたかい? まぁ、詳しい話は後々、高木くんの方から連絡がくると思うから、その時にってことで」


 社長はこれで一区切りとばかりに、パンと手を叩いて立ち上がる。


「それじゃあ、今日の打合せはこれで終わり。わざわざ来てもらったのに、話が短くて悪いね」


「い、いえ……お仕事がもらえただけでも、すごく、嬉しいです」


 そらも急いで立ち上がり、頭を下げる。


 その様子を見て社長は小さくうなずくと、最後にいたずらをたくらむ子供のような顔で一言付け加えた。


「あっ、高木くんに何か嫌なこと言われたら、すぐに私か立川たてかわくんに言うんだよ。そらちゃんに何を言うんだって叱ってあげるから」


 明らかに冗談めいた社長の口調に、そらも固まっていた表情をほころばせる。


「はい、ありがとうございます」


「うん、いい返事と笑顔だ」


 満足げに笑う社長。


 そこへ、そらは些細ささいな質問を投げかける。


「あの、社長はわかるんですけど、どうして立川さんが出てくるんですか?」


「んっ、立川くんの理由? それはね――」


 意味深に間を置く社長。


 その雰囲気にまれて、そらも自然と口をきゅっと閉じ、息を止める。


 そして、社長は何かしらの深い理由があることを感じさせる、真剣な顔のまま、答えを告げた。


「だって立川くん、坊主だし、強面こわもてだから、すごまれたらすぐ謝りそうだろ?」


「……ぷっ。もう、社長ってば、さすがにそれはひどいですよ」


 直前までの真剣さを台無しにするいいかげんな理由に、そらは思わず吹き出して笑う。


 その反応に便乗するように、社長も豪快に笑う。


「はっはっはっは。それもそうだな。じゃあ、これは立川くんには内緒ってことで」


「はい、内緒ですね」


 緊張からスタートしたそらの打合せは、笑い声で終わりをくくる、和やかな雰囲気で幕を下ろしたのだった。

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