第34話 マネージャーとして

「はぁ……」


 事務所からの帰り道。


 歩道橋の手すりにひじをかけながら、高木たかぎ裕之ひろゆきは深いため息を吐いた。


 周囲はすっかり日が落ち、眼下には外灯の光が点々と視認の限界まで伸びている。


 ロマンティックと呼ぶには、いささか物足りない光景ではあるが、吹き付ける夜風が体温と共に、高木のたかぶった感情をも奪っていく。


 日中であれば、何かしらワケアリの人間がいるなどと道行く人に思われるであろう格好であったが、この時間帯は時折車が架橋下を通ることはあるが、歩く人はほとんどいない。


 それもあって、高木は物思いにふけりながら、ぼんやりと遥か遠方に見える暗闇に焦点をうずめる。


「そらちゃん、か……」


 ぽつりと漏れた言葉が、風に乗って夜空へと消える。


 そんな高木の頭にあったのは、昼に聞いたそらの言葉でも、夕方に社長から言われた言葉でもなく、自身が始めた担当したアイドルとの思い出だった。


 ――すごいすごいっ! 高木さん、私の歌、ランキングに載ってますよ!


 ――すいません、高木さんに謝らせてしまって……。


 ――ライブ、すっごく楽しかったです。私にこんな場を与えてくれて、ありがとうございます。


 記憶の中のそらの姿に、高木は目を細め、口元を緩める。


 夢でも見ていたかのような、至福の時間。


 それを思い返すだけで、日々の激務を頑張り通すことができた。


 ただ、その思い出が楽しければ楽しいものであるほど、高木の心は強い苦しみで締め付けられる。


 幸せの絶頂――羽白はじろ蒼空あおぞらがトップアイドルになるべく、最初のステップに足をかけた時。


「――くっ」


 突如としてフラッシュバックした記憶に、高木は思わず手で顔をおおった。


「どうして……どうして、僕は……」


 封印でも解かれたかのように、心の奥底から噴き出してくるトラウマ。


 2年前に行われたライブでの帰り道。


 コンビニで買い物をしてくると、そらの元を離れた、わずか数分の出来事。


 ――どうして、一緒に中に入らなかったのか。


 ――どうして、そらを一人にしてしまったのか。


 ――どうして、事故に遭ったのが自分ではないのか。


「いつか、あのステージに立たせてやるって、言ったのに……」


 熱量ばかりが空回りして、失敗をしたことも多かったが、そんな高木の思いに応えるように、当時のそらは懸命に着いてきてくれていた。


 通常であれば、世迷い事と思われるような高木の言葉も、そらは笑顔で返事をしてくれた。


 生涯しょうがいに一度、逢うかもわからない、どこまでも真っ直ぐな少女。


 ――高木さん、私、ココアがいいです。あったかいの。


 絶望――その言葉の意味を、高木はこの時ほど痛感したことはなかった。


「ごめん……ごめんよ……」


 瞬間、まるで高木をなぐさめるかのような、柔らかくも涼やかな風が、火照った顔を優しく撫でた。


 そこでようやく、高木は顔を上げ、自らの思いと向き合う。


 ――本当に、そらはアイドルになることを求めているのか。


 ――そらは、自分の意見を正直にぶつけてくれたではないか。


 ――何より、そらが生きていてくれたことを一番に喜ぶべきではないだろうか。


「そうだよな……生きていてくれた、それだけでよかったはずなのに」


 涙と共に、自らの強すぎる思いを洗い流した高木は、まるでき物でも落ちたかのように清々しい顔をしていた。


「それ以上を望むだなんて、多くを望みすぎ……いや、今はまだその時ではないってことだよな」


 2年前には、高木がそらを引っ張り、アイドルの道を切り開いていた。


 そして今は、そらが高木の手を取り、バーチャルアイドルとしての道を見せてくれている。


 アイドルとバーチャルアイドル。


 似ているようで、違っている、それぞれのアイドルとしての在り方。


 それらが交わる日がいつかくるかもしれないし、来ないかもしれない。


「でも、もしその時が来たら――」


 高木は両手で自らのほおをパンとはたき、気合を入れる。


 そして、自らの持つマネージャーとしての、アイドルをサポートする立場としての役割を心に深く刻むと、足元に置いたカバンを手に取り、ゆっくりと歩みを進めた。


 その表情は宵闇よいやみに呑まれながらも、どこか凛々しく、覚悟の色が見て取れた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る