第35話 悩める夜

「言っちゃった……」


 自室のベッドの上に寝転がりながら、そらは一人、高木たかぎへと放った言葉を思い返していた。


 外はすっかり日が落ちており、耳に入ってくるのは夜風が窓を撫でる音くらいなもので、気を紛らわせるような存在が留守にしている空間。


 それが、余計にそらの思考を巡らせ、反省の念を深めていた。


 気の置けないような関係になってきたとはいえ、それでもマネージャーはそらより一回り以上年上の男性だ。


 衝動的に出た言葉だったとはいえ、もっと言葉を選ぶべきだったのではないか、後から文字で伝えた方がよかったのではないかなどと、罪悪感にも似た感情が、そらの残された理性を圧迫していく。


「どうしよう……まだ、頭がふわふわしてる」


 経験したことのない興奮が抜けきらないせいか、思考がまとまらない。


「こんなに突っ走るタイプのキャラじゃ、ないはずなんだけどな……」


 そらは、自らのひたいに手を当て、自分自身に問いかける。


 だが、記憶の中のそらもその答えを持ち合わせておらず、結局過去の自分の性格を思い返すだけに留まっていた。


 に落ちない出来事や理不尽に遭遇しても、不服に思いはするが、決してそれを矢面やおもてに立って口にすることはなかったし、意見を求められて提言することはあっても、面倒なことにはしたくはないと、反論することも避けてきた。


 それなのに、最近はそういった、自分が知っている橘そらとは乖離かいりした性質の橘そらがいるかのような発言が増えてきているのも事実だった。


 ただ、その一方で、そらは一つの可能性に到達をしていた。


「アイドル、かぁ……」


 いつの間にか身体に染みついていた、歌唱の感覚。


 人と一緒に、楽しみたい、楽しませたいという、心の奥底からき上がる衝動。


 そして、マネージャーをはじめとした芸能事務所の人たちの、橘そらへの態度。


 確信があるとは決して言えないが、失われた時間を生きた自分は、きっと歌手として、あるいはアイドルとして、人の前に立っていたのだろうと、そらは薄っすらと実感を覚えていた。


「薄々、思ってはいたけど……やっぱり、そうなのかな」


 バーチャルアイドルとして生きていきたいという素直な思いを告げた時に、高木の見せた寂しそうな表情。


 それは、暗にそらの抱いた予想を裏付ける結果ともいえた。


「でも、やっぱり寂しいよね」


 そう口にすると、そらは額に乗せていた手を外し、うれいを帯びた顔で天井を見上げる。


 マネージャーの気持ちはわかるし、今の自分が置かれている状況がとても恵まれているので、それ以上を望むのは贅沢ぜいたくなことなのだというのも理解できる。


 ただ、せめて仕事のパートナーとして、ファンとは別の形で一緒に歩いていく存在として、高木には現在の橘そらを見て、その上で共に走ってもらいたかった。


「そういえば、立川たてかわさんと鈴木すずきさんにも今度謝っておかないと」


 ライブ終わりで、本来はワイワイとした空気になるはずだったところに、自分とマネージャーの問題で突然冷や水を浴びせてしまったのだし、謝るのがすじだろう。


「何より『とりかわ』さんにはお世話になったし……」


 一歩先も見えない暗闇に囚われていたところを、バーチャルアイドルという道筋を示してくれたのは、間違いなく『とりかわ』の二人であり、それはそらにとっての恩人といっても差し支えはない。


 更には、デビューした後の活動についてもアドバイスやら、応援やらしてくれている、小さな親のような存在でもあって、感謝をしてもしきれない。


 そんな二人であったからこそ、そらは彼らを困惑させたことに、自責の念を抱いていた。


「はぁ……」


 寝返りをうつと、そらは枕に顔を埋める。


「あと、これからどうしていくか、考えないと……」


 マネージャーに意見こそしたものの、雑談ネタの枯渇こかつという問題も依然解決には至っていない。


 もし拒否をされたなら、今できることを突き詰めていく以外、そらには残された道はなかった。


 ライブ配信も、間が空けば視聴者が減っていく。


 どれだけ悩み、苦しんでも、時間は無情に動き続ける。


 そして、悶々とした思いのままベッドに沈んでいるそらの姿など目に入らないとでもいうかのように、夜は着々と更けていくのだった。

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