第33話 高木裕之の迷走

 事務所の窓から見える景色は、夕陽色に染められ、ノスタルジックで感傷的な雰囲気を演出していた。


 歩道を動く、まばらな人影。


 長く伸びてはゆらめく影法師かげぼうし


 喧騒けんそうとは程遠い、穏やかな時間。


 それをぼんやりと眺めながら、高木たかぎ裕之ひろゆきは一人、本日のできごとを思い返していた。


 ――バーチャルアイドルなんです!


「はぁ……」


 高木の口から、大きなため息が漏れる。


 『とりかわ』のお笑いライブでの、帰り際。


 たちばなそらから放たれた言葉によって、高木は多大なショックを受けていた。


「自分なりに、そらちゃんのためを想ってのこと、だったんだけどなぁ……」


 時計の針は6時を回っていた。


 今日予定されていた仕事はすべて終わっているので、今から誰かが事務所にやってくることもない。


 その安心感が、高木の口を軽くしていた。


「アイドルのことも手探りだったってのにさ……バーチャルアイドルになって、また手探りで……困った話だよな?」


 高木の口から、震える声と共に今まで溜め込んでいた愚痴ぐちがこぼれる。


 涙こそ流れはしなかったが、瞳はうるみ、がっくりと肩を落とした姿は、哀愁あいしゅうの二文字を体現しているかのようだった。


「……なんて、誰も答えてくれないよな」


 自嘲じちょうして、高木は力なく笑う。


 今までも、高木はマネージャーとして、所属するタレントと対立したり、意見を戦わせたりしてきたことはあった。


 だが、ここまで明確に、高木の示した方向性を、違うと否定されたことはなかった。


「でも、僕は、そらちゃんにもう一度、あのステージに立ってほしいんだ!」


 行き場のないいきどおりから、高木は拳を強く握り、歯を食いしばる。


 2年前についえた夢。


 プロダクションASHから排出された初のアイドルにして、アイドル界のトップに立てるだけの力量を備えた逸材。


 そんな彼女が、奇跡的に、バーチャルアイドルという形とはいえ、自分の元へと帰ってきたのだ。


 胸の奥底からき上がってくる思いに、自然と高木の口調も強くなる。


「そらちゃんの歌は、本物だ……歌だけで、日本を……いや、世界だって狙える。その才能に、きっとそらちゃんは気付いていないだけなんだ! だから、僕は――」


「本当に、そうかね?」


「――えっ?」


 背後から掛けられた声に、高木は驚き、慌てて振り返った。


 そこにいたのは他でもない、事務所のトップにして社長――上野うえののぼるだった。


「社長……確か、今日はもうお帰りになっていたはずでは?」


「いや、ちょっと忘れ物をしたから取りに戻ってきたんだが――それより、高木くん?」


 社長は穏やかな声色をしていたが、高木を見つめるまなこは獲物を狙う狩人のように鋭かった。


「――はいっ、なんで、しょうか?」


 その視線に射抜かれ、高木は言葉をのどの奥へと引っ込め、固唾かたずを飲んで社長の放つ次の言葉を待つ。


 すると、社長はコホンと小さく咳ばらいをした後、言葉を続けた。


「君は、今のそらちゃんを見ているのかい?」


「今の……ですか?」


 言われた言葉の意図が読み取れず、高木は首をかしげた。


 その様子に社長は目を細め、ゆっくりと、諭すように答える。


「気付いてないようだから言うが、高木くん。君が見てるのは橘そらという人間ではなく、羽白はじろ蒼空あおぞら――違うかね?」


「そっ、それは……」


 核心を突かれ、言葉に詰まる高木。


 そこへ追い打ちをかけるように、社長は言葉を被せる。


「確かに、高木くんの気持ちはわかる。後悔もしているのだろう。だが、それは君のエゴでしかない。私たちが今接しているのは、自分がアイドルであったことを知らない、ただの女の子なんだ」


 社長の言葉に、返す言葉もなく、うつむく高木。


 その姿をしばし見つめた後、社長は表情をやわらげ、最後に一言付け加えた。


「君が後悔しているなら、見守ってあげなさい。それがマネージャーである高木くんの、今の仕事だ」


 社長はポンポンと高木の肩を叩くと、そのままきびすを返して事務所の奥へと消えていった。


 その場に残された高木は、顔を下向けたまま、ぐちゃぐちゃにかき回されたようにまとまらない気持ちをどうすることもできず、窓から夕日が顔をのぞかせる中、ただひたすらに立ち続けていた。

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