第18話 プロダクションASH

「では、こちらでお待ちください。あっ、飲み物はお茶とコーヒーとどっちがいいですか?」


 応接用のソファに座るそらと頼子よりこに対し、マネージャーの高木たかぎたずねる。


「あっ、お構いなく――」


 小さく会釈えしゃくをして、頼子は答える。


 一方そらは、ソファの上で体を固くしたまま、無言を通していた。


「そうですか。それではお茶の方を用意させていただきますので――」


 高木はそう言い残すと、事務所の奥へと消えていった。


 それと同時にそらは大きく息を吐く。


 幾分気が楽になったこともあって、そらは視線を事務所内へとめぐらせる。


 年季の入った壁や天井。


 随所ずいしょに黒ずみが見える、タイルの床。


 事務スペースへの仕切りとして置かれているのであろうパーテーションには所属タレントと思われる人々の写真が飾られており、そこにはそらも見たことのある人の顔が数名ほどあった。


 そらと頼子が座っているソファや、その眼前にあるテーブルも、色落ちや傷が目につき、裕福そうな印象はない。


 部屋を彩るものも、隅に置かれた背の低い観葉植物くらいだ。


 ――本当に、大丈夫なのだろうか?


 母親から言われたとはいえ、そらは不安を増長させずにはいられなかった。


 そして、耐えきれずにそらは、頼子へと話しかける。


「ねぇ、ここ――本当に、大丈夫なの?」


「心配ないわ。高木さんも、上野うえのさんも悪い人じゃないから」


「上野さん?」


 初めて聞いた名前に、そらは首をかしげる。


 すると、頼子は夕食の献立でも語るように、軽やかに話し出す。


「上野さんっていうのは、ここの社長さん。そらちゃんも結構お世話になってたんだけど……覚えてないわよね?」


 そらが黙ってうなずくと、頼子は思い出に浸るように視線を一旦上へと外し――そして再びそらの目を見つめ、微笑ほほえんだ。


「大丈夫よ、怖い人じゃないわ。どっちかというと、優しそうなおじいちゃんよ」


 その時、パタパタというサンダルの足音が聞こえ、二人は会話を止めた。


「いやぁ、たちばなさん。どうぞいらしてくださいました」


 パーテーションの影からひょっこりと姿を現したのは、身長は150センチくらいだろうか、小柄で白髪をした年配の男性だった。


 その姿を確認するなり、頼子は席を立ち、深く頭を下げる。


「どうも、上野さん。お世話になります」


「いえいえ。こちらの方こそ、橘さんにはお世話になりましたから」


 屈託のない笑みを浮かべ、言葉を交わす大人たち。


 突然に現れた世代の壁に、そらは立ち上がることも、声を上げることもできずにいた。


 気まずさと劣等感から、そらの視線も二人と反対の壁へと向かう。


 ――早く終わってくれればいいのに。


 そんなことを考えているそらを救い出したのは、皮肉にも騒がしい声を上げて戻ってきた高木であった。


「お待たせしました。茶葉の方切れてたので、ペットボトルですけど――って、社長⁉」


 両腕にペットボトルを抱える高木。


 背後を振り返り、その様を目の当たりにする社長の上野。


「……高木くん、お客さんなんだから、グラスに注ぐだとか、もっと気を使いなさい」


 まるで悪戯いたずらをする孫を見つけたかのように、表情を崩す社長。


「すっ、すいません。待たせるのはまずいと思いまして――」


「だからといって、ペットボトルをそのままっていうのは――」


「まぁまぁ、元気そうでいいじゃないですか」


 このまま説教でも始まってしまいそうな空気の中、頼子が会話に割って入った。


 すると、高木も社長も、たしなめられた子供のように小さく頭を下げる。


「すいませんね。ウチの不手際に気を使わせてしまって――」


「いえいえ、気にしてませんから」


「そう言ってくださると、助かります。まぁ、立ち話も疲れるでしょうし、どうぞ、おかけください」


「すいません、ではお言葉に甘えて」


 社長に促され、頼子は軽く頭を下げると、元座っていた箇所へと再び腰を下ろす。


 それを確認した後、それと向かい合う位置に、高木と社長が腰を下ろした。


 そして一拍置いた後、社長は口を開く。


「では、早速今回の要件について、お話をうかがいましょうか」

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