第16話 夢へ通じるメモ

「……本当に?」


 自身の思いを肯定こうていしてくれた上に、協力してくれた母に、そらは驚きを隠せなかった。


「もちろんよ。それで、そらちゃんはみんなに顔を見せたくないみたいだけど、顔を見せないで続けるってことはできないの?」


 頼子よりこはそらの顔をいつくしむように見つめながら、穏やかな口調で話しかける。


 寄り添うような頼子の心遣いに、そらは込み上げる感情を必死に抑えながら言葉を伝えた。


「続けるだけならできるよ。でも、ずっと聞かれ続けるに決まってる。何度も何度も、いつまでもいつまでも、それが続いたら、きっと耐えられない――」


 再び感情的になりつつあったそらであったが、頼子の言葉が彼女をなだめる。


「そう……わかったわ。そらちゃんの助けになるかはわからないけど、ちょっと伝手つてを頼ってみるわね」


 そう告げると、頼子はゆっくりと立ち上がり、リビングの方へと向かって歩き始めた。


「――お母さん?」


 後を追ってそらがリビングに向かうと、頼子はテレビの脇に置かれた戸棚の前に立っていた。


 そらの記憶では、それは普段は滅多に使うことのない、主に貴重品が入っている戸棚のはずだった。


 これから何が起こるのか、まるでわからないそらは、不安そうに頼子の背中を見守る。


 ガサゴソと、引き出しの中をあさる音が、室内に広がる。


 テレビでもついていたのなら、雰囲気もだいぶ和らぐのだろうが、今更になってリモコンを手に取る空気でもなく、そらはじっとその時を待ち続けた。


「お待たせ。これなのだけど――」


 そう言って、頼子は一枚のメモ用紙をそらへと見せた。


 紙面には、黒のボールペンか何かで11桁の数字と、『高木』という文字だけが、走り書きと呼ぶにふさわしい躍動感あふれる字体で書かれていた。


「これって、電話番号?」


 そらの問いかけに、頼子は大きくうなずいた。


「えぇ、芸能事務所の高木たかぎさんっていう方なんだけど……」


「芸能事務所⁉ どうしてウチがそんな所の電話番号を持ってるの?」


 目を丸くして驚くそら。


 その様子に一瞬寂しそうな表情を浮かべたものの、頼子はすぐに顔を引き締め、いきさつを話し始める。


「あなたは覚えてないかもしれないけどね、事故に遭う前は、ここの芸能事務所にお世話になってたの」


「――へ?」


 突然に言い渡された荒唐無稽こうとうむけいにも思える話に、そらは思わず間の抜けた声を上げる。


 映画や小説の中だけの話だと思っていたものが、現実の、しかも自分自身に起こっているということに、そらは現実感が覚えられず、驚きを通り越して、逆に冷静に受け入れられていた。


 そしてそらは、当然抱くであろう疑問を、頼子へとぶつける。


「それだったら、どうして今まで言ってくれなかったの?」


「だって、いきなり母さんから『あなたは芸能人なのよ』なんて言っても、そらちゃんは混乱するだけだろうし、信じられないでしょ?」


「それは、そうかもだけど……」


「だから、もし、そらちゃんがそういう芸事げいごとの道へ、もう一度進もうとする時が来るまで黙っていようってことに決めたのよ」


 頼子の言葉に、そらは言葉を詰まらせる。


 自分ですら知らない、過去の自分が何をしていたのか。


 今の自分が、それ以上の存在になれるのか。


 前の方がよかったなどと、非難を浴びるのではないか。


 しかも、今のそらは顔に大きなハンデを負っている身――とてもではないが、諸手もろてを挙げて再スタートなどと言えない状態。


 新しい情報が多すぎて、脳がパンクしそうなこともあって、そらは何を言っていいかわからず、つい言葉をにごしてしまう。


「でも、その、私……」

 

 自信なさげにうつむくそら。


 だが、頼子はそんなそらの両手をしっかりと握り、優しく微笑ほほえんだ。


「大丈夫よ。だって、そらちゃんは歌いたいんでしょ? だったら、やるだけ、やってみよう?」


「……うん。ありがとう、お母さん」


 柔らかくも力強さを含んだ母の声に、そらは小さくうなずいたのだった。

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