第15話 カミングアウト

 その日の夕食はいつになく重い雰囲気に包まれていた。


「……ごちそうさま」


 それだけ言って、そらは箸を置く。


 今日も父親の帰りは遅い。


 母と娘、二人っきりの食事は珍しいことではなかったが、最後まで会話を交わさないのは初めてだった。


 夕時の食卓ということもあり、ダイニングのテーブル上には、大皿に小鉢、茶碗に汁物と、結構な品数が並んでいる。


 だが、そらが口をつけたのは小鉢に入ったホウレンソウの和え物と、油揚げと豆腐の味噌汁みそしるを一口。


 米飯は半分以上を残し、大皿に乗ったコロッケやエビフライといった揚げ物にいたっては、まったく手がついていなかった。


 いつになく元気のないそらの変調は、傍目はためにも明らかだった。


 それを母の頼子よりこが見逃すはずもなかった。


「どうしたの、そらちゃん。全然食べてないみたいだけど?」


 その一言で、そらの動きがピタリと止まる。


 そして数秒ほど悩んだ後、恐る恐るといった様子で目線を頼子へと向けた。


「あのさ……実は私、歌の動画、サイトに上げてたんだけど――」


「うん」


「そこでさ、顔見せたらいいのにって言われてさ――」


「……そっか」


「でもさ――私、こんなんじゃん! こんな顔を見せるとか、無理に決まってるじゃん!」


 感極まったのか、せきを切ったように、声を荒らげて悲痛な思いを伝えるそら。


 そして、一度噴き出した感情は治まることなく、内なる思いを吐き出し始める。


「私だって、他の人みたいになりたいよ! みんなと一緒に歌ったり、雑談して笑いあったり、コラボもしたり――でも、今の私には、それができないのっ!」


 そらは感情のままテーブルを叩き、拳を震わせた。


 その様子を、頼子は切なそうな眼差しで見つめる。


 気まずい沈黙が周囲に広がり、時間ばかりが刻々と過ぎていった。


「……ごめん、変なこと言って。私が言ったこと、忘れていいから」


 時間を置いたことで冷静さを取り戻したそらは、顔を赤らめたまま顔を背け、部屋へと戻ろうとする。


 だが、そんなそらを頼子の言葉が呼び止めた。


「――知ってたよ。そらちゃんが頑張ってるってこと」


「えっ?」


 驚き、目を見開くそらに対して、頼子は気まずそうにしながらも、柔和に笑いながら続けた。


「そらちゃんが歌っている声が、廊下を通った時に聞こえてきてね。楽しそうに歌ってるんだなって思うと、なんだかうれしくって……」


「そう、だったんだ……」


「ごめんなさいね。でも、母親のさがなのかしらね。ふさぎ込んでいたあなたが夢中になれるものを見つけたんだって思ったら、邪魔をしちゃいけないんじゃないかって――」


「そんなことない! だって、お母さんは、こんな私を――」


「――私はね?」


 そらの叫びを強引にさえぎって、頼子はゆっくりと、思いを語り始めた。


「そらちゃんが、生きていてくれるだけで嬉しいの。楽しそうに笑っている顔を見られるなら、なんでもしてあげたい、そう思ってるわ」


「お母さん……」


 ――ありがとう。


 その一言を、そらが発しようとした刹那せつな――頼子の口がわずかに早く言葉を紡いだ


「――だからね、そらちゃんが本気を歌い続けたいっていうんだったら……母さん、力になるよ」


 そう発した時の頼子の瞳は、優しく笑いながらも、真剣な色合いを色濃く示していた。

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