第12話 踏み出された一歩

「買っちゃった……」


 梱包こんぽうされた段ボールを前に、たちばなそらはごくりとつばを飲んだ。


 勢いに任せてネットで注文してしまったものとはいえ、いざ実物を目の当たりにすると否応なしにテンションが上がる。


 そらはえつに入るのもそこそこに、段ボールを開いた。


 中に入っていたのはスタンド式のマイク。


 値段も控えめな、どちらかというと安い部類に入る商品だった。


 だが、当のそら本人は機器の性能にうとかったこともあり、品質に関して気にすることもなく、無邪気に笑みを浮かべてマイクを取り出す。


「へぇ、結構しっかりしてるんだ……」


 今までカラオケ用のマイク程度しか握った記憶のないそらにとって、収音の機材としてのマイクは初めての経験だった。


「これは、この辺に差し込めばいいのかな?」


 そらは、たどたどしい手付きでマイクの端子をパソコンに繋ぐ。


「よし、あとは……」


 パソコン側の準備が整ったところで、そらは立ち上がり窓際まで向かう。


 日は高く、そらの目元をこれでもかと明るく照らす。


 そのまばゆい陽光に目を細めながらも、そらはカーテンをサッと閉じた。


 気休め程度の防音 措置そち


 だが、気持ちがたかぶっていたそらは、そこにまで注意が回ってはいない。


 ――早く歌を投稿してみたい、どんな反応があるのか見てみたい。


 そんな思いに突き動かされ、そらは早鐘はやがねを打つ心臓を引き連れて、パソコンの前に戻った。


 そして、大きく息を吐いて、全身をおおっていた微々たる緊張を振り払う。


「――さて。何を歌おうかな」


 何をするにしても、最初の一歩というものは重要だ。


 というのも、周囲に対して、どのように見られたいのか、今後どういった方向性で活動していくのか、自らを見つめ直す時の指針ともなりうるからだ。


 そのため、そらも曲のチョイスには慎重になる。


 ――今流行している曲の中から歌えそうなものを選ぶべきか。


 ――それとも、皆が歌っている定番の曲を選んでみるべきか。


 ――はたまた、誰も歌っていないような曲で興味を引いてみるべきか。


 散々悩んだ結果、そらは運命の一曲を決める。


「やっぱり、私だったら『この曲』になるのかな」


 そらが選んだのは、自らとあおいを引き合わせた、思い出の曲。


 知名度こそあるが、検索をしなければ、そうそう出てはこないような、時代の波に飲み込まれてしまったのだろう存在。


 人目にこそ付きづらいかもしれないが、自分と同じように好きな曲を探してやってきた人たちに見つけてもらいたい――。


 そんな思いを胸に秘めつつ、そらはその場に座り直し、咳払せきばらいをする。


「これ、立って歌った方がいいのかな?」


 直前になって、様々なことが気になり始めるそら。


 だが、何度か歌ってみて一番良いものを投稿すればいいと思い直し、カラオケ用の音源をスタートさせた。


 何度も聞いたイントロ。


 誰かが見ているわけでもないのに、一度治まったはずの緊張が再び表へしゃしゃり出てくる。


 ――もう少し、時間が欲しい。


 しかし、そんなそらの願いは、無情に押し流されていく。


 もう、そらに残された道は、歌い切る以外になかった。


 瞬間。


 頭の中で何かが弾けた様に、そらの口は開き、踊るような歌声が室内に響いた。

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