第9話 もう一つの世界のアイドル

 彼方かなたあおいは、歌にゲーム、雑談放送など、マルチに活動をするバーチャルアイドルである。


 現実世界ではそう見ることのない、派手な色合いの髪色に大きな瞳に、若干露出の多めな衣装という出で立ち。


 その姿から、どのような人物が彼女を演じているのかなど、到底うかがい知ることはできない。


 しかしながら、それは彼女を語る上では些細な問題であった。


 数多の動画が絶えず積み重なり深度を増していく、バーチャルの海の中、アイドル的存在として、決して足を止めることなく活動を続けてきた彼女の在り方は、多くのファンを生み出していた。


「……へぇ」


 あおいの口から奏でられた歌に、そらは純粋に驚きと感嘆の入り混じった声を上げた。


 それは、プロのアーティストと比較すれば、まだまだ粗削りなもの。


 ただ、素人のカラオケと比較すれば、十分すぎるほどに上手だった。


 しかし、そらが驚いたのは彼女の歌唱力ではなかった。


 彼方あおいの澄み渡った歌声から伝わってくる、まるで声で心を直接刺激されているかのような、むずがゆい感情――それによって、そらは強い感動を抱いていたのだった。


「歌って、上手さだけじゃ、ないんだなぁ……」


 動画の再生が終わると、そらは歌の余韻よいんに浸りながら、視聴者たちのコメントに目を向ける。


 ――あおいちゃんの歌、やっぱり好き。


 ――めっちゃ歌上手くてファンになりました。


 ――歌もいいけど、トークも面白いから、是非ほかの動画も見て。


「もう普通にアイドルになってるじゃん、これ――」


 そこにあったのは、現実とインターネット上という、場所こそ違えど、多くのファンによって支えられている一種のカリスマ――いわゆるアイドルという存在に間違いなかった。


 以前、テレビの情報番組で、ほんの一時だけではあるが、バーチャルアイドルが取り上げられたことを、そらは思い出した。


「こんな子がいるのなら、もっと見ておけばよかったな……」


 話題性だけ。一時的なブーム。現実のアイドルには敵わない。


 そう切り捨て、当時は気にも留めてもいなかった自分。


 だが、実際に彼女のパフォーマンスを目にすると、その考えは浅はかであったのだと認識させられる。


「……ごめんなさい」


 過去に抱いていた否定的な感情に罪悪感を覚えながらも、そらは一度目をつむり、背筋を伸ばして、大きく息を吐く。


 数秒の間を置いた後、そらは再び目を開くと、カップに残ったお茶をすべて飲み干し、すっくと立ちあがった。


 そして、そらは勇ましい足取りで部屋を出ていく。


「――よし!」


 数分後、再び自室へと戻ってきたそらは、手にはお茶の入ったペットボトルを握っていた。


 そらはパソコンの前へと滑り込むように座ると、空のカップへお茶を注ぎ始める。


 臨戦準備完了と言わんばかりに、そらは口を結び、瞳に光を宿らせ、ほおを紅潮させる。


 久しく感じていなかった、わくわくとした感情に戸惑いと興奮を覚えながら、そらはバーチャルアイドル『彼方あおい』という存在について調べ始めるのだった。

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