第6話 見つかりたくない

 一般の社会生活を営む人々にとって、外出という行為は日常の一部となっており、別段意識をするものでもない。


 ただ、たちばなそらはその枠からは外れた存在であった。


「あら、そらちゃん。出かけるの?」


 リビングに置かれたソファに腰を下ろしながら、そらの母『頼子よりこ』は背後を通り抜けようとする娘に声をかける。


 すると、そらは一度足を止めると、口を小さく開いて、最低限の言葉を返した。


「うん、ちょっとコンビニまで」


「そう、じゃあ車には気を付けてね、いってらっしゃい」


「――うん、いってきます」


 そう言い残し、そらはリビングを後にして玄関へと向かった。



 そらの外出時の格好はいつも決まっていた。


 普段着のスウェットの上から大きめの上着を羽織り、顔にはマスク、頭にはキャップ帽を深く被って、足元は履きつぶしたスニーカー。


 帽子と髪の毛で、なるべく傷跡を隠すようにしつつ、限りなく目立たないように気を配った、そらなりに考えた服装であった。


 人前に出て恥ずかしくない格好とは言えないが、そらの外出時の行き先は近所にある人気ひとけのまばらなコンビニであったので、当人も大して気にはしていなかった。


 住宅地ということもあり、通勤時間帯や買い出しの時間帯をのぞけば、人に出くわすことはほとんどない。


 そのため、外見を極端に気にするそらであっても、特定の時間帯においては外出しようと思えたのだった。


 これが駅前であったり、遊興施設であるとか、大型のショッピングセンターがあるような地域であったなら、そらに外出という選択肢は生まれなかっただろう。


 そして、そらは今日も足早にいつもの道を進んでいた。


 まだ冷たさの残る風が、そらの顔にぶつかり、帽子で押さえつけられた前髪をわずかに揺らしながら後方へと流れていく。


 そらはその感触を気に留めることもなく、わずかに目を細めて、淡々とした足取りでリズムを刻んでいた。


 歩道もない、車が一台通れる程度の細い路地は、各家の敷地を囲う外壁もあって、人の目もほとんど気にならない道――。


 それは、そらにとって唯一ともいえる外出経路のはずだった。


「――っ!」


 ゆえに、そらはその人物を目にした時、反射的に顔をそらしていた。


 路地の曲がり角から現れた、突然の通行人。


 保険か何かの会社の社員なのだろう、フォーマルな出で立ちに、若干濃いめのメイクをした若い女性は、コツコツとヒールを鳴らしながら近づいてくる。


 その間、そらは声には出さないものの、心の中で念仏でも唱えるかのように一心に祈り続ける。


 どうか、気付かれませんように。


 どうか、声をかけられませんように。


 どうか、このまま通り過ぎてくれますように。


 そんな思いが通じてか、女性はそらの脇をすり抜け、はるか後方へと消えていった。


 女性の気配が消えたタイミングで、そらは無意識に止めていた息を吐き、足を止めた。


「まったく……心臓に悪いってば」


 今日はもう家に戻ろうかという思いも脳裏に浮かんだものの、残りの距離を考えた結果、そらはそのままコンビニまで向かうことにした。

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