Let's joy
夕凪
Let's joy
「じゃあ、また来週」
「おう、次は飯でも行こうな」
ギィィ……と音を立てて閉まる玄関ドアに背を向け、埃っぽいアパートの階段を下りる。下ろし立てのコートに埃がつかないか気にしながら歩くのは何となく気分が悪いので、早坂の家に来る時は着慣れたジャンパーにしようと心に決める。
先月から、毎週日曜は早坂の家で過ごすことになった。なぜそうなったのかと聞かれても成り行きでとしか答えられないが、数少ない友達を大事にしようと思ったから、とか答えられたら良いのになぁと思う。嘘はつけないのでそんなことは言わないし、言う相手も居ないが。
駅の改札を抜け、ホームのベンチに座る。ホームから眺める街のネオンは、どこか侘しげに見えた。
「かっこつけないこの街が好きだったのになぁ」
コートのポケットに手を突っ込んでそう呟くと、背後から肩をポンと叩かれた。
「うわ、なんですか。いきなり」
振り向くと、目が隠れるほど前髪の長い、制服を着た少女が立っていた。
「……幽霊の方?生憎僕には霊感が無いものだから、神社とかに行った方がいいと思うな」
「幽霊じゃありません」
どうやら、幽霊ではないらしい。彼女の頭上で蛍光灯がいかにもそれっぽく明滅しているため、幽霊かと思ってしまった。年頃の女の子にこんなことを言うなんて、少し、いやかなり失礼だったかもしれない。
「ごめんごめん、失礼だったかな。でもいきなり肩を叩かれたら誰だってびっくりするよ。ところで、君は誰なの?」
要領を得ない問いかけになってしまったことを自覚しながら、とりあえず誰なのかを尋ねてみる。まともな答えが返ってこなかったら、無視して場所を移動しよう。
「名乗る必要はありません。私は今から、自殺するんですから」
そんなこと言われたら、無視できないだろうが。
ホームの自販機でホットの缶コーヒーを2本買って、ベンチに戻る。
「ほら、コーヒー。ブラックにしちゃったけど飲めるよね?」
彼女は可愛らしくコクンと頷き、缶を開けて中身を一気に流し込む。
「そんなに焦って飲まなくてもいいのに……」
場の空気が和んだことを確認してから、本題に入る。
「でさ、なんで自殺しようとしてるの?」
「歌で生きていけないなら、死ぬしかないからです」
あまりに簡潔な返答に、思わず笑いそうになってしまう。シリアスな場面でも笑ってしまう自分の悪い癖をなんとか抑え込みながら、彼女に説明を促す。
「私、歌手になるのが夢なんです。でも、全然売れなくて。ネットにアップした曲も全然再生されないし、もういいかなって。私、ずっと自分には圧倒的な才能があると思っていた。だって、音のない世界なんて考えられないから。私は特別なんだって、売れるべくして売れるアーティストなんだって、ずっと思ってた」
「でも、現実は違ったってことか。そりゃそうだろう、簡単に売れるアーティストなんて、ほんのひと握りだよ。そこからこぼれ落ちた奴らはみんな、苦渋を味わいながらその時を待っているんだ」
「そんなモブキャラみたいな生き方、真っ平御免です。簡単に売れて、簡単に稼ぐ。それ以外の人生に興味なんてないんです。それに、私にとって音楽は退屈しのぎでしかないんです。暇つぶしに人生をかけるなんて、そんなの、嫌なんです」
余りにもわがままな言い分に、こんなに自分に正直な人間が居たんだ、と衝撃を受ける。自殺を止めるつもりが逆にこちらが生きる意味を説かれているような。そんな気分になる。
「だから、死ぬってことか。確かに理にかなっている気がしてきたな」
実際に理にかなっているのかどうかは知らないが。
「でしょう?だから死ぬんです。そう、それが全て。絡まったコードみたいな、複雑な理由だけが自殺の理由ってわけじゃないんです。私みたいに、軽く飛び込める人間もいるんですよ」
そう言って笑った彼女の顔が、とてつもなく可愛かったから。周囲の視線も気にせず2時間もかけて説得して自宅に招いたのは、このような事情があったからなのだ。
「クレヨンみたいにカラフルな壁紙ですね」
僕の部屋に入ると、開口一番、彼女はそう言った。
「壁紙に騙されちゃダメだよ。僕は無色透明な人間だから。面白くない男だよ、僕は」
「無色透明って、ネガティブな意味も持つんですね。私を説得している時の貴方の必死な顔は、中々に面白かったですけど」
これからどうしようかと上を向いて腕を組んでいると、彼女の携帯が鳴った。
「もしもし……うん。分かった。今帰るから。夕飯も食べる」
「えっ、ちょっと待って」
「ということなので、家に帰ります。今日はありがとうございました。私、絶対にこの国を代表するアーティストになってみせるので、期待しといてくださいね」
「また死にたくなったら、この番号に電話をかけてよ。いつでもどこでも、相談に乗るから」
「貴方、希死念慮を甘く見ている節がありますね。死にたいって気持ちは、そんなに穏やかなものじゃないんですよ。星占いみたいに、押したらポンとはいかないんですよ」
「その例えはよく分からないけど、言いたいことは分かるよ。いや、でもさ」
彼女は僕に一歩近づいて、強めのデコピンをした。今日二度目の笑顔は、さっきよりずっと近くで見ることができた。
「無色透明なわりに、下心は捻くれているんですね、早見さん」
また来ます。と言い残して、彼女はどこかへ消えてしまった。いや、実際には階段を下りて帰ったのだろう。僕が動けなかっただけだ。
「また来てくれるのかなぁ、本当にさ」
とりあえず早坂に話すネタができたことにホッとしながら、僕はコーヒーを淹れることにした。
Let's joy 夕凪 @Yuniunagi
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