3:追放後の研究狂いの魔術師とバケモノ
その日は午後から雨だった。
澄み渡る青空は灰色の雲に覆われ、干していた洗濯物は籠に逆戻りした。
少し気落ちしながらも、そんな感情の変化を楽しんだりする。
ここは静かで平穏だけれども、時々無性に退屈であったりもする。
それを好んでここに移り住んだわけだが、稀にどうしようもなく喧噪が懐かしくなるときもあった。
逃げるようにこの誰からも煩わされない場所に移り住んで、もう何年経っただろう。
長い時間の中で考えることはたくさんあった。
ずっと滞っていた術の研究や積んでいた本の山の読破…。
これまでの人生について。死について。
最初、過去を振り返ると出てくるものは憎悪や怒りばかりで、好んで思い出すことはしなかった。
だが、何にだって変化は訪れる。何ものも時の流れには逆らえない。
数年が経ち、いろいろなものが変化した。
この静かで、刺激のない生活がよかったのだろうか。
最近はようやく当時を冷静に顧みることができるようになった。
恨むだけでなく、憎むだけでなく…私も悪かったのだと素直に認めることができた。
その分、過去を後悔することも多くなった。
若い頃は後悔なんて文字すら頭になかったというのに。
これが年をとるということかと少し寂しく思う。
だが、後悔するだけではなかった。
余りある時間の中で、私は考えた。
今からでも、やり直すことはできるだろうか。
人を心の奥では信じ切れなかった自分。触れ合いを避けていた自分。
人嫌いであった自分を変えたい。
何事も遅いということはないだろう。
もしこの場所を訪れる人がいるなら、その時こそ優しくしようと私は消極的ながらも考えていたのだ。
そんなときだった。
運命が転がり込んできた。
夜中ずっと雨は降り続いていた。
ベットの上で毛布にくるまりながら、雨音を子守唄に目を瞑る。
その夜見た夢は奇妙なものだった。
大きな影が家の裏の畑で暴れているのだ。
朝目覚めて、昨夜と打って変わり、晴れ渡る青空を窓から眺める。
なぜか、胸騒ぎがした。
急いで着替え、家を出て、裏の畑へと向かう。
虫の知らせというやつか。
嫌な予感は当たっていた。
いつも整然と並んでいる野菜たちが嵐のあとのように荒らされていた。
昨日はそこまで風は強くなかったはずだと駆け寄ると、目に入ったのは足跡だった。
しかも裸足だ。
だがそんなはずはないのだ。
この森に人間が入り込めるはずがない。
そう、魔法をかけたのだから。
0000
火は人類の最大の発明だ。
だとすれば言葉は人間が他の動物と一線を引く文明の最大の発明だ。
魔法は、どんな赤ん坊でも魔力があれば簡単に発動することができる。
だが、それは単なる力の暴走に過ぎない。
範囲を指定するにも、対象を指定するにも、日付、時間、もっと細かな条件付けをするために、力は言葉の制御を受け、細微で洗練された魔術に生まれ変わらなければならない。
だから大規模なものになるにつれ、魔術陣や数時間にも及ぶ呪文、術具も必要となってくる。
言葉を介し、魔術は完成する。
そんな言葉の持つ力を、当時私は魔術師たちの中で研究していた。
そして、かつてそれなりの地位を得てしまった魔術師ゆえに、国は私に枷をはめた。
私自身納得したことであったし、研究ができればどうでもよかった。
だけれど、もう一方の枷の先に繋がれた男は自身の不自由に抗い、そして、枷を乱暴に外してしまったのだ。
枷に繋がれた私を貶めるという方法で。
今までの成果は全て別の人間の者となり、それもまた同じ枷だというのに、その人間と男は結ばれた。
一度手に入れた自由を再び手放した男は一体何がしたかったのか、未だに私には理解できない。
その身勝手さに私は振り回され、嘲笑の中、国を追い出された。
過去の栄光とは言え、一度は国家魔術師という立場で上層部にいたのだ。
そんな私の目に飛び込んできたのが、荒らされた畑と何の乱れもなく機能している結界であった。
明らかに異常だった。
私は何度も確認したが、結界は正常に働いている。
だが、畑につけられた堂々とした足跡が、確実に人が侵入したのだと私に確信させた。
私は驚き、尊敬の念を覚えた。
きっとこの畑に入り込んだのは、私以上の魔術師なのだろう。
だが、かなりの変人だぞと私は笑った。
靴も履かないで森をさまようなんて。足の裏はどうなっているんだ?
私は盗まれた野菜の量を目測した。
かなり腹を空かせていたらしい。
考えるほど、想像上の人物は奇天烈になっていく。
だがどんなに変人でも、私は人に優しくしようと決めたのだ。
そう思い、私は畑にとある術を施したのだった。
0000
深夜、眠っていた私の意識が強制的に目覚めさせられる。
来たか。
逸る心を持て余しながら、ベッドを出て、寝間着から急いで着替える。
ランプを片手に玄関を出て、裏の畑へ。
ちょうど雲に隠れていた月が顔を出す。
今日は満月か。
舞台としてはでき過ぎだと思いながら、足を早める。
肌寒い風が頬を撫で、月光が仄かに照らしだす中、その影が見えた。
今度の術は成功したようだ。
影は何かに縛られているかのようにもがいている。
刺激される研究心を抑え、震える唇を開いた。
「今晩は。綺麗な月だね」
人と話すのが久し振りで少しどもってしまう。
赤面した顔が見えないことを祈りつつ、相手の反応をうかがう。
影はぴたりと時が止まったかのように固まり、次の瞬間にはより一層暴れだした。
私は困惑し、首をかしげる。
久し振りで何か変なことを話しただろうかと考えつつ、止めていた足を動かすと、影の主は唸り声をあげた。
獣の唸り声。
いや、二足歩行の獣などいない。
だとすると獣人か?
それも違う。
今回の術の指定に<生きている人間>は含まれていない。
つまり<人>がこの術に絡めとられるわけがない。
よほどの高名な魔術師だったら別だが。
そしてよほど高名な魔術師であったら、そもそも術に引っかからない。
そうして消去していくとたどり着く答えは限られていく。
二足歩行で、人の形をしている……
「君は一体…?」
高鳴る胸を抑えつつ、ゆっくりと影に近づいた。
ランプの光に照らされた、それは確かに人間ではなかった。
人間ではないが…だとすればこれは何だ?
私は困惑し、それを見つめる。
敵意を露わに、歯をむき出しに、唸り声を上げるそれは、人の形をとってはいたが、とても歪なものだった。
死体から臭ってくるような独特の異臭、まるで合わないピースを無理やり組み合わせたかのような継ぎ接ぎだらけの肌、そして所々に見える継ぎ目とそこから変わる肌の色。
夜の闇よりも艶やかな黒髪、対照的に真珠色の歯が唸り声をあげる口から覗いていた。
ああ、確かに<人>ではないのかもしれない。
一人の人間の形をとっているのに、まるでたくさんの人間の切れ端を繋ぎ合わせたかのような違和感があった。
私はこれに似たものを、過去に見たことがある。
明らかに不自然に繋ぎ合わされた肌が…彼が誰かの手によって作り出された生命だと確信させた。
だとしたら、なんて素晴らしいんだ!
合成獣、人造人間、どちらの研究機関もここまで完成された生命を作り出すことはできなかった。
私は、獣のように唸りながらも瞳の中に見え隠れする知性の光を見て、胸を躍らせた。
一体どんな天才が作り出したのだろう、とそこまで考えて、疑問が頭をよぎった。
なぜ研究者は彼を放っておいているのだ、と。
辺りを探るが私たち以外の人の気配はない。
考える可能性としては、彼は研究機関から逃げ出してきたのだろうか。
どのような事情にせよ、彼の話を聞かなければ始まらない。
私は彼に話しかけてみるが、かえってくるのは唸り声だけだった。
話したくないのか、話せないのか。
困惑した私が思い出したのは、昨日の畑の様子だった。
私は気取ったように指を鳴らして、彼にそれを差し出した。
「アップルパイだよ」
何もない空間から突然現れた物体に驚いたのか、唸り声が止まる。
そして私の両手の上の皿に乗せられたアップルパイをじっと見つめる。
彼を歓待しようと作っておいたのだ。
お腹を空かせているだろうと予想して。
なぜアップルパイかといえば、私が好きだから、それだけにすぎない。
だがそんな気まぐれで作られたものだったが、彼は気に入ったようだった。
あっという間に目の前からパイは消えていった。
よほどお腹を空かせていたのだろう。
私は嬉々として、彼に尋ねた。
「夕食の残りがまだあるのだが、どうだろう、家に来るかい?」
彼は私の言葉を聞くと、動揺したようだった。
どうしてだろうか、私には彼が怯えているようにも見えた。
人々が怪物を恐れるように、理解することのできない異物への恐怖が見えた。
だが、彼は何を恐れたというのだ?
それを知る前に、束縛していた術が効果を失った。
というよりも、私が彼の正体に気付き、驚愕した時点で術の拘束が緩んだのだろう。
私が対応する前に、彼は背中を向け、人間では考えられないスピードで木々の中へと姿を消した。
「明日も待っている!」
彼の背中に向かって、私は叫んだ。
私の言葉は彼に届いただろうか?
私は笑った。
そもそも、彼は言葉を解するのかも私にはわからないのだから。
0000
翌日も彼はやってきた。
その次の日も、その次の日も。
懐かない野良猫のように、私を警戒しながらも、彼は毎夜畑に現れては、私が差し出すその時々の料理を口に運んだ。
私は彼のための椅子を準備し、彼のための食器を準備した。
人に贈り物をするのはとてもわくわくした。
私が彼のために何かを準備するたびに、彼の驚き戸惑う姿が私の楽しみを増やしていった。
私は毎日彼に何かしたいと考えるようになっていた。
そのころになると、彼は決して警戒を緩めなかったが、一緒に食卓を囲むようになっていた。
私はその時、彼を何と呼べばいいのか悩んでいた。
彼と過ごしている間、私は独り言のように延々と彼に話しかけていた。
まったく反応のない相手に話しかけるのは、人との会話にある種の苦手意識を持っていた私にとって、とても楽なものだった。
私は彼の反応を期待していなかった。
まるで子どもの人形遊びだ。
人との触れ合いを大切にしたいと思っていたのは確かだったが、人間というのは怠惰な生き物だ。
楽なほうへと流れたがる。
「それで、君のことは何と呼べばいいのだろう」
だから私はその質問に彼の答えを期待していなかった。
彼はラザニアを食べるのに夢中だったし、私も彼の名前を考えるのに夢中だった。
候補はいろいろあった。
だがどれも彼にしっくりくるものはなかった。
「かいぶつ」
それは予想していたよりも、低い声音だった。
私は、自身と彼しかいないというのに、一瞬誰が言ったのかと戸惑った。
彼はいつの間にか完食していた、空になった皿の上に視線を向けながら、再び口を開いた。
「ばけもの」
それが名前だと彼に認識させるぐらい、そう呼ばれてきたのだろう。
その単語を浴びせかけられた時、彼はどんな目にあってきたのだろうか。
私に対しての警戒を、数週間を経ても、とかない彼の様子から、決していい目にあってきたわけじゃないだろうと想像できた。
事情はわからないが、彼を作り出された人間からもそんな言葉を吐かれていたらと考えるだけで、私は怒りすら覚えるのだ。
人間は身勝手で、彼は何と悲しい生物なのだろう。
そして悩んだ。
彼を人間に堕とすのは正しいことなのだろうか?
「それは名前じゃないんだ」
私は怒りと動揺を抑え、優しい口調を意識して伝えた。
「どうだろう。よければ、これから君をアモルと呼んでもいいだろうか?」
それは天啓のように一瞬で頭に浮かんできた名前だった。
だが、考えていたどの名前よりも彼にピッタリな名前だった。
「………ぁモる」
そう呟いた彼は、途方にくれた迷子のように幼く、弱弱しく見えた。
0000
名前を決めてから、彼は更に私に心を許すようになった。
かといって私に素直に甘えるようになったかというと、そうではないが、単語ではあるが私と会話をするようになったし、毎日家に訪ねてきた。
私は彼のための椅子と食器が増えた家の中を見て、彼へと提案した。
「どうだろう?良ければ一緒に住まないか?」
こくりと彼がうなずいた日から、家の住人が増えることになった。
私は彼に暇を見つけては言葉を教え、様々な知識を与えた。
綿が水を吸い込むように、教えたことをどんどん理解していく彼は優秀な生徒であった。
彼は私が研究に夢中になってる間に家にある本を読んでいった。
それが良かったのか、悪かったのか。
彼が本を読むたびに、彼の苦悩する姿を見かけるようになっていた。
何を悩んでいるのか、私は彼から聞き出そうとしたが、彼は頑なに話そうとしなかった。
彼は時々日中どこかへ出かけて行った。
どこへ出かけていたのだろう。
傷だらけで帰ってくる彼に心配して声をかけたが、彼は何も答えようとしない。
私は彼が話してくれるのを待つことにした。
せめて、彼が世間の人々から身を隠せるようにとフード付きのコートを与えた。
「また、今日も行くのかい?」
私は、理解のない人々の謂われない差別や偏見を嫌悪していた。
彼はとても頭も良いし、理性的で、思いやりもある。
それこそ、私が前生きていた世界の人間どもとは比較にならない。
そんな彼が傷つくのは私には耐えられなかった。
かといって、私が彼に着いていこうとすると、彼は人外じみた速さで私を置いていってしまう。
魔術で彼の居場所を特定しても、次の瞬間にはそこにはいないのだ。
彼の身体能力に、引きこもりがちな私は強化魔術を使ってでもついていけない。
だとすると、彼をこの森から出さないことが最善策…とも思えない。
それは、彼の自由を踏みにじる行為だ。
私は彼を、私だけは彼の唯一の味方でありたい。
彼と出会い、彼の純粋さに触れ、私は愚かにもそんな傲慢な願いを抱くようになっていた。
せいぜいできるのは、彼に外にはあまり出ないでほしいと説得するくらいだった。
外出したとしても、人々から謂れのない暴力を受けないように、人の視線から外れることのできる魔法をかけたが、それも万全とは到底言えない代物だ。
魔術も魔法も万能ではない。
それは、身に染みて知っていたことだった。
「やはり着いていっては」
「ダメだ」
彼は首を振り、強い声音で拒否した。
だけどそこで諦めるわけにはいかなかった。
せめて、私が着いていけば、彼を守れる。
その時の私は理解していなかったのだ。
彼が外の世界で何をして、知識を得たことで生まれた苦痛を。
そして、彼は私にだけは知られたくなかったのだ。
いつの間にか私は彼の唯一の恐怖となっていた。
彼の意志を尊重したつもりの私は、過去から何も学んでいなかった。
私の傲慢さが他者を傷付けたというのに。
転機はいつだって、嵐を連れてくる。
その日、久しぶりに街に降りた私に、声をかけた人物がいた。
同じ国家魔術師として、私と共に切磋琢磨した旧友であり、ライバルであった。
「ミラ!探したぞ!!」
突然のことに驚いたのは、久しぶりに聞いた旧友の存在か、捨てた名前を呼ばれたことになのか。
「久しぶりだね、こんな辺境に観光でもしにきたのかい?」
「何を言っている!君を探しに来たんじゃないか!!」
「私を?」
今更私に何の用だというのだろう。
首を傾げた私に、旧友は苦々しく顔をしかめた。
「まずは謝罪をさせてほしい。
あの時助けることができず、すまなかった」
深々と私に向かって頭を下げる旧友に私は戸惑った。
プライドの高い彼が人に頭を下げるところを見たことがなかったのも、戸惑う理由の一つであったし、そもそも私は彼に謝罪さるようなことをされていないのだ。
王国であったことは、全て私の自業自得だ。
「だが、僕たちは君が王子と結婚することに反対だったから、婚約破棄までは納得していたんだ。まさか、君の成果を奪い、国外追放なんて真似をするなんて思いもしなかった」
いつも穏やかな旧友が舌打ちまでするのに呆気にとられる。
「あんの馬鹿王子め。
破棄までで済むと思いこんでいた僕らも馬鹿だったよ。
国を出るのも一苦労した。
君を追い出すなんてことをしたせいで魔術師たちの反感を買ったんだ。
そのせいで、他国に流出する魔術師も増えてね、逃げ遅れた奴らは魔術塔に軟禁に近い扱いを受けているという。
僕はなんとかコネと金を使って、逃げ出すことができたけど…あの国はもう終わりだ」
そんなことになっていたのか、と人ごとのように私は感じていた。
実際もう他人事なのだから、私の思考も間違ったものではないだろう。
「…こんな話はどうでもいいね。
ミラ、君を探していたのは、僕と共に研究を続けてほしいからなんだ」
ぎこちなく唇に笑みを浮かべながら、旧友は視線を地面に落とした。
「図々しいことは百も承知だ。
でも君がいなくなってから僕は、張り合いを失くしてしまって、何も手につかない。
後悔ばかりだ。
最初から君の婚約成立を邪魔することができていたら、破棄された後君を連れ出すことができていたら」
弱気を頭から振り払い、顔を上げ、私と目を合わせる。
気後れしながらも、私は真剣な様子の旧友の話を何とか理解しようとしていた。
「もう、何もせず後悔したくない。
だから君に会いに来た。
断られても、僕は君の傍にいるつもりだ。
この地に留まろうと思う」
「そこまで私を認めてくれるのはうれしいが」
「君の思っている以上だ」
彼は苦笑した。
「僕は君に惚れている」
ようやく慣れ親しんだ平穏が、彼の存在で崩れ去っていく。
彼の登場が、私とアモルの関係も変えたのだ。
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