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 キッチンの壁に背中を預けつつ、鍋以外にも監督しないといけない方へと目を向ける。ジャガイモを切り終えた智也が、鳥胸肉をまな板に乗せたので、なんとはなしに「なんだ、お前、好きな女の子いないのか?」と、聞いてみた。

 一秒と待たず、すごい勢いで俺の方へと顔を向けてきた智也。

 顔が赤いのは湯気のせいとしても、口をへの字に結んでるし。

「お、動揺してる、動揺してる」

「いないし!」

 かー、若いっていいねぇ、と、露骨な反応を示す初心な年下をからかってみる。

「いや、その言い方は、いるって意味だからな」

「いないのッ!」

 肯定している態度で否定する子供を微笑ましく見守りつつ「分かった分かった。で、顔は? 可愛いのか?」と、訊ね、再び泡立ってる魔女窯みたいな鶏ガラ鍋へと視線を向ける。

 こういうのも兄弟がいないと出来ないことだよな、と、一人っ子の俺としては、弟分を可愛がるつもりで色々と聞いてやっているわけで、決してからかっているわけではない。と、思う。半分ぐらいは真剣に恋愛相談を受けてやるつもりだ。

 この十八年ちょっとの人生で、一度……いや、二度ぐらいは春があったんだし。俺にも。

 しかし、鍋の中の水の対流で水面を泳いでいく玉葱の頭の部分を見送る間中、智也が無言だったから、鍋底から救い上げるような感じで大きく混ぜてから、視線を智也に戻した。

「アニキ、絶対変なことする」

 振り向いた顔にそんな台詞を叩きつけられ、思わず、噴き出してしまった俺。

 とんでもない返しがきたな、この野郎。

「なんでだよ⁉ お前の同級生に手なんて出せるわけないだろ⁉」

 智也は、一度俺から鶏肉へと視線を外し、ぽそりと呟くように言った。

「……五年生だもん」

 いや、その、お前よりも一歳年上だからって、十歳になるかならないかってのに、十九歳の俺が手を出すわけないだろ。

 いくら餓えてても!

 お縄を頂戴したくなんてないんだし!

 ただ、純然とした興味で「で、可愛いのか?」と、再び訊ねてみれば、年下の癖に溜息を吐いた智也がしょうがないか、といった顔つきで答えた。

「髪が長くて、大人しい」

 脳内でイメージしてみる。

 美女を想像するなら得意だ。伊達に転校生、クラス替え、進学等々、出会いのチャンスの度に少しずつ想像力を鍛えてきたのだから。今の俺なら、妄想美女の服装だって自由自在で、制服からマイクロビキニ、メイド服だって着せ替えられる。脳内でなら。

 そして、その超高性能な俺の脳内コンピューターが出した結論は……!

「分かる⁉ 分かるぞぉ⁉ 男なら、誰しも通る道なんだ」

 年上の大和撫子以上に、思春期男子のハートを鷲掴みにするものは無い。委員長っぽい仕切るタイプの何気ない素の仕草のギャップや、体育会系の近すぎる距離感とか、ノリが良い女友達の不意の照れを意識するのは、男にとっては第二段階なんだ。まず第一に女の子って部分を分かりやすく見せられてからじゃないと、バカな男子は恋に目覚められない生き物なんですよ、どこかにいる俺の理想のお姉さま! 演技で良いから、最初の一か月だけでもいいから、儚い大和撫子が実在するという夢を見せてください、切実に!

 そうかそうか、お前もそんな歳になったか、と、感慨深く何度も頷けば「あー! あぁ! うう! アニキ、料理!」と、自分自身が全く料理してない癖に――とはいえ、それも俺のせいだが――、もっともな指摘をされた。

「へいへい、ちゃんとしときますよ、総料理長」

 軽く敬礼して見せてから、再び鍋へと向き直る。

 智也も智也で鶏肉を再び切り始めたのか、皮で苦戦しつつも体重で押し切る包丁の大きな音が響いてきた。

 しかし……。さすがに、智也に負けたらショックがでかいので、ほんっとに恋を探さないとな、俺も。

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