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 帰宅後のキッチン。

 レシピによれば五~六時間煮て出汁をとるらしいが、そこまで悠長ゆうちょうに待ってもいられないので、取り合えず、長時間煮て火の通り具合とかを見ればいけると判断し、いの一番に買った鶏ガラを鍋に突っ込んで、水道水を少なめに――北極の氷山状態で、鶏がガラの半分から三分の一程度が露出する程度で火にかけ始めた。

 火力は、取り合えず最大にしてある。

 これが正しいかは、知らん。

 元々が男の料理だし、工学部の実験でも失敗して微調整していくことを学ぶ授業だってあるのだ。従兄弟の宿題ではあるが、自由研究的な面も在ると考えれば、折角なんだし目付け役の俺も自由に研究させてもらう。

 モノは試しだし、肉だけではなく、牛蒡の切れ端、玉葱の先っちょなんかも突っ込んでいく予定だ。ジャガイモの皮や芽だけは、食中毒が怖いので例外にしとくが。野菜の皮や屑から良い出汁が出るって、どっかで聞いた気がする。


 と、そこで視線に気付いて横を向けば、智也がむくれていた。

 一番時間が掛かり、しかも、水を入れて火に掛けるだけの単純作業なだから、背の低い智也が踏み台を準備して手を洗う間に済ませても別に良いと思ったんだが、智也としてはそうじゃなかったらしい。

 これから長時間、夏の暑さと鍋の熱さの中、嫌って程灰汁あくを取らせてやるのにな。

「むー」

 不服そうに唸る智也に、からかうようににやけて首を傾げて見せれば、自然と智也の前の流し台に置かれている、まだ洗ってさえもいない野菜が目に入り……良い事を思い付いてしまった。

「よし、分かった! 智也!」

「な~に?」

 疑いを知らない眼差しに、ごく僅かに良心が痛むものの、ここは弟分の成長を促す意味で俺は命じた。

「お前に、重要な任務を与えよう。玉葱を皮剥いて十字に切れ」

「ええ! ヤダよ! それ、目が! アニキ~」

 さっきの膨れっ面はどこへやら。折角手を洗ったってのに、甘えたような声を上げながら、俺の腰にまとわりついてくる智也。

「バッカ! 俺は生の玉葱の匂い嗅ぐと吐き気がするんだよ!」

「ボクもだよ!」

 まあ、俺と智也だけに限らず、親父も叔母さんもそうだし、家系的ななにかだとも思うが、それで死ぬわけではない。単純に、生の玉葱の匂いがダメなだけなので、アレルギーとは別物だし、加熱してしまえば我が一族の勝利だ。

 だが……。好き好んで、こんな危険物に触れたくない。

 オニオンスライスを初めて見た時は、食べ物と認識できず、調理前のが出てきたと思って、危うく小鉢片手に学食のおばちゃんにクレームつける所だったし。


 唐突に従兄弟対決が始まるが、掌底を智也の額に押し付け、そのまま腕を伸ばすだけで、まだまだ小さい甥っ子は間合いの外へと弾き出されていった。が、俺の前腕を掴んで揺する抵抗を続けている。そのしぶとさは素直に認めつつも、ここは心を鬼にして、後学の成長を祈りつつ突き放した。

「お、俺は、牛蒡ごぼうをピーラーで剥いて、手頃な大きさに切って煮るという任務があるんだ。牛蒡のが下拵えが大変で、大人の知見が必要なんだ」

 その一言ではまだ納得していない智也の肩に手を置いて、真顔で「俺もかつて乗り越えた試練なんだ、お前も頑張れ」と、エールを送れば、智也は硬く頷いた。

 聞き分けのいい弟分、万歳。

 とはいえ、玉葱から揮発する化学物質には、根性だけでは勝てなかったようだが……。


 ま、まあ、そんな涙目の智也の姿も含め、調理中の証拠写真をスマホで撮りつつ、智也が愚痴りながら玉葱の皮を剥いて十字に切る間に、俺は牛蒡の皮をむいて一口大に切り、切ったそばから流水にさらし、小さな鍋に朝とっておいた米の研ぎ汁を入れ、切った牛蒡をさっと湯掻き始める。

「うっぷ、……あ、アニキ! 鶏ガラ、沸騰してる!」

 えずきながらも、切った玉葱をボウルに入れて、ついでに根っこ以外の部分を鶏ガラ鍋に入れようとした智也が、慌てたような声を上げている。

 焦る弟分を尻目に、ごくごく普通に隣のコンロを見れば、確かに泡がボコボコと沸きあがっていた。

「ああ、多分、それで良いらしいぞ? ただ、灰汁あくは取れ」

 蕎麦とか茹でた時と違って、吹き零れるって感じじゃなかったし、そもそもがIHヒーターなので、火が消えてガス中毒にはならないだろうから、冷静に智也に指示を出す。

 牛蒡を剥いたピーラーは既に智也に渡していたが、せっかく鍋の前にいるんだし、それでジャガイモを剥く前に灰汁を取っとけ、という意味だ。

「うわ、っぷ。……あっつ、顔、湯気であっつ! こんな泡立ってるんだよ⁉」

 沸騰している鍋を覗き込んでは、すぐに顔を引っ込め、木製のスプーンを適当に鍋に突っ込もうとするも、手も熱いのかすぐに引っ込めてしまう。

 智也は、玉葱と湯気と汗でぐしゃぐしゃの顔を俺に向けたので――。

「心眼で見ろ」

 と、あくまで牛蒡に集中してみる。

 つか、こっちも直に茹で上がるんだし、その後に流し台でざるにあけるんだから、鶏ガラ鍋まで面倒見切れん。

「おお⁉」

 少年らしく心眼の言葉に反応した智也だったが、牛蒡の鍋も沸騰し、火を止めつつこっちの灰汁の出具合を確認していると、熱気を前に冷静になったのか「……アニキ、心眼ってどうやったら使えるの?」と、訊いてきた。

 修行と答えてもいいが、それ幸いと灼熱のキッチンから逃れ、庭に素振りにでも行かれては堪らないので、多分、湯掻けたと思う牛蒡をざるにあけながら「なんか、水に溶けなそうな……ほら、あの端っこにある卵の白身に灰がついたようなきったないの掬え」と、顎をしゃくって場所を示す。

「うん!」

 まあ、なんだかんだ言っても擦れてない小学生なので、こちらの指示には、全力で応えようとしている智也。

 ついでだからと、そんな健気な姿も写真に収めておく、俺。

 ただ、無事に最初の灰汁を取り除いた直後、泡っぽい部分は色合い関係なく全部灰汁のようだと気付き――水道に流そうとしたら、鍋で固まっていた部分以外も、なんか普通の泡じゃない挙動をした――おたまで、鍋の水面を全体的に掬っていくことになったが。

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