第3話 ブレスト

 亜美と食事に行った日よりも本格的な夏が迫って来ていた。

「久しぶりです。明日のライブの詳細お伝えします。

場所 ミュージックカンパニー 開場 17時 開演 17時30分 料金1500円(ワンドリンクチケット付)

受付で田口涼太見に来ましたって言ってもらったら入れます。」

僕は、ライブの前日に亜美にLINEをした。

「久しぶりー!連絡ありがとう!

了解です。楽しみにしてる!!」

直ぐに亜美から返信が来た。

僕は、明日の為にMartin 0-18を担いで夜の公園に出掛けた。

夜の街は、昼間の姿の名残を少し匂わせながらも全く違う顔を覗かせている。

昼間は、ママ友達が誰かの悪口を言いながらその悪口の中に、自分達の家庭の方が裕福だと競い合うような奇妙な会話をしているマンションの公園も東京まで繋がっていて、大型トラックや高級外車やファミリカーや会社名の入った白い軽自動車も今直ぐにでも煽り運転を始めそうな車体を低く改造し、ルームミラーによく分からないフサフサした羽のような物をぶら下げている車が多く走っている国道一号線も昼間の騒音を夜の暗闇が静寂で包み込んでいて、異世界のように感じた。

人は自分が普段見ているものを全てだと思い込んでいる節があると思う。

でも、新幹線が開通した瞬間も学校の校舎の最後の一つのボルトを絞めた瞬間も

賑わっている緑地公園の花壇に最後の一本の花を植えた瞬間も昼間に足を運んでいる人達は居なかったはずだ。

そう考えると、夜の静寂の姿が本当の姿なのかもしれないとそんな事を考えながら歩いているうちに、民家から離れた暗い公園に辿り着いた。

僕は、ギターケースからMartin 0-18を取り出して明日のライブで歌う三曲を何度も何度も繰り返して歌った。

左手の指先のタコが痛くなるほど歌った。

普段なら本番前にリハーサルもあるからここまで、練習はしないのだが、何故かこの日は今までに無いほど練習をした。

もしかしたら、亜美が見に来る事が原因だったのかもしれないし、公園に来るまでに難しい事を考えながら歩いた事が原因だったのかもしれない。

何かと原因を探ればこの世の全てを原因に出来てしまいそうな心情だった。

 当日僕は、リハーサルの為に16時にライブハウスに入った。

今日のライブは対バン式で出演者は僕以外にも4組居た。

今日のライブの主催者で僕を招待してくれたport&portというスリーピースバンドのドラム担当の金田という男が声を掛けてくれた。

この金田という男は、僕の地元の三つ上の先輩でバイト先で知り合った人だ。

「おう!田口久しぶり。今日、対バンありがとうな!」

アメスピを吹かしながら言った。

「久しぶりです!こちらこそ誘ってもらってありがとうございます。」

「今日、全部新曲するん?」

「いや、最後の一曲だけ新曲です!」

「ええやん、うちのバンドメンバーも皆んな田口の歌絶賛してるから楽しみやわ!」

僕が個人的に金田さんの事を尊敬しているという事もあるが、port&portに認められるという事は、関西でミュージシャンを目指している者としてはとても嬉しい事だった。

port&portは、事務所にも所属していて近年音楽業界で、次世代を担うバンドだと注目を浴びている。

そんなport&portと仲の良い僕には、耳が痛くなるほどの批判の声がある。

あいつは、歌も下手だ。ギターも上手くない。歌詞も自分に酔っているだけだ。

あいつを評価しているファンはport&portのファンで、port&portが可愛がっているから少し評価があるだけだ。

ライブハウスに行くとこのような声が出演者、観客問わず必ず僕の耳に入る。

「port&portにそうやって言うてもらえるのは本間に嬉しいです!」

「何か色々周りの奴らがヤイヤイ言うてるけど、あんなん耳貸すなよ

お前は、きっかけがあれば絶対売れるからあんな奴らに負けんと頑張れ!」

「そうそう!仲良いとかそんなん関係無しに、マジで田口くんの歌がええから俺ら言うてるんやで?」

横で金田さんと僕の話を黙って聞いていたport&portの全ての楽曲の作詞作曲を担当しているギターボーカルの上田という男が、声を掛けて来た。

上田さんはそよ風にさえもかき消されてしまいそうなほど、甘い声量の持ち主であり、それに加えてビジュアルも申し分無い男だ。いわば、誰もが認める才能の塊であり鬼才な人物なのだ。

「上田さん久しぶりです。ありがとうございます。

何か、今日新曲やるみたいで、楽しみにしてます。」

「ありがとう!俺も田口くんの新曲楽しみにしてるわ」

「上田!金田!リハ俺らの番やぞ!」

向こうの方からport&portのベースを担当している鈴川という男が声を出した。

二人は軽く返事をしてリハーサルに向かった。

向こうの方から鈴川さんが僕に向かって軽く手を挙げて挨拶をしてくれたので、僕も軽く会釈を返した。

port&portのリハーサルの音が、下のライブ会場から二階の楽屋に聞こえてきた。

楽屋に聞こえていたのは二曲だけで、その両方に聞き覚えが無かったので、おそらく新曲だけをリハーサルしたのだろう。

port&portが、リハーサルを終える少し前にスタッフから「田口さんリハの準備お願いします」と声を掛けられた。

僕は、Martin 0-18を担いで薄暗くて幅が異状に狭い階段を下って舞台に向かった。

舞台上ではport&portが、リハーサルをしていた。

リハーサルにも関わらず、他の出演者が全員何かを盗んでやろうという様な眼差しで、port&portを見ていた。

リハーサルが僕の番になった。

先程まで、客席に居た出演者はみんな散らばって行った。

「照明こうしたいとかありますか?」

スタッフが聞いて来た。

「大丈夫です!そちらで任せます。」

「了解です!スモッグはどうしますか?」

「お願いします!ちょっと多目でも大丈夫です。」

僕は舞台上から亜美を見つけてしまって、もしも目が合ってしまった時に苦手なBm7を押さえる事が、出来なくなってしまいそうだったので、自分の視界から亜美を消す為にスモッグ多めに注文した。

リハーサルを終えると、本番までの空いた時間を出演者達はそれぞれの時間の過ごし方をする。

パンクバンドのグループは本番前から缶ビールを開けて乾杯をしながら景気付けをしていたが、僕にはその姿が自分達がパンクというカルチャーを背負っている最後の継承者だと勘違いをし、自分たちが勘違いをしている事に自ら気づかず、そのカルチャーを周囲に押し付けているようにしか見えなかった。

僕がリハーサルを終えると、金田さんが声を掛けてくれた。

「田口、タバコ吸いに行こうや!」

「はい、行きましょう!」

ライブハウスに入って直ぐの受付の所に黄色のスポンジが飛び出したボロボロのソファと灰皿が置かれている。

僕と金田さんはそこに腰掛けた。

金田さんは深緑色をしたミントライトのアメスピの箱からタバコを一本を取り出しゆっくりと火を点けた。

僕もタバコを吸えば、金田さんに少しは近づけるような気がして、一年ほど前からアメスピを吸い始めた。

僕は黄色の色をしたライトのアメスピの箱からタバコを取り出し、金田さんの真似をしてゆっくりとタバコに火を点けた。

「上田さんと鈴川さんは、どっか行きはったんですか?」

「うん!あの二人は飯食いに行ったで」

「金田さんは行かんでも良かったんですか?」

「俺、ライブある日は朝にバナナしか食わんて決めてんねん

軽い飢餓状態にしてる方が、頭働いてええ演奏が出来る気がすんねん。」

「満腹やったら眠くなりますしね」

「そうそう!てか、田口最近恋愛はどうや?

そろそろ良い人おらんの?」

金田さんも石田同様に僕の恋愛について、少し気にかけてくれていた。

「一応、今日女性が見に来てくれます。」

「マジで?良かったやん!どうなん?

その人とええ感じなん?」

「それが、分からないんですよ。

一応こないだ、ご飯は行きましたけど向こうは僕の事をどう思ってるか分からないですしね。」

「まぁでも、飯行って今日来てくれてるって事は、悪い風には思ってないやろ!

ほんで今日、田口が歌ってる姿見たらかっこええやんて思ってくれるかもしれへんしな!」

「頑張りますわ!」

「因みに何処で出会ったん?」

僕は、石田に誘われた合コンでの出来事を全て金田さんに話した。

「どんな出会い方してんねん!

でも、何かお前らしいな。」

アメスピを灰皿に押し付けながら金田さんは笑っていた。

金田さんの笑顔には、変わった奴だなという笑みと、良い人と出会えて良かったなという気持ちが混同した笑みにも見えた。

「よし、ちょっと準備してくるわ!」

そういってボロボロのソファから金田さんは立ち上がった。

そして、受付とライブ会場の間の重たい扉を開けながら金田さんが振り返って、僕に言い残した事を言った。

「田口は変わってるし、自己評価が低い人間やけど、そんな奴が作る歌やからこそ、お前の作る歌には嘘がなくて、真っ直ぐやねん。

その歌が俺らは大好きやねん。

ほな、本番楽しみにしてるわ!」

 17時になりライブハウスが開場した。

お客さんの八割がport&portが目当ての人だった。

その中の数人の人が、port&portと僕が仲が良い事を知っていて、僕からチケットを買ってくれた。

これは、僕とport&portが一緒にライブに出る時は恒例の事だった。

これが、周りの出演者から僕が陰口を言われる一つの理由でもある。

17時30分になり、開演までの時間ライブハウスに流れていたBGMが絞られて行き、照明も単色から赤、青、白、緑に変わりスモッグを焚かれて今にも何かが始まりそうな雰囲気に会場が包まれた。

ライブが開演し、一組目のバンドが大いにトップバッターを務めてくれ、会場は盛り上がった。

二組目のバンドは東京から呼ばれたそこそこ名の知られているバンドで、関西では中々見る事が出来ないという事もあり、お客さん達のテンションは有頂天になっていた。

三組目のバンドは今日のライブで唯一の女性バンドで紅一点という事もあり、かなり盛り上がった。

四組目に問題が起きた。

あの自称パンクバンドが、ギターを床に投げつけたり口に含んだ酒を客に向けて吹いたり終いには、観客にボーカルではなくドラマーがダイブをし観客が怖がってそのドラムを避けてしまいドラマーが床に激突した。

床に激突したドラマーは、額から血を流していて、それを見たお客さん達が完全い引いてしまったが、構わずにメンバーは終始暴れて演奏を終えた。

前の出演者達が、温めてくれた会場は一気に騒然とした雰囲気になってしまい、そのまま僕にバトンが回って来た。

僕は、最悪な雰囲気のままステージに立ちMartin 0-18をピックでかき鳴らした。

僕は、シンガーソングライターなのでパンクバンドを除いた他のバンドのように会場のボルテージを上げる事は出来ないが、お客さんの気持ちを落ち着かせる為に一生懸命に歌った。

そして、最後の三曲目で新曲の『日常』という曲を歌った。


冷たい追い風が僕たちの距離も冷やして

憂鬱な一番星を見つけながら家路を急ぐよ

君は苦めのコーヒーを入れる

僕は苦手なコーヒーを口に含む

ミルクや砂糖じゃない君のなにかで甘く感じる


硬いバスタオルが僕たちの滞りのようで

柔軟剤の匂いを探して君と目が合うよ

弱いガスコンロの火が君の気持ちのようで

焼き過ぎないで妬き過ぎないでと願うよ


日曜日の終わりは世界中の始まりなのに

僕は君とのさよならのように感じて

偽りの始まりは幸せの瓦解のくせして

恋に幸あれと口笛に想いを乗せるよ


23時の長針動くなと明日の僕願う

僕は君とのさよならのように感じて

最後のひと口の味噌汁を喉に流して

涙で少し塩分が多く感じてるよ


この歌を歌っている途中で、観客の後ろの方に亜美の姿が見えた。

亜美の姿を見つけた時にはBm7のコードは過ぎていたのでそれが、せめてもの救いだった。

亜美も僕が彼女を見つけた事に気づいたのか微笑んでくれた。

なんとか、何事もなく僕の演奏は終了した。

パンクバンド以前の会場の雰囲気には、戻せなかったが、port&portの演奏に支障が無いくらいの雰囲気にはする事が出来た。

大トリのport&portの出番になると出演者も全員観客席に行き、彼らの演奏を見た。

もちろん、僕も観客席に行き亜美の横に行った。

「今日、ありがとうございます。」

亜美の耳元でport&portの演奏の邪魔にならないように小声で言った。

亜美の髪は風呂上がりのような良い匂いがした。

「お疲れ様、格好良かったで。最後の歌も何か泣いちゃったわ。」

亜美も小声で、優しく返してくれた。

亜美が泣いたという事は、金田さんが振り返り様に言ってくれた言葉はこういう事なのかと、漠然で抽象的ではあるが少し理解出来た気がした。

port&portが、二曲の演奏を終えてトークをしている時に観客席で見ていたパンクバンドを指差し、ボーカルの上田さんが怒鳴った。

「お前ら殺すぞ!パンクやんのは勝手やけど、あれの何処が音楽やねん!

今回は、滅茶苦茶な事やらんから出してくれ言うてきてそれ約束したからお前ら招待したったのに、しょーもないことしてんちゃうぞ!コラァ!」

上田さんは怒鳴った後、何事も無かったかのように「新曲です」とだけ言うと金田さんがスティックをぶつけて、カウントを取るとギターの長く響く音とベースの重低音が会場に響いた。

すると、上田さんが怒鳴った後、重たい空気だった開場とは一変して観客達は身体を揺らしリズムを取り出した。

これが、才能のあるミュージシャンの力なんだと改めて思い知らされた。

ライブは、port&portが無事に観客を楽しませ幕を閉じた。

本来ならライブ後に出演者達でお酒を囲みながら打ち上げをするのだが、この日はパンクバンドがport&portを怒らせた事によって、打ち上げは無くなってしまったた。

僕は、ライブ後亜美と話す時間が出来たので少し嬉しかった。

僕は、ライブハウスの前で待ってくれている亜美の元へ向かった。

「すみません。お待たせしました。」

「お疲れ様!全然大丈夫やで!明日土曜日やし今からご飯行く?」

「行きたいです」

「よし!じゃあ、行こう」

そう言って僕と亜美は夜の堀江を歩いた。

時間も22時を過ぎていたので、おじいちゃんが一人で切り盛りしている自営業の小さな居酒屋に入った。

店には、テーブル席が無くカウンター席に二人で並んで座り、僕も亜美も生中を注文した。

「涼太くん普段と全然違うくて本間にカッコ良かったよ!」

「本間ですか?ありがとうございます。何か照れますわ。」

「なんで照れるん?本間にカッコ良かったで!

でも、涼太くんの前に出てた人ら何か変やったな」

「何かじゃないでよ!ただただ変な奴らです!」

「確かに!だって、おでこから血流してたもんな

後ろの方におったけど、ちゃんと見えてびっくりしたもん」

「あいつらのせいで、打ち上げも無くなりましたしね」

「やっぱりあの人らが原因なんや!でも、こうやって私と打ち上げ出来てるから何も無いよりはマシやろ?」

亜美は、笑顔を見せながら冗談を言う様に言った。

「まぁ、はい!亜美さんと打ち上げ出来る方が嬉しいですけど!」

「そうやろぉ?」

亜美が僕を弄る様に返して来た。

「でも、最後のバンドの人めっちゃ怒ってたな」

亜美が続けて話した。

「あんな空気にされたら怒りますよ。

僕もあの後、めっちゃやりにくかったんですから」

「でも、怒った後に普通に歌ってるのがちょっと面白いなって思っちゃった」

「あの、怒ってはったバンドの人達が、僕の事を可愛がってくれてるんですよ」

「そうなんや!嬉しいね?」

亜美は自分の子供や甥っ子がかけっこで一番になった時にかけるような口調で喜んでくれた。

居酒屋に居る間、亜美との会話の中で僕の歌に関しての話が出てくる事は少なく話は、あのパンクバンドの事で持ちきりだった。

本当にの上田さんにあのパンクバンドを殺してほしいと思った。

でも、今日見に来たお客さんが、家に帰りライブを思い返した時に一番最初に思い出すのは、あのパンクバンドに違いない。

そう考えると、彼らは正真正銘のパンクをしているのかもしれない。

そんな事を考えながら亜美と話していると、1時間程が経過していたので店を出る事にした。

「亜美さん、今日は僕が奢ります!」

「いいよ!頑張ってたからご褒美として私が奢ってあげる!」

「いや、こないだも出してもらってますし、今日もお金払って見に来てもらってるんで僕に出させて下さい」

「じゃあ、お言葉に甘えて今日はご馳走してもらうわ!」

会計を済ませて店を出ると、昼間に熱されたアスファルトの匂いが夜風に乗っていた。

「今日は、楽しかったわ!ライブ呼んでくれてありがとう!」

「いえいえ、こちらこそ時間割いて来てもらってありがとうございます!」

「てかさ、涼太くん終電あるん?」

腕時計を見ると23時過ぎだった。

僕の実家は、大阪でも田舎の方だったので23時前の電車が終電だった。

ライブ終わりに亜美と飲める事ばかりに気が行き、終電の事など全く考えていなかった。

「終電・・・逃してまいました。」

「嘘?ごめんやで!私が、店おる時に声掛けてあげたらよかったな」

「大丈夫です。カラオケかネットカフェにでも泊まって、始発で帰ります。」

「でも、お金かかるやん!あれやったら歩いて20分くらいやし家泊まる?」

僕は、この言葉に心臓が爆発しそうになった。

付き合ってもいない男女が、泊まるなんて僕の知識の中には無い発想だ。

でも、行ってみたいという気持ちもあったが、泊まってしまうと亜美との関係が瓦解していくようにも感じた。

しかし、恋をしている時は、唯一人間の理性が働かなくなる。

僕もこの時、頭の中では泊まってはいけないと考えていたけれど、心の中では、頭の中で考えている事が、瑣末な事のように感じてしまった。

「良いんですか?」

「全然良いよ」

「じゃあ、お言葉に甘えさせてもらって泊まらせてもらいます。」

「良いよ!ちょっと歩くけど、行こか!」

そう言うと亜美は僕の半歩前を歩き出した。

歩けば歩くほど人通りの少ない住宅街に入って来た。

「子供の時にさぁ、皆んなと遊んで家に帰る時に空の奥の方に夕陽が行っちゃって手前の空が暗くなって来た時って、何かめっちゃ寂しくならへんかった?」

僕の半歩前から声がした。

「分かりますよ。一日が終わる事の知らせの様な気がして不安になりますよね。」

「えー、違うよ。さっきまで友達とワイワイしてたのに家に帰ったら

シーンてなるからやって!」

「そっちですか?僕はその暖色と寒色が共存してる空見ると、何も特別なことしてない自分が虚しくなって、一日が終わる事に申し訳なさとがあって不安になりましたよ。」

「子供の時にそこまで考えてる子は、涼太くんだけやって!」

同じ物を見て同じ感情を抱いていてもその、感情の理由が亜美と違っていた事に気づいた僕は、今から彼女と同じ空間で朝を迎える事が少し怖くなった。

「でもさ、寂しくなったその帰り道で一人で歩いてる時に、一番星見つけたら何か気持ちが落ち着いてんな!」

亜美は子供の時の表情に戻っていた。

この彼女の無邪気な笑顔が、僕にとっては子供の頃見た空よりも不安になる事があった。

「えー、それは分からないです!」

僕が笑いながら言うと、亜美は半歩前を歩いている足を止めて笑いながら軽く僕の肩を叩いた。

「着いたよ!ここ!」

亜美が、元気よく自分のアパートを紹介した。

「意外と近かったですね!」

「しんどいのは、今からやで!階段しかないからしんどいで!」

僕と亜美は三階まで階段を上った。

「散らかってるけど、どうぞ!」

そう言いながら亜美は、玄関を開けてくれた。

「お邪魔します。」

亜美の家に入ると、ライブハウスで彼女からした匂いが部屋中に漂っていた。

女性の家は全員こうなのだろうか、それとも亜美だけが特別なのか僕には到底答えは出なかった。

「ギターどうしよか・・・ここに置いとこか!」

そう言うと亜美は僕のMartin 0-18をクローゼットに立てかけた。

「先お風呂入っていいよ!」

この言葉に対して僕は、動揺を隠す事が精一杯だった。

「いや、先入って下さい!」

「良い?じゃあ先入るわ!喉渇いたら冷蔵庫にジュース入ってるから勝手に飲んでて良いよ!」

「ありがとうございます!」

「あ!でも、カルピスは飲まんといてな!私が飲みたいから」

そう言うと亜美は脱衣所へ向かった。

シャワーの音に交じりながら亜美の鼻唄が聞こえてきた。

その鼻唄に耳を貸すと、今日僕が歌った新曲を歌っていた。

亜美が、風呂から上がってきた。

部屋着の亜美は普段の大人な雰囲気はあまり感じられなかった。

「涼太くんも入っておいで」

「ありがとうございます。」

「あ!涼太くんのパジャマさ、私の大きめの服貸してあげるな!

パンツは流石に今履いてる自分のやつで我慢してや!」

「パンツはそりゃそうでしょ!」

「どうしてもって言うんやったら貸してあげても良いよ?」

亜美は腹を抱えながら言った。

「いらんわ!」

僕も笑いながら返した。

「あ!年上にタメ語使ったぁ〜」

家の亜美は自分の居場所だという実感が無意識のうちにあり、外で会う亜美よりも明るくて接しやすかった。

僕はお風呂に入り亜美の女性用のシャンプーやボディーソープで身体を洗った。

風呂から上がると亜美がパジャマとバスタオルをお風呂の入り口の床に準備してくれていた。

お風呂から上がった僕は、亜美からした良い匂いがしていて、自分の身体とは思えなかった。

「さっぱりした?」

「はい!ライブで汗かいてたんで気持ち良かったです」

「良かった、良かった!涼太くん歯ブラシは予備のやつあるからそれあげるわ!」

「ありがとうございます」

僕たちは洗面所に二人で並んで歯を磨いた。

「よおたくんこほやってみはらせたかいね」

亜美が歯ブラシを咥えながらモゴモゴと鏡に写った僕を見て身長の事を言った。

「ほおですか?」

「ほん!」

そういうと亜美は口を濯いだ。

「だって、私の大きい服が涼太くんが着たら丈ちんちくりんやん!」

そう言いながら口を濯いでいる僕が来ている亜美のTシャツの裾を軽く触った。

僕は亜美に促され寝る事にした。

「僕、床で寝るんで!」

「何で?横で寝たら良いやん

床なんかで寝たら腰痛くなるで?」

「いや、でも何か悪いんで・・・」

「良いよ!横おいでよ!今日はライブで疲れてるのに、床なんかで寝たら疲れ取れへんで?」

「いや、でも・・・」

「何気にしてんの?良いからおいで!」

亜美に半無理やり腕を引っ張られ同じベッドで彼女の横で寝る事になった。

暗い部屋で、僕の横には亜美が居る。

僕達はお互い背を向けて寝ていたが、背中ではっきりと亜美の呼吸を感じとる事が出来た。

背中越しに亜美が、こちらに向きを変えたのが分かった。

「涼太くん」

「はい・・・」

「今日歌ってた三曲目の歌めっちゃ良かったで、私あの歌聞いてたら何か涙出て来たもん」

「そんな良いもんじゃないですよ」

「涼太くん・・・こっち向いて」

僕は亜美の方を見るのが怖かった。

それは、男女が家に泊まり一緒の布団で寝て、何も無い訳が無いと以前に石田から聞いていたからだ。

もし、今亜美とそういう事になってしまったら二度と亜美と会えないような気がして、中々亜美の方を向けなかった。

「涼太くん、聞こえてる?」

僕は一度深く息を吸ってから亜美の方に体勢を変えた。

「どうしたんですか?」

暗闇だったが、目が順応して亜美の表情がしっかりと確認できた。

物憂げな亜美の表情がベッドのマットと並行になっていた。

「涼太くんって前自分でも言ってたけど、猫被ってるだけで本間は情けい部分があるって、でも今日の三曲目の歌詞聞いた時に涼太くんて、猫被ってるんじゃなくて本当の自分を出すのが、怖いのかなって思ってん

偽ってるんかなって思って、でもそんな自分を自分自身で苦しめて痛めつけてるんかなと思ってん」

僕は何も言えずに、涙が出た。

「だから、普段私の前でも自分で自分を苦しめてる涼太くんで接してくれてるんかなと思ったら歌聞いてて涙が出て来てん」

僕は、今まで亜美に心の中を全て見透かされていた事に気が付いたが、何故か安堵した気持ちにもなった。

「だからさ、私の前でも偽られたら私も悲しくなるから私の前では、歌ってる時みたいに伸び伸びしてる涼太くんで居てほしいな」

僕は泣いている事を隠せない程の啜り泣きをしてしまった。

僕が人前で泣くのは中学の卒業式で、石田ともう一人仲の良かった友達が一年間ずっと片想いだった女の子に告白をしてフラれた時に何故か本人よりも石田と二人で号泣した時以来だった。

「泣いてる?」

亜美は、小さな声で問い掛けた。

「大丈夫です」

僕は鼻を啜りながら答えた。

すると、亜美は何も言わずに抱き寄せてくれた。

その時僕たちの間には、男女という性やいやらしさといった類のものは、一切無かった。

ただ、お互いが本当に好きで、好きな人を心配しているという感情だけだった。

何故、お互いが好きという事が分かったのかは、この後の亜美の言った言葉から理解する事が出来た。

「前にうめきた広場で、元カレと熊のオブジェの話したって言うた時涼太くん本間は嫌がってたやろ?

でも、もう元カレの事は何とも思ってないし、このベッドで元カレと寝た事もないから安心して」

僕はこの言葉を聞いて亜美に対して、ずっとあった心のモヤモヤが晴れた。

翌朝、蝉の声で目が覚めた。

僕は、心のモヤモヤが晴れて、安心したのかそのまま亜美の胸の中で眠ってしまっていた。

ブラインダーの隙間の朝日で目を覚ますよりも、蝉の声で目覚めるのは心地良かった。

まだ、眠っている亜美の顔を見ると、やはり大人だなと改めて思った。

そして、僕はもう一度目を閉じた。

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