結 ~魔王と勇者

魔王の決意

「――今日は休業日だ」


 あるとき、就職斡旋所に訪れたハロオに、ホリックは言った。


「休業日?」

 ハロオは目をしばたく。そんなことは初めてだった。


「一緒に出かけないか?」

 元魔王ホリックは顔をしかめたまま、不機嫌そうに言った。

 彼女はこういった誘いなど、いままでしたことがなく、どう言っていいのかよくわからなかった。

「その……どうせ、ヒマなのだろう。お前は。無職だからな」


「ああ。そうだね」

 ハロオは、いつものように屈託のない笑顔でうなずいた。



「わぁー。いいねえ、ここは!」

 高台の広場に着くと、ハロオは子どものようにはしゃいだ。

 ここからは、この街が一望できる。遠くには海も見えた。

 風も気持ちよい。

 街の住人たちの姿も多かった。景色を見て歓談したり、弁当を広げていたりする姿があった。ハロオの馴染みの者も、ホリックに馴染みの者も……そしていまでは共通の馴染みの者もいた。

 ふたりで挨拶を交わす。ハロオは誰にでも笑顔で話した。自分のように営業用ではなく、心からの笑顔を。


 ホリックは、事務所や仕事先でしか顧客と会ったことがなかった。どうも居心地が悪かった。

 いつぞやの仕事でお世話になりました、などと改めて言われると困惑する。こちらは仕事でやっただけだ。


(景色のいい場所を選んだつもりだったが……来る場所を間違えてしまったか)


 ホリックは、後悔する。

 しかし、ハロオにつられて喋っている内に、だんだんと自分の引きつった笑いもほぐれてくるような気がした。


「いやあ。ホリックさんは話しかけにくい印象があったけど、実際にこうして会うと違うね」

 そんなことを言う人もいる。


「いえいえ」

 口ではそう答えながら、内心は思う。

(私ではない。

 ……隣りにいるハロオのおかげだろう)



「やれやれ。とんだことになったな」

 ホリックとハロオは、ようやく挨拶の波から抜け、ふたりきりになった。


「楽しかったよ。僕は誰かと会うのが大好きだ」

 ハロオは、あいかわらず屈託のない顔で笑っている。

「誘ってくれてありがとう。ホリックも笑っているほうがいい感じだよ。きみもこうして時々、休みを取るといいんじゃないかな」


 ホリックは、なぜか胸が高鳴るのを感じた。顔が熱くなる。あわてて目をそらした。

「バカな。私は忙しいのだ。無職のお前と違ってな」


 そんな話をするつもりで誘い出したわけではなかったのに、また言ってしまった。

 しかし、ハロオのほうは気にもせず、この場所に誘われたことを喜んでいるようだ。


「いい景色だ。この街はやっぱりいいな」

「……お前が望んだ世界だ」


 青い空を飛ぶ竜騎士たちは、戦争兵器に使われることはなく、人々の手紙を運ぶ。

 眼下の街では、人も魔も入り混じって、共に生活をしている。

 街にそびえ立つダンジョンの地下深くでは、誰もが本当に死ぬことはなく、戦いと冒険をくり広げている。


「そうかな。……これは、みんなが望んだからじゃないかな」

 ハロオは、澄んだ瞳でこちらを見返した。

「ここへ来ることができて、よかった。ありがとう」


 いつもの笑顔で笑う。

 妙に透明感のある笑みだった。

 さわやかな風が吹く。

 瞬間。この元勇者の青年の姿は、風のなかに消えてしまうように思えた。


――概念のようになっていくだろう。お前たちが幽霊と呼ぶもの、あるいは神と呼ぶもののように。


「ハロオ!」

 ホリックは、ハロオの手を強く握り、引っぱった。

「やあ。はじめて名前で呼んでくれたね」


「そんなことは、どうでもいい」

 ホリックは、かつての宿敵、元勇者を見据えた。

「お前に出来る、ただひとつの仕事がある。お前の居場所だ」

「えーと。今日は休業日じゃなかったの?」

「いいから聞け!」


 あいかわらず間抜けなことを言ってるハロオに向け、ホリックは決意した声で言い放った。

 もはや、彼女に迷いはなかった。


「いいかよく聞け。お前の居場所。それは私の存在を不可欠とする。

 ……だが、お前のためならば、私はそれを受け入れる覚悟がある!」


 ハロオはもう笑っていなかった。

 真剣な目で、どこか悲しそうだった。


「ホリック……。きみが我慢して、嫌なことをする必要はないんだよ」


 澄んだ目で元魔王を見た。ホリックは全てを見透かされている気がした。


「わ、私は……」


 この平和な世界。ハロオが望んだ世界。自分が愛する世界。

 しかし――この世界を願った、この心優しき男を犠牲にして成り立つ世界など、やはり間違った、矛盾した、欺瞞ぎまんに満ちたものだとしか思えない。

 自分はそれを破壊し蹂躙じゅうりんする覚悟も出来ている。どんな悪名を被ることになろうと……。


 だが、決意したはずなのに、なぜかホリックの両目は涙がにじんでいた。かつては泣いたことなどなかったのに。

 しかし、それでもなおホリックは声を絞りだし、叫んだ。


「嫌などであるものか。

 お前の幸せがなければ、私の幸せもないのだ。

 お前と運命を同じくして、共に歩む覚悟が――私にはある!」


 声に出してみて分かった。これが自分の偽らざる本音だった。

 私は、この世界を愛している。

 しかし、それ以上に、目の前のこの男のことを――。


「……うん。わかった」

 ハロオは笑顔でうなずいた。素直な笑みだった。

「きみの幸せでもあるならば。ホリック」


 それから、ぺこりと頭を下げた。

甲斐性かいしょうのない僕ですが、どうかよろしくお願いします」


「こ、こちらこそ、だ!」

 ホリックもあわてて、涙に濡れた目のまま、その頭を下げた。


(……はて)

 ホリックは、ふと違和感を覚えた。

(なにやら妙な挨拶だな。これから世界の闇と光を分かつ戦いを始めるにしては……)


 パチパチパチ……。


 まわりから拍手の音が響く。

 気がつくと、自分とハロオは人々に囲まれていた。


「おめでとう!」

「おめでとう!」

 口々に祝福の声をあげる。


 ホリックは気がつく。あれだけ大声で叫んでいれば当然だった。

 しかし奇妙だ。先ほどの自分の……闇による破滅の戦いの始まり、この世界への宣戦布告ともいうべき文言を聞いて、なぜ人々が祝いの言葉などを口にする?


「いやー。ホリックさんもついに、かあ」

「言われてみれば、ふたりはお似合いだよ」

「お祝いのお菓子は、うちのお店にお願いしますね!」


(ついに? お似合い? 祝い?)

 意味がわからない。

 ホリックは頭をひねり、先ほどの自分が叫んだ言葉を順に思い浮かべる。


「……あっ」

 と気がつく。さっきの自分の言った内容。言葉の取りようによっては……。


「い、いや。まて。誤解だ……!」

 あわてて言いつくろおうとするが、すでに集まった群衆は祝福の大歓声をあげ始めており、ホリックの言葉はかき消される。


「ナァ~ゴ」

 気がつくと、竜猫キャッドラゴのトラがいた。

 鳴きながら、こちらを見上げる。


――さすが元魔王。よくぞ、かいに到達した。


「いや。ちょっと待て!」

 ホリックは言い返すが、トラじまの竜猫は、おかしそうな笑いを浮かべると、人混みのなかに走り去ってしまった。

 ハロオは、と見まわしてみれば、すでに群衆の男性陣に胴上げされている。


「うまくやりやがったなあ」

「チクショーメ」

「幸せになれよ!」


(いや、待て。違うから!)

 ホリックは否定しようとするが、今度は自分が女性たちに囲まれた。


「わたしは、前からお似合いだと思っていたわ」

「カレのどこが好きになったんですかー?」

「……ねえ。最初に出会ったのはいつなのかしら?」


 言われてホリックは思い出す。

 忘れもしない。それは、魔王の大迷宮の最下層でのあの光景だ。

 あいつとは、闇と光の存続を懸け、互いに死力を尽くして戦った。


 そして、勝利したハロオは、この世界を生み出し――。


「ううっ」

 ホリックは、思わず口ごもる。頬を赤くなった。

 その姿がまた誤解されたようで、女性たちは黄色い声をあげた。


「ホリックさん、かわいいー」

「ごちそうさまー!」


(た、確かに、これが正しい答えかも知れない……)

 ホリックは、思う。

 この世界を破滅させることもなく、ハロオを犠牲にすることもなく、しかも自分自身の職も続けることが出来、あの無職の男の居場所もできる――。


 どうやら、街の者たちも、いや、世界そのものも祝福しているようだ。


(あとは、ただひとり私自身だけが我慢をして、犠牲になればいい……。

 なんの苦もあるまい。ハロオが受け入れようとしていたことだ)


 ハロオ、と心のなかで言った瞬間、胸が大きく高鳴った。


(……我慢? 犠牲?)


 ホリックはようやく、ことに気がついた。



 元魔王は、いままでにないほど、顔を真っ赤にした。




                       (『魔王の決意』おわり)

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