契約者、語る(2)

……《願いの宝珠》。


――その言葉は、お前たちが呼ぶ名。そして我の器の名に過ぎない。


「それ」は、言葉を発した。


――我は、本来、ただ《契約者》と呼ばれる。


「……《契約者》、か。ならば聞きたいことがある。」

 元魔王ホリックは、問うた。


 自分をたばかっていたことや、これまでこちらをうかがうように、ずっとそばにいたことなども問い正したかったが、ひとまず言葉を呑みこんだ。

 それに、いまなら分かる。

《契約者》は、ずっとその姿のままでここにいて、同じように声を発していたのだ。

 それを、ペットの竜猫キャッドラゴの鳴き声だと思い込んでいたのは、自分のほうだったわけである。


 それよりも、大事なことを聞かなければならなかった。


「あいつが……ハロオが就職できないのは、何らかの大いなる力……この《改変》された世界の法則なのか?」


――しかり。


 《契約者》は短く答えた。


「なぜだ!」

 ホリックは叫ぶ。

「誰もが、理由なく差別されることもなく、殺し合うこともなく、誇りを持って、おのれの力で生きている行けるこの世界で――なぜ、あいつだけが就職できないのだ?」


――本人が望んだからだ。


 短い答えだが、ホリックは瞬時に理解した。

 胸の奥底から憤りが噴き上がる。

《契約者》に、ではない。ハロオにだ。


(あいつめ。願うときに……自分のことは、どうでもいいと考えていたのか!)


――然り。


 ホリックの心を読むように、《契約者》は答えた。

 元より、音声による声も思考も、この存在にとっては大差ないのだろう。


「このまま就職できぬとなると……あいつはどうなるのだ?」


――存在は続く。だが居場所はない。


《契約者》は語った。


――居場所がなければ、次第に概念のようになっていくだろう。

自他ともに、存在は認識されなくなっていく。

お前たちが幽霊と呼ぶもの、あるいは神と呼ぶもののように。


(それでは、あんまりだろう!)


 ホリックは絶叫しそうになるが、その言葉を呑みこむ。

 頭を働かせて《契約者》の言葉を思い出す。

 この手合いの存在は多弁ではないが、言葉のなかに必ず真実を隠しているものなのだ。


(いま「居場所がなければ」と言った。つまり、居場所が――存在すべきための仕事の可能性があるということだ)


 言葉を選び、単刀直入に問う。


「……あいつに就くことのできる仕事はあるのか? あるなら教えてくれ」


――たったひとつだけ、ある。


《契約者》は淡々と答える。


――ただし、それにはお前の存在が必要だ。

 お前自身がそれを受け入れ、いまとは変異する必要がある。


――我が教えるまでもない。お前はずっと分かっていたはずだ。



 ふいに周囲の世界が、元に戻った。


 いや……何も変わらず、ホリック自身が、知ることを知ったために、意味を終えたのだろう。


《契約者》は消え、目の前にはきょとんとした顔の竜猫トラがいた。


「ナァーゴ」

 いつものように鳴き声をあげる。


 ホリックは、暗黒波動でもたたき込んでやろうかと一瞬考えたが……意味のないことなのでやめた。

 それに、この竜猫自体は、罪のないただの「器」に過ぎないのかもしれない。


 代わりに、ミルク皿を出して、竜猫用のミルクを注ぐ。



「あいつの就ける職は……やはり『勇者』だけなのか」


 ホリックはつぶやく。


 そう理解すると合点がいった。

 あの不器用でつぶしが利かない男には、ほかの職業は不可能なのだろう。


 そして……勇者という存在が成立するためには、『魔王』が必要となる……。

 勇者とは、魔王を――世界に破滅と混乱を振りまく存在を倒すために、そのためのみに存在するものなのだから。


「つまり……私が再び『魔王』になればいい、というわけだな」


 そう、つぶやく。


 しかし、そこには心の高揚も爽快感もなかった。


 自分のオフィスを見渡す。

 うず高く積まれた書類。彼女が送り出した者たちの新しい人生。

 自分はいまのこの仕事を愛し、誇りを持っている。


 魔王などには……戻りたくない。


(はじめて、気がついた。

 私は――この世界を愛している)


 ハロオがくれた、この優しい世界を。




                       (『契約者、語る』おわり)

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