地下屋台売り Under-street Stall Vendor
伝説の屋台と幻のそば
┌────────────────────────────────────┐
│『謎の屋台の店員』
│ 条件:直接面談に訪れること
│スキル:不問
│勤務時間:謎
│労働環境:謎
│報酬:謎
│備考:謎
└────────────────────────────────────┘
「――ダンジョン内にあるという『伝説の屋台』の話を知ってるか?」
冒険者の酒場〈
都市伝説ならぬ迷宮伝説という、真偽も定かでない噂話のひとつだ。
「いわゆる『幻の店』ってやつだ」
「なんの屋台なんだ?」
「そばの店らしい。幻のそばってわけだな」
ダンジョン内での屋台自体は珍しいものではない。
地下迷宮には行商人もいる。探検している冒険者相手に稼ごうという商人も少なくないからだ。地下で必要に応じて移動できる店舗として、屋台はむしろ便利なものだった。
ダンジョン内には酒場や食堂もある。屋台の飲食店自体もあって不思議ではない。
危険ではない場所に移動して店を開くことはできるし、ダンジョンで飲食できる場所があることは冒険者に歓迎されることだ。
実際「名店屋台」はいくつかあり、そういった地下の飲食情報や噂、冒険者たちのあいだで人気があり、共有されていた。
しかし、この屋台は噂ばかりが有名で、ずっと実在が確認されていない存在だった。幻と言われるゆえんだ。
「万が一見つけても、すぐに姿を消しちまうらしい。……すごい速度で去っていくって話もある」
「見た者すら滅多にいないし、その屋台の暖簾をくぐることが出来た者はひとりもいないとか」
「もし見つけて追いついたら、『幻のそば』が食えるってわけだ」
「たいそう美味い、極上のそばだって言うぜ」
「いや。食べると不老長寿の効果があるとか」
そんな噂ばかり有名だ。
もっとも食べたことがある者がいないので、その真偽は誰にもわからなかった。
★ ★
「――その屋台、本当にあるのかな?」
ある日、ホリックの就職斡旋所で、元勇者ハロオは聞いてみた。
「実在するかは私も知らぬ。だが、そこからは以前よりずっと求人募集がされているぞ」
元魔王ホリックはそう言って、一枚の書類を取り出した。
「えっ。本当? それなら実在するってことだよね」
「さあな。この求人も妙な内容だぞ」
書類を見ると、連絡先も不明であった。
職場の場所は「ダンジョン内のどこか」とだけ記されている。そして、直接面談に来ることが出来た者を採用する、と書かれていた。
「ダンジョン内からの求人というのは、そもそも地上社会の常識とは違っているが、これはとりわけおかしい。普通ならば、私は誰にも斡旋しないな」
実は、ホリックの斡旋所に求人を出していることも、前から噂として知られており、それゆえに『伝説の屋台』の神秘性をさらに広めているようだった。
「ふーん」
ハロオは、興味深そうにその書類を見ていた。
ホリックは、妙な含みがあるような笑いをした。
「お前は、どうやら真っ当な職に就けそうもないし、いいかもしれんな。
身体能力は高いし、何かを見つけるのは得意だろう。紹介状を書いてやろうか」
「うん、ありがとう」
ハロオは、いつものように心からの笑顔でそう言った。
ホリックが手順に従い雇用主への紹介状を用意すると、礼を言って、それを手にダンジョンへと向かった。
「やれやれ」
彼が去った後、ホリックは溜息をつく。
「皮肉だとは思わなかったのかな。……まあ、皮肉だとしても、あいつには通じはしないがな」
ホリックは求人書類を見直し、先日のことを思い出す。
この求人が、ずっと前に来たとき、ダンジョンマスターにも問い合わせもしていた。奇妙なことに地下迷宮のあるじも、この屋台の存在を確認できないとのことだった。つまり「管轄外」ということだ。得体のしれないあやふやな存在であるが、もし見つけることができたら、ハロオが就職できる目があるということだ。
「ナァーゴ」
★ ★
ここはダンジョン。地下の闇深く――。
ダーカーは、『伝説の屋台』と呼ばれる屋台のあるじであった。
闇のなかでしか生きられず、闇から闇へ走り、その正体を隠すことが生きがいだった。
ゆえに、これを生業としている。
ダーカー自身は記憶していなかったが《改変》前は、
時折り夢を見る。血と毒に彩られた夢だ。
殺し殺されることのない現在の仕事には満足している。
自分の生きがいは、何かを極めること、そして闇に潜み、誰にも知られないということそのものだったようだ。
毒を調合する代わりに、ソバの麦粉を調合し、秘伝の汁を作り上げた。
七味の薬味も独自のものだ。
しかし、この屋台の真骨頂は、誰にも見つからず、捕まらないことにある。
誰にも見つからずにいることにより、ダンジョンから
ソバの味を極めつつ、そして誰にも知られず闇に潜む。それが商売としてこのダンジョンでは成立するのだった。まさに生業となった。
屋台を引きつつ、誰にも捕まらないことが必要となるが……。これまでは、そうすることなど容易だった。
隠密行動も身を隠す術も、息をするがごとく身についたものだったからだ。
ダンジョンを歩いているだけの者などには、決して彼と彼の屋台を見つけることは出来ない。
時折り、伝説の屋台の噂を聞き、目的を持って自分を探そうという者も現れるが、その対処も難しくはない。むしろ漫然と隠れ続けるより容易いと言えた。
人でも獣でも、生きているものには、行動のパターンというものがある。
それを分析し、その先まわりをするようにこちらが行動すれば良いのだ。
二股に分かれた道のどちらを選ぶか、音がしたときにそちらに向かうか離れるか……等々。人は自分で選んだつもりでいながら、無意識に決まった行動をしてしまうものなのだ。それと逆を選び続ければ、こちらが捕まることはない。
そういう行動は、相手からすれば「なぜか捕まえることができない」不可解な現象となる。そんなことになれば、大抵はすぐに諦める。
時にしつこく追ってくる者もいるが、最後はダーカーが逃げ抜ける。
少しだけ屋台の姿を見せる、というのも手だ。
ダンジョンの曲がり角や階段の先でわずかに姿を見せ、すぐに消える。追いつけそうで追いつけない、という状態が続けば、むしろ姿が全く見えないときよりも、精神が消耗することを、ダーカーは知っていた。
あるいは、しばらく「姿を時折り見せる」行動をし、その後全く姿を見せないようにする、という方法をとることもあった。
追っ手は、見失ったのかと不安になる。その後また姿を少しだけ見せて追いかけさせ疲労させる。それを何度も繰り返す。
すると、次第に平静を失っていく。
見た姿も幻だったのではないかと、不安の連鎖に陥ったらしめたものだ。
姿を見せなくても暗闇に屋台の幻影を見るようにもなってしまう。そうなれば勝手に幻影を追いかけさせ、闇のなかへ去るのだ。
かくして、これまでダーカーの屋台は、誰かに捕まったことはなかった。
……しかし。
今度の相手は、強敵だった。
まず、とことん、しつこい。
気力も体力も無尽蔵なのか、いつまでも諦めずに追ってくる。
次に、行動パターンが読めない。
普通ならば、何らかの行動選択をする場合、人は楽をしようとするか、あるいは相手を出し抜こうなどと、何らかの考えをして動くものだ。意識的にせよ無意識にせよ。
そのパターンが分かれば、先の手を打てる。……だが、こたびの相手の行動は、どうにも読むことが出来ないのだった。
(こちらに行動を読ませない程の達人なのか。
……それとも、何も考えていないのか?)
いつもと違って、ダーカーのほうが追い詰められている感があった。
(仕方がない。奥の手を使うとするか)
ダーカーは、屋台ごと、気配を消した。
……もちろん、足音を消し存在を潜ませるという状態などは、息をするごとく常に続けている。これは、そのさらに先の状態だ。
呼吸を周囲の物音と合わせ、自身を周囲の風景に同化させる。体温すら下がっていく。おのれの存在そのものを希釈させる、とでも言うべき能力だった。
(……これでダンジョンの背景も同じ。見つけることは出来まい)
だが……この相手は、それでも撒くことが出来なかった。
ダーカーが気配を消したときは、さすがに見失って首をかしげたようだったが、そこで諦めもしなければ、別の場所に行こうともせず、うろうろして、ずっと周囲を探し続けたのだった。
あたりの壁を棒でつつき、床に穴を掘り、近くの部屋にあった空の宝箱を開けたりという行為を続ける。
(……そんな狭い場所に、屋台があるわけないだろう!)
ダーカーは存在を薄くしたまま、内心つっこみを入れる。
数時間が経ち、相手もさすがに疲労したようだったが、そいつは間抜けな顔をしているくせに勘だけはいいのか。気配を消したダーカーの屋台のすぐ前で野営を始めた。
またしても、ダーカーのほうが追い詰められた状況だ。
そいつが眠った瞬間を狙って、元の状態に戻るとあわててその場から走り去った。
相手はイビキをかいて眠ってたくせに、針を落とすほどの音も立てなかったダーカーに気づき、飛び起きると、追ってきた。
本当にしつこいやつだ。
(……「奥の奥の手」を使うしかあるまい)
ダーカーは決意した。この方法を使わせる相手など、ごく稀だ。
これは、その方法自体の理屈は簡単だ。相手を見張り、一定距離を保って尾けていくのである。
相手を見失わずに見張っている限り、こちらが追われることはない。裏をかかれることはないし、相手の動きを把握できれば、こちらが捕まることがないからだ。
もちろん、理屈は単純でも実行するのは容易ではない。
ダーカーほどの技量がなければ、逆に相手に感づかれて捕まる危険のほうが高いからだ。
しかし、気配を消す達人は他者の気配を察する達人でもあった。
相手に感づかれる距離に踏み込まず、その外から相手の存在を探り、その後を尾ける。
時にはダンジョンの壁越し、あるいはフロア越しに相手を察知する場合もあった。
(フフフ。追っているつもりで追われているとは、思いもすまい)
ダーカーは、ようやく余裕をもってほくそ笑む。
だが……。
(なに? やつの気配が――消えた!?)
何度か揺らめくように気配が薄くなった後、ぷっつりと消えてしまった。
ダーカーに察知できない気配など、ないはずだった。
透明化の術を使っても匂いや体温までは消せない。魔法による隠匿の場合は、必ず何かしらの痕跡が残るはずなのだ。
もし霊的な存在に変化したならば、霊的な気配が発生する。
高位の隠密術やマジックアイテムのなかには「少しずれた次元」に身を潜めるという類のものもあるが、その場合も次元の歪みが察知できるはずだった。
(相手がもし、存在そのものを希釈するような術を用いていたとしても、このダーカーならば察知できぬはずがない。
それも出来ないとなると)
ダーカーは、必死で考えを巡らせる。
(まさか、存在そのものを消してしまうような方法なのか?
そんなものは、聞いたこともないが……)
と。そこにいきなり、そいつがひょっこりと顔を出した。
一見のんきそうな青年。
その目は少年のように澄んでいて邪気がない。
「あっ。見つけた! 伝説の屋台ですね!」
――まったく不意をつかれ、逃げる間も隠れる隙もなかった……。
「……こちらの負けだ」
ダーカーは、その男に頭を垂れた。。
「……この屋台は『誰も到達できない』ことに価値があった。
そして、俺のソバは『存在するが、誰も食べることが出来ない』ことにこそ意味があったのだ」
そのために噂を走らせ、有名なホリックの就職斡旋所に求人もしたのだ。
「つまり、これで終わりだ。
今夜でこの屋台も閉店となる。
……最初で最後の客であるお前に、そばを食わせてやろう」
肉声で喋るのは実にひさかたぶりだ。ダーカーは妙に清々しい気分だった。
「俺も、いつか誰かにこのそばを食ってもらいたかったのかも知れんな」
しかし目の前の男――ハロオは首を振った。
「いえ。僕はお客じゃなくて……求人募集を見て面談に来た者です」
「そうか……。
ならば、もう閉店する店だが、今夜で最初で最後の店員として雇ってやろう」
★ ★
その後……。
冒険者の酒場〈合財袋〉亭で、まことしやかに流れる噂があった。
「ダンジョンの例の屋台……店じまいになったらしいぜ」
「ああ。俺は、その屋台でそばを食ったぜ。そのときが閉店と言っていた」
「幻のそばか。うまかったか?」
「いや……。
新入りの店員とやらが作ったそうで、むちゃくちゃまずかった」
(『伝説の屋台と幻のそば』おわり)
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