地下迷宮昇降機操者 Dungeon Elevator Operator

地下迷宮エレベータガールのボタン

┌────────────────────────────────────┐

│『地下迷宮昇降機操作者ダンジョン・エレベータ・オペレーター

│ 条件:??

│スキル:地下迷宮昇降機ダンジョン・エレベータ操作

│勤務時間:??

│労働環境:ダンジョン内のエレベータに拘束される

│報酬:??

└────────────────────────────────────┘


「上へ参りまぁす」


 彼女は、独特のアクセントで告げ、操作盤のボタンを押した。

 昇降機の扉が閉まる。小さな部屋であるそれは、不思議な音を発する。

 乗っている者は一瞬ふわりと身体が浮くような、あるいは逆に重く沈むような感覚を覚える。耳鳴りがする場合もある。


 そして、昇降機の扉が開くと、まったく違う階層に到達しているのだった。


「下へ参りまぁす」


 彼女は、地下迷宮のエレベータガール。この昇降機のなかにずっといて、操作するのが仕事だ。

 何も言わなければ、彼女は上昇と下降を交互に行う。昇降機へ乗ってきた客が行き先を告げれば、それに従うこともある。

 ……可能ならば。


「左へ参りまぁす」

「前へ参りまぁす」

 まれに、そう言うこともある。昇降機は、上下以外の方向にも進めるようだ。


「斜め上に参りまぁす」

 さらにまれに、そんなふうに告げることもあった。


 客が特定の階層を告げれば、そこまで昇降機を移動させ、止まってくれる。

 可能ならば。


「〈恐怖の眩惑げんわく〉階でございまぁす」

「〈やしの泉〉前でございまぁす」


 あるいは、客がボタンを見つければ、それを押してくれることもある。

 操作盤には無数のボタンがあり、奇妙なしるし……文字か記号のようなものが刻印されている。地上世界のどんな言語や紋章とも違っているため、見ただけでは、何を意味するのか分からない。


 しかし、覗きこんだ客が、なぜか刻印の意味がわかり、ボタンを見つけることがある。



     ★     ★



 ホリックは、迷宮昇降機に乗りこんだ。


 このダンジョンの最下層を訪れるのも、あるいは地上へ戻るのも、普通に歩いていては途方もない時間がかかる。

 ダンジョンの管理者や関係者が、この昇降機を使うのは常識だった。

 迷宮を攻略する冒険者たちの間でも、フロア間を移動できる秘密の方法として、隠し扉や転送門と同じように、限られた使われ方をしている。


 昇降機と昇降嬢エレベータ・ガールは、《改変》前――ここが〈魔王の大迷宮〉と呼ばれていたときから、このダンジョンにあった。

 ホリックが大迷宮を受け継いだときから既におり、その正体は魔王の彼女も知らなかった。

 魔王の配下というよりは、ダンジョンそのものに仕えているような存在だった。


 現在のダンジョンマスターも、素性は知らぬまま雇い続けているのかもしれない。


 ホリックは、昇降機のなかで、ふぅと息をついた。

 最下層を訪れ、ダンジョンマスターと会見するのも気疲れしたが、なにより、先ほどの話で大きく気落ちしていた。

 元勇者ハロオの《願い》のおかげで、この巨大な地下迷宮そのものは、途方もないほどの《改変》が為されたのに、そこにハロオ自身の就ける職がないとは――。


「ご利用階層はございますか?」


 エレベータガールが笑顔で問うた。礼儀正しく、完璧で美しく、しかしその下の本音は全く見せないような笑顔だった。


「地上へ――」

 ホリックはそう言おうとして、ふと気付く。何気なく目をやった操作盤のボタンのなかに『過去』と刻まれているものがあったのだ。

 いままで、何度も――《改変》前から数えれば、かなりの回数――昇降機に乗っているが、これまで気がついたことがなかった。


「……過去へ、行けるのか?」


「かしこまりました」

 エレベータガールは、深々とお辞儀した。

「過去へ参りまぁす」


 ホリックのつぶやきを、指定と受け取ったようだ。

 ……だが、ホリックもそれを否定しなかった。いくばくの不安は感じていたが、興味のほうが遙かに大きい。


(……過去。もしかすると、《改変》前の世界へ行けるというのか)


「……いままで、ここから、過去へと下りた者はいるのか?」

「いらっしゃいますよ」


 エレベータガールは笑顔のまま答えた。普段は寡黙かもくであるが、答えられることは答えるのだ。


「この現在のダンジョンや、あるいは、この世界で生きてゆき難き方々もいらっしゃいます。そんなお客様は、そちらにご案内いたします」


(なるほど)

 ホリックは理解する。

 ハロオの願ったこの世界でも、やはり生きていけない者たちはいるのだろう。

 どんなに理想郷であっても、全ての者にとっての楽園などあり得ないのだ。


(そういった存在を救済する安全装置、か)

 ホリックは改めて、この狭い小部屋を見渡す。

 迷宮昇降機というのは、そういう役目もあったのかもしれない。あるいは《改変》前のホリックの大迷宮の時代から。


 チーンと音がした。小さな鐘のようなこの音は、昇降機が何らかの場所に停止したことを意味する。

 扉が開いた。


「〈魔王の大迷宮〉でございまぁす」


 やはりか、とホリックは思う。

 扉の向こうから流れてくる気配や空気は、確かに《改変》前の世界であると、元魔王は直感的に感じ取った。


 しかし、ホリックは足を踏み出す気にはなれなかった。どんな具合になってるのか確かめたい気持ちもないわけではないが……やはり自分は《改変》前のあの世界に戻るつもりはないのだと気づく。


「――あれっ? エレベータ?」

 扉の向こうから、妙にのんきな声がした。

 あちらの世界で昇降機を見つけた誰かだろう。

 人影が、覗きこんでくる。少年のように澄んだ目と、屈託のない笑顔。


 ハロオだった。

 ――いや。過去の世界の勇者だ。そういえば外見も少し若い。

 ホリックは少なからず驚き、目を見開いて息を呑んだ。


「こんにちは。僕は勇者ハロオです。きみは誰? きれいだね」

 ホリックは、思わず頭がカッと熱くなる。

 言葉に詰まっていると、隣のエレベータガールが深々とお辞儀した。

「この昇降機の操作を司る者です。エレベータガールとお呼びください」


(そっちか! フン。馬鹿馬鹿しい)

 ホリックは自分の早合点が恥ずかしくなり、首をぶんぶんと振った。


「きみは?」

「――お前に名乗る名前などないわ」

 言った後に、自分でも大人げないと思う。

 この時点でのハロオに憤っても仕方のない話だった。


「ふーん」

 ハロオは首をかしげた。

「まあ、いいや。このエレベータ、どこから来たの? どこへ行くんだい?」


「――争いのない世界だ」

 ホリックは、思わず答える。

「人と魔が殺し合うこともない。誰もが理由なく、差別を受けず生きる道を探せる世界だ」

(……未来のお前が望んで、生みだした世界だ)


「へえっー」

 ハロオが、感嘆の声をあげた。その目は輝いている。

 言葉は少ないが、この若き勇者が途方もない希望を見いだしたことが分かった。

 ホリックは、自分の言葉が軽率だったのではないかと不安になる。もし、彼がこちらにやってきたりしたら、過去への干渉となり、未来が変わってしまうのでは――。


 ……だが、彼はこちらに足を踏み入れてはこなかった。


「乗らないのか?」

「うん」


 若きハロオは、心からの笑みと、迷いなき瞳をしていた。


と分かれば、十分だよ。

 そんな世界が、どこかに実在するなら、僕は自分の世界をそんなふうにする――どれだけ時間がかかっても、少しでも近づけて見せるよ。

 さようなら。素晴らしい世界に住む、きれいなひと」



 昇降機の扉が閉まった。

 周囲は狭い小部屋に戻った。

 部屋全体がが動く、静かな音だけが響いた。


「……なあ。『未来』へは行けるのか?」


 ホリックが、ぽつりとつぶやく。


「はい」

 エレベータガールが、笑顔で答えた。


「こちらが『未来』でございまぁす」


 到着音がして、扉が開く。

 光が、射しこんできた。


 地上へ戻ったのだ。

 ダンジョンの壁口から、ケイオロスの街が見えた。混沌とした建造物の集合のなかには、ホリックの事務所もある。

 見なれたいつもの光景だ。


「お気をつけて、足をお踏み出しくださいませぇ」


 確かにそうだ。

 未来は、この先にある。


 ホリックは、そこへ向けて、足を踏み出した。




            (『地下迷宮エレベータガールのボタン』おわり)

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