吸血鬼ホストは夜花を愛す(3)


 ドゥンケルは、『夜の花』でもっとも人気あるホストだった。


「へー。吸血鬼で、この仕事をやってるんですね」

 見習いホストであるハロオは、最初に控え室で出会ったとき、彼は思わずそう口にした。

 青い肌と、赤い眼。よく覚えている。

 彼とは、勇者だったときに戦ったこともあるからだ。恐ろしい敵だった。

 いま目の前にいるドゥンケルは、陰のある美男子という風貌で、美しい容貌で妖しげな雰囲気をたたえている。

 たしかに、こうやって見るとホストとして人気もありそうだ。


「おいこら、新入り。言葉に気をつけろ!」

 ほかの先輩ホストが、あわてて怒鳴る。

「吸血鬼」というのは蔑称べっしょうだからだ。ふつうは「夜貴種ナイトノーブル」などと言う。


「いやいや。吸血鬼で結構ですよ」

 当のドゥンケルは、不快な様子もなく、優雅に笑みを浮かべた。

「フフフ。妙に気を遣われるより、そう呼ばれるのもまた心地よい」


 実はドゥンケルには、知的種族の感情を察知する能力があった。ハロオという男からは侮蔑の念は感じられない。


「さ、さすがはナンバーワンホストのドゥンケルさん!」

「器が大きいっス!」

 口ではそう言ってるほかのホストたちのほうが、むしろ、侮蔑や嫉妬の感情を発している。これはいつものことだ。


 もっともドゥンケルにとっては、そういう感情のほうが好ましかった。

 なお言うと、美味である。

 吸血鬼という言葉も、そこに恐怖と嫌悪の念を呼びやすいから、むしろ使って欲しいと考えていた。


「ドゥンケルさんはな、凄いんだぞ」

 ホストたちは、口々に言った。

「ああ。面倒くさい客にも嫌な顔ひとつしない。俺たちが手こずる相手に代わってくれることも、しょっちゅうだ」


 そういう言葉は嘘ではないが、そこにはドゥンケルに対する妬みと羨みも混ざっている。黒い感情。とても美味だ。人間はまことに甘美である。


「こらこら、キミたち」

 ドゥンケルは諭すように言った。

「『面倒くさい』お客様なんていませんよ。我らが店にいらっしゃるのは、全て愛すべきお客様です」


「そ、そうでした! 申し訳ありません」

「さすがは、ドゥンケルさん!」

 口々にそう言うホストたち。またも嫉妬や反感の感情が発せられ、ドゥンケルは甘美な味を楽しむ。


「……そうかぁ。良かったなあ」


 と、甘美な味のなかに、不味いものが混ざった。

 ハロオの感情だ。

 心からの祝福と喜びの念を、ドゥンケルに向けている。


(――なんだ、こいつは?)


 このような白くて清らかで眩しく輝くような感情は、ドゥンケルの苦手とするものだった。

 耐えられないわけではないが、彼にとっては悪臭のような存在だ。


 それに、そんな感情を自分に向けてくるというのも訳が分からない。


(妙な男だな)


 ……かつて人間を食していた吸血鬼が、《改変》後のこの世界において、こうして人と同じ場所で共に働いているという姿。

 それを目にした元勇者が、心から喜んでいるなどとは、ドゥンケルは知りもしなかった。



「ドゥンケルさん。ご指名が入りましたよ」

 控え室に声がかけられる。

 ドゥンケルは身繕みづくろいを正すと、またわき上がる同僚・後輩たちの暗い感情を浴びながら、女性客たちの待つ空間へと向かった。


(さて。花を愛でる仕事だ)


 ドゥンケルを指名したのは、馴染みのマダムだった。

 さきほどのホストたちの言う「面倒くさい客」に分類されるひとりだ。

 彼女は待ち構えていたように、ドゥンケルに対して喋り出した。

 自分の夫や、屋敷の使用人たちや隣人たち、他の女や、あるいはこの世界そのものへの怨嗟えんさを、えんえんと語り続ける。


 それを微笑みながら、その言葉を受け止めて慰め、そんな境遇にある彼女を憂い、そして、そのような人生を生きる健気な姿を褒め称えた。

 巧みな言葉は、もちろん心地よい虚飾と欺瞞に満ちたものだったが、彼女に対して深く思いやっていることだけは間違いなく、その意味では真実だとも言えた。


 ドゥンケルはこの客に愛され、ドゥンケルもまた彼女を愛していた。……客とホストの関係であるが。

 先ほど、後輩のホストたちに「面倒くさい客などおらず、全て等しく愛すべき客」と言ったが、あれは嘘だ。

 本音を言えば、ドゥンケルは、この手合いの「面倒くさい客」こそを愛していた。


 彼が好む甘美な味。暗くて醜い感情を発するからだ。


 だから彼は、客たちの黒い感情を受け止めつつ、決して完全に発散させたりはしない。巧妙な言葉で、それが持続するよう、ひそかに細工をする。彼女の夫への不信や、隣人への妬みの種をそっと巧みに仕込むのである。


 もちろん人間を破滅させるほどの、言葉の毒は用いない。ドゥンケルにとっては、あくまで客たちは愛すべき、花のような対象だ。

 花を枯れさせる庭師はいない。


(そう。またご来店いただくために――)


 吸血鬼が、人間の血を吸うというのは、正確な事実ではなかった。

 実際は恐怖や憎悪といった、暗い感情を食するのである。吸血行為はそれを誘発するためのものであり、血をすすること自体は余禄よろくのようなものだった。

《改変》されたこの世界において、吸血鬼の多くは、食用動物の血や樹液や獣乳で物質的な栄養を得ながら、心の糧はこうした方法で摂っている。


 ドゥンケルにとっては、まさにこの仕事は、天職といえた。 

 しかし、店に訪れる誰もが「面倒くさい客」ばかりではない。

 暗い感情が希薄なお客も、やはり等しく扱わねばならぬ。それが仕事というものだ。そうして給金を稼ぎ出して、この店のなかだけでは補いきれない食糧を買う必要があるのだった。

 食糧――吸血鬼の食用に、この《改変》後の世界では、人間のネガティブな感情は、専用容器に封じて蓄積する技術が確立し、商品として売買されている。


 面倒なマダムとの甘美な時間が終わり、彼女を店から送り出すと、向こうのテーブルから、嫌な波動がただよってきた。

 ドゥンケルが苦手とする、明るく正しい感情だ。


 超感覚を伸ばしてみれば、新入りホストのハロオが、もう客についていた。

 新入りに、しかもひとりで、そうそうに客を任せるなど、この店の慣例としては、あり得ない

 おそらく、先輩ホストが嫌がらせも含め、面倒な客でも押しつけたのだろう。


 しかし、相手の客の感情も、まんざらでもない様子だった。

「このお店の質も落ちたものだわ」などと口では言いながら、ハロオをお気に召したようだった。


「えっ。奥さん、きれいじゃないですか?」

「そうですか。でも、旦那さんもきっと奥さんのことを愛していると思いますよ」


 ……そんな、ハロオの声が聞こえる。


 ドゥンケルだったら、とても口に出せないような言葉だ。

 しかし、伴っている感情から察すると、嘘でも世辞せじでもない、ハロオの正直な、心からの言葉のようだった。


(天然、というやつか)


 その輝きに不快を感じながら、ドゥンケルは思った。


(……案外、いいホストになるかも知れんな。彼は)

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