住民配給所 Public Distributor
配給所の心得
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│『住民配給所の所員』
│ 条件:誠実、公正、公平であること
│スキル:読み書き、算術、話術
│勤務時間:朝9時~夕5時
│労働環境:貧困者との対応のため苦痛を感じる場合もある
│報酬:固定給。仕事内容による査定はなし(不正、横領を防ぐため)
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元魔王ホリックが、次にハロオに紹介したのは「住民配給所の所員」だった。
失業者や貧困者に食糧や生活費、仮住居などを支給する役所である。
「へえー。そんなところがあったんだ」
元勇者にして無職のハロオは、のんきにもそう声を上げた。
「あったんだって……無職のお前は、そこの世話になって暮らしているのではないのか?」
「いや。知らなかったよ」
「では、どうやって食べ物を得たり、寝る場所を確保していたのだ?」
「野宿だよ。旅には慣れているし、食べ物は……まあなんとか」
ホリックは頭を抱えた。
ハロオは不正や犯罪などするはずがないから、きっと拾い食いの類いだろう。
あるいは食べ物のないときはずっと食べていないのかもしれない。元勇者として過酷な旅をしてきた彼の身体は飛び抜けて強靭だ。
もっとも、彼が知らなかったのもムリはない。
このような配給システムがある都市のほうが珍しいのだ。それだけ、この街が豊かということだった。
ケイオロスのダンジョンが生み出す利益は相当なものである。この街は商人ギルド、職人ギルド、教会などの各組織の組合の合議制によって運営される政治形態であり、自由商業都市のそれに準じている。
貧困者への救済は、主に教会が費用を供出していた。
「普通の」教会は、教会を訪れる者の寄付金や、冠婚葬祭にまつわる聖職者の仕事によって収入を得るものだが、この街の教会では、ダンジョンにおける一時的死亡、通称「冒険死」からの蘇生費用による収入が加わる。
自分が生き返るための費用をケチる者はいない。そして、その対象となる冒険者という手合いは、無茶をして危険に飛びこんでいく懲りない面々なのだ。むしろ、死んでも生き返るという安心があるから、ますます無茶をするのかもしれない。
もともと冒険者たちは、ダンジョンで得た宝物を商人に売り、武器や装備を買って、市場を活性化させる。酒場で飲み食いして散財する。……という、誠にこの街ではありがたい消費層であり、商人ギルドにも、職人ギルドからも愛されているわけだが、「冒険死」やら、あるいは石化、毒、呪いといった類いの教会に属する施療費用に費やす金額が、最も大きなものになる。
かくして、この街の教会は莫大な収入を得ることになり、市政における発言権も高いのであるが、それゆえに、それなりの金額を投じて、貧民・弱者の救済をしないと体面も悪いというわけである。
「……まあ、いい。これからは無職の状態のときは、配給所へ行くのだぞ」
ホリックは職業紹介状を書きながら、ハロオに言った。
「あはは。せっかく教えてもらったけど、これからそこに就職するわけだから、もう不要だよ」
「まあ、それもそうだな」
言われてみればその通りだ。ホリックも肩をすくめた。
「失礼な話だったな。つい、お前がまたすぐにクビになると思ってしまった。それも不吉な話だ。悪かった」
「ははは。ありがとう。行ってくるよ」
★ ★
ハロオが、配給所の窓口を担当していると、さっそく受給申請者がやってきた。
「ううっ。聞いてください。この子にあげるミルクもなく……今月はどうしても、3000Gは必要で……」
小さな子どもを連れた母親だった。
「それは大変ですね。その子のために、どうぞ!」
ハロオは、さっそく3000Gの支給金を用意して渡した。
「えっ?」
母親は、ぽかんとした顔であっけに取られた様子だ。
「あの……。3000G、あるんですけど?」
「えっ。3000って言いましたよね。聞き違いでしたか?」
「あ、いえ。その……いつもなら、まず断られてから値切られて交渉して、せいぜい500Gになれば
「そうなんですか?」
「あっ、いえ。もらえるならいただきます!」
母親は、後で返せと言われるのを恐れるように、支給金の袋を
「あのー。お子さんを忘れてますよー!」
あわてて、ハロオが追いかける。
それから後も、ハロオは仕事に大忙しだった。
「うちの旦那の兄の義母の従妹の娘さんが病気になってしまって、どうしても治療費が……」
「それは大変ですね!」
ハロオは
「すみません。ここの窓口だとたくさんもらえると……あ、いえ、その。私の家でも、この子にあげるミルクがなくてですね」
別の母親がやってきた。
やはり小さな子どもを連れている。さっきの子どもと何だかよく似ていたが、子どもというのは同じようなものだろう。
ハロオはさっそく支給金を用意した。
「ずびまぜん。うぢは子だぐざんでよう。十二人もガキがいやがるんでよう」
オークもやってきた。独特の濁った発音で、涙ながらに語る。
「ぞんでもっで、十四番目のガキが、病気になっぢまっでよう」
ハロオはうなずいた。
確かにオーク族は多産だから大変なのだろう。なんか数が合わないような気がするが、きっと些細なことだ。
受給金を受け取って帰っていくオークの父親を見て、ハロオは感動していた。
かつての世界で、自分はオークを殺して回っていた。多産なオーク族は数が多く、殺せば殺すほど、人への憎しみを増し、より多くなって立ちふさがったものだった。勇者の彼は途中でその気付いたが、それでも剣を振るうしかなかった。その憎悪の連鎖の痛みはいまでも心の底に残っていて消えない。
しかしいまは、こうしてオークを助けることが出来る。
なんという素晴らしい仕事だろう!
「……なんという、ひどい仕事ですか」
夕刻。
ハロオの上司にあたる係長は、書類を見て頭を抱えた。
「真面目で不正をしない青年だと思ったから、任せたのに……」
係長は、人を見る目はあると自負していた。ハロオの澄んだ瞳は誠実の証しだと見抜き、だからこそ今日はたまたま欠勤していた窓口係の代行を任せてみたのだが……。
業務記録を確認すると、確かに不正などは全くなかった。まったく真面目で誠実な仕事ぶりだ。そこは係長は間違っていなかった。
この真面目で誠実な新入りは、ただ、申請金額をそのまま払っただけだ。
「申請額をそのまま渡してはダメなんです。
予算も無限というわけではありません。それに受給者のほうだって、結構したたかなんですよ。申請額通りに出ないと分かっているから高めにふっかけてくるんです」
「えっ。そうなんですか」
ハロオは驚いた顔をした。
「じゃあ最初から、言った金額通りに払うようにすれば、そうならないんじゃないですか」
「そういうわけにもいかないんですよ」
係長は溜息をついた。
どうやら、この青年は真面目過ぎるようだ。
悪いがこの仕事には向かないだろう。ちゃんと教育したら理解はするかもしれないが、今度は神経をすり減らすことになるに違いない。
この仕事は情だけではなく、公平なドライさが必要なのである。
「残念ながら、きみはクビです」
★ ★
「……一日でクビか。私の悪い予想が当たってしまったな」
戻ってきたハロオの話を聞くと、ホリックは溜息をついた。
「まあ、お前に向かないような気もしていたよ。
また無職になったのだから、今度は配給所へもらいに行く側になるといい」
翌日。
ホリックから手続き方法を聞いたハロオは、さっそく受給窓口に行ってみた。
昨日は自分が働いていた場所だ。
(僕には向いてないと言われたけど……じゃあ、どんな人が向いているのかな?)
ハロオが並んでいる列の前のほうには、小さな子どもを連れた母親がいた。
「この子に食べさせるものもない有様で……」
「うむ。大変じゃな。10Gを支給してしんぜよう!」
「10Gですか……それじゃ夜の明かりの油も買えません。お慈悲を」
「では特別に『たいまつ』もつけてやろう! 次!」
「ウチのじぃさんが寝込んでしまいまして……」
「うむ。大変じゃな。10G支給する。『薬草』もつけてやろう! 次!」
どうやら、かなりのドライな対応らしい。
「書類の通りで、怪我で仕事ができなくて……」
「ふむ……。本当に働けないようじゃな。二番窓口へ回れ。生活費と医療費が支給される。次!」
しかし……本当に受給が必要な者にはちゃんと対応しているようだ。
手を抜いているわけではなく、見抜く能力もある。
なかなかのやり手らしい。
ハロオの番になった。
「あっ」
ハロオはその顔を見て思い出す。
かつて勇者として旅立つときに謁見した、故郷の王国の王様だ。
勇者として魔王を倒し世界を救おうというハロオの旅の支度金として、10Gと『たいまつ』しかくれなかった。
ハロオ自身は気にしなかったが、仲間の盗賊戦士が長いことグチのネタにしていたからよく覚えている。
「世界を救ってくれる勇者に、10Gと『たいまつ』だぜ、おい」
……まあしかし、これも事情を知れば仕方ないことだった。
その王城には、連日のように「我こそは世界を救う勇者」と称する、自称勇者たちが詰めかけていたのだ。
冷やかしもいれば詐欺師もいる。なかには、実力がなくても自分が勇者と信じているという面倒な者もいた。
そしてレベルが低い内は、どれが本物でどれが偽物かもわからない。
そう対応するしかなかったということだろう。
「ふむ? おぬしには、どこかで出会ったことがあったかな?」
元王様にして、現在の世界における住民配給所の窓口係はそう言った。
《改変》前の記憶が、意識下に残っているのだろうか。
しかし、すぐに書類を見て、きびきびとした口調に戻った。
「10Gを支給する。そうじゃ『たいまつ』も付けてやろう。健康なんじゃから、これを元手に、はやく仕事につくがいい」
窓口係は、支給金は妥当として、なぜ『たいまつ』を付けたのかは、自分でもわからなかった。まあ、これは安価な上に、照明具にもなれば棍棒にもなる。きっと目の前の男の役に立つのだろうと、自分の勘が告げていた。
ともかく待つ者たちの数は多く、仕事は迅速に処理していかねばならない。本当に助けるべき住民のためにも、個々の案件に時間をかけるわけにはいかなかった。
「……次!」
「はい」
ハロオのほうは、にっこり笑って受給物を受け取った。
「これだけあれば十分です。前には、世界を救いましたからね」
(『配給所の心得』おわり)
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