吟遊詩人と現実(3)

 ……ところが、数刻後。

 ぐったりしているのは、ペンネのほうだった。


「――いえ、ペンネさん。聖王国の銀騎士団は、ちゃんとそのとき時間通り到着しましたよ」

「まて。多くの伝説では、不測の事態で遅れたと伝わっているはずだ。……しかし、勇者の危機のときにようやく間に合い、敵に奇襲をかけることに成功するという、『勇者の伝説』のなかでも感動的な場面じゃないか!」

「遅れたりしませんでした。一緒に出かけましたよ。大体、あのへんは遠くまで見える平原です。遅れて戦場に来たら奇襲なんかかけられません」


 こんな具合に、ハロオにことごとく否定されている。


 一般に知られる伝説と異なるが、不思議と筋が通っており、反論してももっともらしい理由で返されてしまうのだ。


(ここで銀騎士団が時間通りとか、物語としては盛り上がらないじゃないか!)

 ペンネは内心思いつつ、反撃を試みる。

「じゃあ、別の話だ。

 勇者が〈死の都〉を守る強敵〈守護魔神〉を倒すことが出来た理由は、いくつもの俗説があるよね。本当は、女神からの天啓を受けたためかい? それとも王女から託されたアイテムの力だったのかい?

 一般には女神説が主流だけれども、僕自身は王女説を支持しているのだが……」

「どっちも違いますよ。えーと、レベルを上げて倒しました」

「えっ? それは新説だな。すると別のエピソードがあったということかい。導く存在が現れて試練を下され、そしてそのなかで劇的な開眼をしたとか……」

「開眼? いえ、そういうのなかったです。地道に死の砂漠でレベル上げしてました」

「……〈死の砂漠〉でひたすらモンスターを倒して?」

「はい。ただひたすら、砂漠でモンスターを倒して」

(なんだそりゃ。そんなつまらない盛り上がらない場面なんか……書いたら、お客が怒るよ!)


 万事がそんな調子だ。


「わかった。じゃあ、本題にいこう。……魔王との戦いはどうだったんだい?」

「さっき話した通りですよ。大変でした」

「魔王ってどんな感じだったんだい?」

「むちゃくちゃ強かったです」

「いや、そうじゃなくて。もうちょっと、その具体的かつ劇的にと言うか……」


 ペンネは溜息をつく。ハロオは語彙が豊かではないようだ。

 つじつまは合ってるが、まるで面白くない。


「まあいい。それで、その《願いの宝珠》ってやつに勇者は願ったわけだね。

 ――どんな代償だいしょうがあったんだい?」

「代償?……べつになかったですよ」

「いやいや。この手の『願いを叶えてくれる存在』ってやつは、代償とかが必ずあって、主人公が葛藤かっとうしたり、悲劇が起こったりするものじゃないか!」

「代償に悲劇かぁ。……そういうのは、なかったですよ」


 ペンネは、ふうと溜息をついた。

 せっかく、物語的には盛り上がりそうなモノが出てきたのに、それを活用しないとは何事だろう。これが創作詩だったら、尻切れもいいところだ。


 ……しかし、ハロオの話には、妙に整合性と説得力がある。

 もはや当初のように、やり込めてやろうなどという気持ちはすっかり消えていた。

 このまま返すのは惜しい。何か引き出してやろうと考えた。


「やり方を変えよう」

 ペンネは本棚から『勇者の伝説』の物語本を引き出した。一番有名な大衆版だ。

 ページをめくって、ある箇所を示す。

「……そうだな、この場面がいい。実際にはどんなセリフだったんだい?」


 勇者伝説のなかでも名場面のひとつ。

 英雄剣士が、勇者と仲間たちをかばって死ぬ場面だ。

 ペンネ自身、吟遊詩人として何度も語った。英雄剣士の語る最後の言葉を、リュートの調べと共に語るとき、涙を流さぬ聴衆はいない。ペンネもこの字面を見ただけで胸が熱くなる。


「この場面は……伝説の通りかい?」

「……違いますね」

「じゃあ、英雄剣士は、実際なんて言ったんだい?」

「……なにも」

「え?」

「彼の死は、本当に突然でした。一瞬の判断でみんなを助けたんです。言葉を発する余裕もなかった。何も。彼が何を最期に言い遺したかったのか、僕は……いえ。勇者は知ることができませんでした」


 ハロオは、ひどく悲しそうにそのページを見ていた。とても澄んだ目だ。


 部屋はしんと静かになった。エディートも声をかけることが出来なかった。


 しばしの沈黙の後……。


「……ハロオくん。申し訳ないが、帰ってくれ」

 ペンネが絞り出すように言った。

「悪いが……きみは雇えない。

 エディートさん。今日の手間賃を払ってやってくれ」



     ★     ★



「……書けない」


 ハロオを見送ったエディートが部屋に戻ってくると、ペンネがつぶやいていた。

「ペンネ先生。またそんなことを……」


「違うんだ」

 ペンネはいつもと違い、言い訳するような口調ではなかった。

「これに比べれば、いままで僕が『書けない』と言ってたことなんてウソだ。僕の言い訳だった。わがままだった。そんなことをいままで言っていたことは心の底から謝るよ。本当にごめん」


 エディートは驚く。ペンネのこんな殊勝な言い方は初めてだった。


「ハロオくんは……『真実』を語っている。

 僕だって、芸術の女神の信徒の端くれだ。それぐらいはわかる。

 。真実を知る者だけが持つ瞳だ」


 哀れなほどの、泣きそうな顔で、青くなってぶるぶる震えている。


「彼の前では、僕の語る物語など、とんだまやかしだ! 虚構だ! 聴衆に読者に感動をさせようとするばかりの嘘っぱちだ。

 ……それがわかったんだ。『真実』に比べてなんの価値もない」

 そして、仕事部屋の隅の寝台に飛びこみ、布団をかぶって丸まってしまった。

「それを知ってしまったら、もう書けない。本当に書けないんだ!」


 こんなペンネの姿は、エディートにとっても初めてだった。

 確かに、これまでとは違う。

 エディートは、自分の出来る限りの誠意を尽くし、ペンネを慰め続けた。

「そんなことはありません。先生の書く物語は素晴らしいですよ」


 その日……。

 結局、ペンネはわめき声を上げるだけで、布団から出てこなかった。


 エディートは覚悟を決めた。

 それから連日、ペンネの仕事場に通い詰める。


「食事だけでもどうですか、先生」

 二日目も……ペンネは布団から出てこなかった。


「今日はこれを持ってきましたよ。

 なつかしいでしょう。先生の初めての本です。初心に戻りませんか?」


 三日目も四日目も……。

 ペンネは、布団から出てこなかった。


「……私はね。あなたの書く物語は大好きなんですよ。一番のファンだと自負している。これまで仕事でしたから、そうやって口にすることはなかったですけどね」


 五日目も六日目も、ペンネは布団から出てこなかった。


「……もう、今回の本は諦めました。しかし、あなたという作家がここで終わってしまうのは惜しい。すぐにとは言いませんが、またいつか書いてください」


 そして、七日目……。


 ペンネは、布団から出てきた。


「いや。……書くよ」

 髪と髭が伸び、ひどい顔になっていたペンネだが、目には生気が戻っていた。

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