郵便配達人に大切なもの(4)

 一刻ほど後――。


 キャルは、竜に乗ったライナーと共に、夜の空を駆けていた。

 このサイズの飛竜は通常一人乗りで、重い荷物をあまり載せることはできないが、空飛ぶ魔女であるキャルは、パケやホウキごと身体を軽くできる。トランに係留される形で同乗していた。


 さいわい今夜は月が明るくて、空も、眼下の荒野もよく見える。


 局長が調べたところ、本来ライナーが運ぶはずだった郵便物がひとつ消えていた。

 つまり、ハロオの試験用の封筒と入れ替わってしまったというわけだ。

 その宛先は、すなわちライナーが今日行き来してきた街。飛竜で往復半日弱ほどの距離だから、人の足では三日はかかる。


 さすがに、まさかとは思ったのだけど……。


『いたよ。キャル』

 最初に見つけたのは、パケだった。

 キャルはライナーに合図を送ると、ホウキを飛竜から分離させ、降下した。


 ハロオは、小走りするように荒野を歩いていた。

 長距離用の早歩きだ。キャルは首をかしげる。自分たちの飛行距離から計算すると、朝からずっとこの速度で休みなく歩き続けてきたことになるけど、まさかそんなことができるはずが……。


 いや。しかし、いまはそれどころではなかった。


「ハロオおじさん!」

「やあ、キャル」

 ハロオは、いつもと変わらないのんきな顔でキャルを見上げた。

「あれっ。手伝ってもらうと、試験は不合格になっちゃうんじゃなかった?」


「……驚いた」

 後から降下してきた竜騎士のライナーは、月明かりのなかでつぶやいた。

「方位も正確で目的地への最短距離コースだ。おじさん、どうやったんだい?」



 ハロオを飛竜に乗せて街へ戻る頃には夜も更けていたが、郵便局の事務所には局長が残っていた。


「なるほど」

 事情を聞くと、局長は申し訳なさそうに言った。

「ハロオくんは、特例で合格としよう。規定通りではないが、なにぶん、こちらのミスでもあったからね」


「やったね、おじさん!」

 キャルは、文字通り飛び上がって喜び、ハロオの手を取った。

「うん。ありがとう」

 ハロオは、いつものように微笑んだが、ふいに、目付きを険しくした。


「局長……あれはなんですか?」

 部屋の隅にある郵便袋を指す。


「うむ?……本日、ライナーくんが運んできた長距離郵便物だよ。

 明日にでも、市内に配達してもらうことになる。

 そうだな、きみが正式な配達員となってからの、初仕事になるな」


 局長の言葉を最後まで聞かず、ハロオは郵便袋を開け、なかから一通の封筒を取り出した。


「これ……邪悪な気配がします。届けちゃまずいです」

「えっ。何言ってるの、おじさん?」

 キャルが横から見るが、その封書はごく普通のありきたりのものだった。

 ただし、立派な魔術封蝋が施されている。


 局長も覗きこんだ。

「これは第一級魔術封蝋だ。局長である私にも開けることは出来ない。よほど高位の魔術師でも無理だろう」

「……みんな、離れていてください」


 ハロオは、いつもと違う顔つきになり、そう言った。

 手にした封筒を破ろうとする。


「ハロオくん!」局長があわてて叫ぶ。


「ダメだよ、おじさん。規則違反だよ!」

 キャルも叫んだ。

「……って、どうせ破れっこないけど、ダメだって!」


 しかし、ハロオは封を破った。

 とたん、封筒から黒い波動が発され、赤い稲妻と共にハロオを包みこんだ。

 ハロオは硬直し――その場に倒れる。


「おじさーん!」キャルが大声をあげて、駆け寄った。


「……じゅ文字もじ魔術だ」

 スタンプ局長がつぶやいた。

「封を開けたら発動する、感染呪術手紙メールか!

 遠い国では、犯罪魔道士がそんな禁呪を編み出したと聞いていたが、まさかこの街に送られてくるとは」


 郵便という制度が出来るに従って、それは悪用され、犯罪にも使用されるようになった。

 新しい技術が人々に恩恵をもたらすと同時に、新たな悪事を生むのは世の常だ。

 手紙によるイタズラや嫌がらせから始まり、脅迫状や犯罪予告状といったものまで。

 魔術的に呪いが付与された手紙もある。これらは残念ながら防ぎきることは出来ない。明らかに怪しい郵便や、呪術をかかったものは回収され処理されるが、今回の呪術手紙は、封を開けるまで感知されず、宛先の相手のみを狙う巧妙なものだったのだろう。


 ハロオがなぜ感知できたのか――と局長は一瞬いぶかしんだ。


 夜の事務所に、キャルの叫び声が響く。

 局長は我に返り、あわてて聖教会せいきょうかいへ連絡をつけようと立ち上がった。

 どの程度の呪術を受けたのか、助かるかどうかもわからないが、聖職者に診せなければならない。


「あたしが行く!」

 キャルは目にわき出していた涙を振り払い、立ち上がった。

 市街地を飛行するなら、狭い場所も抜けられ小回りの利く魔女のホウキは、人や馬はもちろん、飛竜よりも速い。

 ハロオをホウキに乗せ、思いっきりの魔力で浮かび上がろうとする。


「……あっ。大丈夫だよ」


 のんきな声がした。


 キャルが見ると、ぷすぷすと煙を上げながら、ハロオが微笑んでいた。



     ★     ★



「……というわけで、今度も就職はダメだったよ」


 後日、ホリックの就職斡旋所にやってきたハロオはそう言った。


 あの晩。

 局長は犯罪封書が送られてきた遠い街へ迅速に連絡し、犯罪魔術師は即座に逮捕された。

 当人の計算では、発動は郵便が配達される翌日のはずで、さらに判明まではしばらくかかるだろうと踏んでいたところ、予想外だったらしい。

 魔術師は、自分の封書が感知されたことも、封を開けた者が生きていたことにも驚いたという。


「わしの術が感知されるはずがない。それに開けたならば呪殺じゅさつされたはずだ!」


 そう叫んだそうだが……そんな言葉は本気にされなかった。

 元勇者のハロオだったから、邪悪そのものを感知できたのだとか、致死級の呪術を受けても無事だったなどとは誰も思わない。

 魔術師の術が幸いにも未熟だったのだろうと関係者は考えた。


 郵便を悪用した犯罪を未然に防いだことで、ハロオは人々に感謝されたが――郵便配達人としての掟を破ったため、辞職せざるを得なかった。

 それに、前提として「受取人以外は破ることが不可能」であるはずの、魔術封蝋を解除できる人員を郵便配達人にしておくわけにもいかなかったからだ。


「あきれたものだな」


 事情を知ったホリックは、そう言った。


 犯罪魔術師のことではない。《改変》によって戦争は消えたが犯罪は依然として残っている。しかし邪悪なものが世から消えないなど当たり前だと彼女は考えていた。

 郵便配達者たちのことでもない。世に悪がある限り、法と規則によって対抗するのは当然の策だ。融通が利かないなどと言うつもりはなかった。特例を認めていたらきりがない。


 あきれたのは、ハロオ自身のことだ。


「お前はバカか。そんな手紙など見過ごせば良かったのだ。……今回は、ようやく就職できそうだったと言うのに」

「そんなわけにもいかないよ。誰かが死んじゃうじゃないか」


(……お前自身は、死んでもいいのか!)

 ホリックはカッと頭に血が上り、怒鳴りつけそうになるが、それを呑みこむ。

 こいつは昔からこういう奴なのだ。自分自身の身体能力を過信している、というわけですらない。他人を救うことを優先するためなら、自分のことなど考えもしないだけなのだ。


(……まあ、いい。かつての魔王を破った男が、そのへんの魔術師に呪殺されるようでは困る)


 言葉を胸の内にしまい、代わりにこう言った。


「……ふん。まあ、どうせ、お前はそんな調子では、遅かれ早かれ規則を破ってしまっただろう。ならば早くクビになってよかったかも知れんな」

「ありがとう」

「……褒めてなどいない」


 元魔王たるホリックはもう怒る気も起きず、呆れたように肩をすくめた。


 ……しかし、後日。

 その手紙の宛先が、ホリック自身だったと知ったときは、顔を真っ赤にして怒鳴り散らした。


「底抜けのバカか。

 お前を呪殺できない程度の呪いで、私がどうにかなるはずなかろう!」


 苛立って仕方なかった。

 ホリックは職業柄、あるいは魔族というだけでも敵は多いのだ。

 自分自身だって、ちゃんと対策は立てている。

 それなのに――元勇者のハロオに救われた形になったなど、耐えられないことだった。


「ナァ~ゴ」

 顔を赤くするホリックのそばで、竜猫キャッドラゴのトラが鳴いた。


 自分自身のことを棚にあげているとは、ホリックは気づかない。



               (『郵便配達人に大切なもの』……おわり)

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