郵便配達人に大切なもの(3)

 研修中のハロオが、キャルに付き添われながら、手紙を届けに行った先のひとつは、複雑な路地ろじの先にある集合住宅の部屋だった。


「はじめてなのに、よく見つけられたね、おじさん」

 キャルは軽く驚いたのち、ドアチャイムを鳴らす。

 品のよさそうな老婆が現れた。


「あら。郵便屋さんね。お待ちしていたわ」

「こんにちは、おばあちゃん」

 キャルはぺこりと頭を下げる。横にいるハロオを紹介した。

「こっちは、新入りの郵便配達人のハロオさん」


 それからつま先立って、ハロオの耳にささやいた。

「……ひとり暮らしのおばあちゃんで、お馴染みの配達先なの」


「新入りさんも、よろしくね」

 老婆は、渡された封筒を嬉しそうな顔で受け取り、封を切ると、なかの手紙を差し出した。

「郵便屋さん。申し訳ないけど、また、孫の手紙を読んでくれませんかねぇ」


「ええ。もちろん」

 キャルは笑顔で答えた。

「そうそう。何か困ってることない? 高い所のもの取れないとかあったら言ってね。あたしなら、ちょちょいとできちゃうから」


 それから、数刻後……。


「……とまあ、ああいう場合はいいのよ。字を読めない人も結構いるから。受け取った本人に頼まれた場合はね」

 老婆の家からの帰り道、キャルはハロオに念を押すように言った。

「そうでない場合は、勝手に封を開けちゃダメなんだからね」


「やさしいんだね。キャル」

 ハロオは、笑顔でそんなことを言った。


「うえっ」

 ふいの言葉に、キャルはあわてて、言い訳するように言葉をつづける。

「べ、別に。これも仕事のひとつだよ。手紙を届けるっていうのは『言葉と心を届ける』っていうことなんだから。……えーと、局長からの受け売りだけど」


 それから頭をかいて、ハロオを見上げた。

「どう? 面倒くさいとか思った?」


「えっ。すてきな仕事だと思うけどなあ」

 ハロオは、少年のような目でキャルを見返す。

「ああやって、誰かの言葉を誰かに届けて、喜ぶ姿を見ることができるってのはいいなあ」

「うええっ」


 あまりに素直な言葉に、むしろキャルのほうが照れてしまう。

 確かに、あのおばあさんの相手は、キャルも何やらちょっと照れくさいし、自分の声で手紙を読み上げるなんて本当は恥ずかしいのだが……それでも、キャルにとっての重要なもののひとつだった。

 配達物というのは、ただ届けるだけということが多く、そこで交わされる言葉や、受け取った人の気持ちまでは見えない。あのおばあさんのおかげで、自分の仕事の大切さをいつも確認できるのだった。いつも運ぶ手紙のなかには本当はああいった言葉が交わされているのだと改めて知ることができる。そんなふうに思っていた。


「僕も、この仕事につけるといいなあ」

 ハロオは空を見上げて、つぶやくように言った。


「まあ、がんばればいけるんじゃない?」

 キャルは、ふっと笑う。

「ハロオおじさん、筋は悪くないよ」


 たしかに、ハロオは郵便配達人としての資質はあった。

 郵便物を届けるのに、結構な時間がかかるという欠点はあったが、それは真面目で馬鹿正直であるためだ。


「うん。早く済ませようとしていい加減にやるより、よっぽどいいよ」


 あれから数日……。

 キャルは、研修期間預かりということで、ハロオにくっついて、郵便を配達するのに付きそっている。

 今日もホウキは手に持って歩きながら、ハロオが地図を手に街を歩いている様子を見ていた。


『意外だなあ』足元のパケがニャアと話しかける。

『キャルはそろそろ飽きて、あんなの放り出して空飛びにいっちゃうと思ってたけど』

「仕事なんだからそんなことしないよ」キャルは相棒猫をにらみつける。

「それに、あのおじさん。見ていて飽きないもの」


 実際、ハロオは、方向感覚や地図を読む能力が優れているわけではない。

 ただひたすら、しつこく歩き回って調べるのだ。

 歩いている人に道を聞くのもためらわないし、塀に登ったり、街路に顔をくっつけて道を調べたりもする。

 これでは不審者扱い寸前で、そこだけはキャルも困ったものだったが、郵便物もしっかりと守り、落としたり忘れることはなかった。


「それに……大切なところで、配達人向けだと思うよ」

 キャルは、相棒猫にだけ聞こえるように、小さくつぶやく。

「郵便配達人は、郵便を届けること自体が嬉しくて誇りを持てることが大切なんだもの。あのおじさんはそれがあると思うよ。あたしやライナーと同じように」


 さいわい局内や担当区域における、研修期間のハロオの評価も悪くないようだった。


 そして、一週間が過ぎた日の朝の郵便局。

 局長のスタンプはハロオに告げた。

「本日は最終試験だ。キャルの手を借りず、ひとりで配達を行ってもらう」


 それを果たせば試験は合格。ハロオも晴れて正規採用ということになる。


「大丈夫だよ。研修期間中も、ずっとひとりで住所を探しあてていたもの」

 キャルは、はげますように送り出した。


「行ってきます」

 ハロオは、局長とキャルや、ほかの郵便配達人や職員に挨拶あいさつすると、これまでと同じように、地図を手に街へ歩き出していった。


「さあ。他の者はいつものように配達業務だ」

 局長が、キャルたちに声をかける。


 キャルも一週間ぶりに普通の仕事だ。

 郵便袋を受け取り、ホウキで舞い上がる。

 ひさしぶりの空だ。街が小さくなり海が広がる。向こうには、長距離配達へ向かうライナーの飛竜の姿が見えた。

 キャルは眼下の小さくごちゃごちゃした街を見下ろした。そこにいる人々まで見えるわけもないが、つい目をこらしてしまう。


『おじさんがうまくいくか、気になる? キャル』

 ひさしぶりにホウキに乗ったパケが、ニャアと鳴く。

「べ・つ・に」

 キャルはそう言って、肩かけカバンを担ぎ直す。

 そして自分の仕事にとりかかった。

「大丈夫にきまっているよ」



     ★     ★



 ところが……。


 キャルが一日の仕事を終え、夕方に郵便局へ顔を出すと、局長が渋い顔をしていた。

「ハロオくんが、まだ戻ってきていない」


 普通ならばとっくに配達なんか終わっているはずの時間だ。


「ひょっとしたら何かトラブルがあったのかも」

 キャルは、あわてて言った。

「ほら。あのおじさん、のんきそうだし」


「だとしても、規定として試験は失格ということになってしまうな」

 その通りだった。キャルは青くなる。

 ハロオおじさんは、一体、どうしたんだろう。


「えっと。試験用の郵便物って……難易度はどれぐらいなんですか?」

「きみが試験を受けたときと同程度だよ、キャル。

 彼はランドウォーカーだからもう少し手加減したぐらいだ」


(うえっ。そんな簡単なら、言い訳もできないよね)

 キャルは内心思う。

「もちろん、試験用に用意したものだから、一般の郵便ではない。……万が一紛失したとしても大丈夫なようにね」

 局長も残念そうな様子だった。

「ハロオくんには、私も期待していたのだが」


「ううっ。そんなぁ」

 キャルはあらためて不安になった。研修中は気づかなかったけど、ひとりになると怠けたりいい加減になる人だったのだろうか。あるいは、自分が見抜けなかっただけで悪い性格だとか……。

 ぶんぶんと頭を振って否定する。いや。そんな人じゃないはずだ。ひょっとして、手紙を落として探し回っているとか……。


 しかし、いずれにせよ、今日の営業時間中に戻らなければ失格なのだ。


 そのとき、郵便局事務所の扉を開く音がした。

「おじさん!?」

 キャルは振り返るが……それは、竜騎士のライナーだった。

 離れた街への長距離飛行から戻ってきたところだ。

「なぁんだ。ライナーか」


「なんだって、なんだよ!」

 ライナーはキャルに対して口をとがらせると、局長のほうへ向かい、一通の封筒を差し出した。

「運んでいった郵便袋のなかに、間違った郵便物が混入してました。宛先の住所はこの街です」


 局長のほうはそれを見て、ぎょっとした顔になった。

「これは今日、ハロオくんに渡したはずの、試験用の封書だ」


「えっと。つまり……?」

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