パン屋とモンスター(4)

 ベイクは、まずは『ドラゴン』をこしらえてみることにした。


 ハロオに尋ねる。

「ドラゴンというのは、どんな感じなんだ?」


 ベイクの質問に、ハロオは少し考えてから答えた。

「えーと。……すごく強いですよ」


 ハロオは本当に説明というものがうまくないらしい。ベイクは質問を変えた。


「じゃあ、形を作っていこう。まず……胴体はどんな感じだ?」

「固いです。……ドラゴンは、どこもかしこも固いですが」


 ベイクはちょっと考えて、また質問を変えた。

 ハロオが先ほど作ったパン生地の“ドラゴン”を手に取る。一番目立つ太い部分を指さした。

「こいつは何だ。胴体か? 首か?」


「ブレスです」

 ハロオは、今度は即答した。

「ドラゴンの吐く炎の息。大きく広がるし、すごく熱い。一番注意しないといけない」


 ベイクは首をかしげて、反対側にある太い部分を指さす。


「こっちはなんだ?」

「シッポです。ドラゴンは正面ばかり気を取られると大変です。シッポの一撃も強いんです」

「このへんに、ごちゃごちゃ付いてるのは?」

「爪です。ドラゴンは大きいのに素早いんですよ。爪の攻撃は強力だし速いし、いろんな方向から、ばんばん飛んできます」

「じゃあ、……このへんの、でかいのは歯か」

「そうです。よくわかりましたね。爪とちがって大きいのがガブっと来ます。当たると痛いです」


 ハロオの説明は、言葉の語彙ごいは貧弱で感覚的だったが、デタラメではなく筋が通っていた。

 ぐしゃぐしゃのかたまりに見えたものは、全て意味があったらしい。

 ベイクも質問しているうちに、だんだん分かってきた。

「……もしかすると、こいつは、その……ドラゴンの動きを形にしたものなのか? こんなふうにごちゃごちゃしているのは、攻撃に死角がないってことか?」


「ああ! そうそう。そういうことです! ベイクさんは質問するのも、言い表すのも上手ですね!」

 ハロオは手を叩いて、感心した。


 ベイクは顔をしかめる。彼は他人から『説明がうまい』などと言われた覚えなどない口下手である。ハロオのほうがそれを凌駕りょうがして下手過ぎるのだ。

 ベイク自身もパン作りの経験がない者に、パン作りのコツを説明するのは難しい。それと同じようなものだろうか、と理解した。


 もっともベイクはそこまで考えが及ばなかったが、元勇者であるハロオと常人の身体能力は千倍もの差がある。一見、子どもの粘土細工よりもひどく見えるカタマリは、常人の一千倍の動体視力と、天性の感覚、無数の戦闘経験に裏付けられた、極めて高度な情報の集合体だった。

 ハロオにもっと造型の技術があるか言語能力が高ければ、精密きわまりないドラゴンの運動パターン情報になったことだろう。

 そして、この世界に人間の何千倍もの能力で情報を処理する、高度な算盤そろばんのような器械きかいがあったなら。さらに、その情報を活用できる、勇者と同じ身体能力の動く人形ゴーレムでも存在したならば、きっとそれは役に立つものになったことだろう。

 しかし、現在のこの世界ではそんなものは存在すべくもなく、すなわち全く無用のものでしかなかった。

 あるいは情報そのものに意味がなくても、極めて緻密で美しいひとつの美術作品になったかもしれないが、この世界のどんな名工も美術家も、それを絵画や彫刻にすることは不可能だろう。


 ……いずれにせよ、いまのベイクには役に立たないものだった。

 そんな細かい造型など、そもそもパンには出来ないし、出来たとしても、普通の人間には「ドラゴン」に見えはしない。


 ベイクは、ふうと溜息ためいきをついた。

 肩を起こし、ハロオが作った“ゴースト”も見る。こちらはこちらで意味があるのだろう。命のない幽体ゆうたいの複雑な動きとか、この世とは異なる力だとか……しかし、そんなもの普通の人間には、ごちゃごちゃしたカタマリとしか見えない。


 思惑おもわくが外れたベイクは、気の抜けたようにうなだれ、“スライム”と称された、丸い団子のような生地を手に取った。


「……これも、そういう深い意味があるのかね?」

「それはカンタンですよ。かくです」

「カク?」

「スライムというのは、うねうねして、ねばねばしてて、形が決まってないものに見えますが、必ず『核』があります。そっちが本体みたいなものです。そこを攻撃すればいい」


 聞いて、ベイクは顔をあげた。似た形の“スケルトン”を手に取る。

「こいつも、同じように見えるが……」


「スケルトンも同じですよ」

 ハロオは、はっきりした口調で言う。

「動く骨をいくら攻撃して壊しても再生しますが、骨を動かしている本体が必ずあります。そこを攻撃すれば浄化できるんです。スライムと違って、えーと……そう。霊的なものらしいですけど」


 勇者だったときのハロオにとって、スライムもスケルトンも、戦いの相手という意味では同じものだった。見かけの形など、それに比べれば些細ささいな問題だ。

 スライムに対して炎のスペルも薬品も使わず、スケルトンに対して浄化の術も聖なる武器も使わず、ただ剣だけで倒してしまう「勇者」という存在を、仲間の魔術師と僧侶は反則チートだとあきれかえったものだが、当のハロオからすれば、ちゃんと理由があるのである。


「深い意味とかないですよ。カンタンです」

 ハロオは、屈託のない笑顔でそう言った。


「なるほど」

 ベイクは立ち上がってうなずいた。

「見かけに惑われてはいけない。物事の本質はシンプルだということか」


「そうそう。……ベイクさんは説明がうまいですね!」

 ハロオは、手を打って素直に感心する。


「あ、あのっ」

 さきほどから、様子をずっとうかがっていたルヴェが、口をはさんだ。


「ベイクさんは、そのままのパンを作っていけばいいと思います。あんなパンを気にすることはありません。お客さんもきっと戻ってきてくれます!」

 これまで口に出せなかった言葉。

 いまの話に後押しされたのだろう。必死に声をあげる。


「だ……だって、ベイクさんのパンは本当に美味しいもの。

 真面目にパンを作るベイクさんのこと、私、大好きです。つまらないなんてこと、ありません!」

 最後は、かぁっと顔を赤くして、絞り出すように言った。


「……ふむ」


 しばしの沈黙の後、ベイクはうなずいた。


「俺は間違っていたようだ。小手先の派手なものに惑わされず、俺のやり方でパンを作っていけばよかったんだな」


 そう言って、ルヴェの肩に手を置いた。


「あっ。そうだ」


 当のハロオは、自分の言葉がふたりにどんな影響を与えたかも気づいていない。

 あいかわらずの調子で言った。


「新しいパンを作るって言うなら。ルヴェさんのおかずやデザートを、パンのなかに入れたらどうですか。あれは美味しいし、パンにもすごくあってますし」


 ルヴェが再び顔を赤くして、あわあわとうろたえた。

 彼女自身も一度は考えたことがあるアイデアだったが、ベイクのパンに対しておこがまし過ぎると思い、言い出せずにいたことだった。


「なるほど、それはいいアイデアだ!」

 ベイクのほうは、顔を輝かせた。

「なぜ俺はいままで気がつかなかったんだろう。ルヴェくん、さっそく試作してみよう!」



     ★     ★




「……というわけで、就職できなかったよ」


 翌日。

 ホリックの就職斡旋所を再び訪れたハロオは、一通りのことを語った。


「あきれたものだな」

 ホリックは、聞いて肩をすくめる。


 ハロオの話は、聞けば納得できた。

 あのパン屋がそんな事情を抱えているとは知らなかった。

 ホリックは副業で経営コンサルタントのようなこともやっている。仕事がら、就職斡旋に関わることもあるからだ。事情を知れば調査し、似たようなアドバイスをしただろう。

 ……いや。ハロオほどシンプルに、店主を正解に導くことまでは、出来なかったかもしれない。


「モンスター知識が役に立たなかったのはわかった。それでもパン屋の店員として働けばよかっただろうに」

「いやあ。僕が働くと、ちょくちょくあちこち壊しそうだし、精霊もおかしなことになるし」


 ハロオが頭をかいた。


「いままで通りのやり方に戻すみたいだから、新しい店員を雇う余裕もないと思うよ。お客が戻ってくるまで地道にがんばるそうだから、余計な出費は出来ないだろうし」


「ふん。どうなることやら」

 ホリックは、鼻を鳴らす。


「それより、ベイクさんのパンはおいしいよ」

 ハロオは、袋からパンを取り出した。


 ベイクの店から、土産にもらってきたようだ。

 手を差しだして、ホリックにも勧める。そういえば先ほどから、焼いたパンの香ばしい匂いが事務所に漂っていた。


「なんで、お前と顔をつきあわせて、パンを食べねばならんのだ」

 ホリックは文句を言ったが、すでにハロオはパンをほおばっている。

 食欲をそそる匂いにもかれ、元魔王はパンを手に取り、口にした。


 確かに美味びみだ。

 奇をてらった味ではないが、風味も噛みごこちも素晴らしい。口のなかに、精霊のかもしだした味わいが広がる。


 思わず、二つ目を手に取る。こちらは、なかに肉と野菜の惣菜そうざいが入っていた。ルヴェとの共同で新開発したパンだろう。パンと惣菜が絶妙ぜつみょうのハーモニーを奏でているようだ。

 三つ目を口にすると、甘く煮た果実が口内に広がった。この甘いパンも絶品だ。


 確かに、こういうパンを作り売っていくのなら『ベイクのパン屋』は、いずれ客を取り戻し、評判の店になるだろう。


「どう? おいしいだろう?」

 屈託のない笑顔を浮かべてパンを食べる、ハロオが言う。

「食べると、思わず笑顔になっちゃうようなパンじゃないかな」


(お前はいつでも笑っているだろうが)

 ホリックは内心つっこむ。

 また無職に戻ったと言うのに気楽なものだ。


「……まあ、悪くはないな」

 元魔王は、自分の顔がにやけないように気をつけながら、そう答えた。



               (『パン屋とモンスター』……おわり)

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