パン屋 Baker&Bakery

パン屋とモンスター(1)

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│『パン屋の店員』                             │

│ 条件:健康で清潔、早起きで勤勉。パン好きだと良し

│スキル:力仕事、製菓・製パン                      

│勤務時間:早朝~夕方

│労働環境:麦粉にまみれ、パン焼き窯の前は暑し

│報酬:日給50G、まかない(パン)付き

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 パン屋の朝は、早い。


 ベイクは、日の出前に目を覚ますと、朝霧にけぶる中庭へ出た。

 混沌とした、街全体が不夜城ふやじょうのようなこの都市であるが、それでも早朝のこの時間はいくぶん静かであり、空気も澄んで清々しく思える。

 彼は筋骨隆々の身体の背筋を伸ばし、縮れた毛の太い腕を振り回し、習慣となっている体操をする。

 朝日が昇ってくると、ベイクは大きく息を吸いこんで吐く。

 ふと……顔をしかめる。

 無愛想な彼はいつも顔をしかめているように見えるが、付き合いの長い者だったら深刻な心配事があるとわかったことだろう。

 それから彼は顔を左右に振ると、気を取りなおそうとするように大きな動作で身体を動かし、もう一度深呼吸した。


 建物に戻り、仕事場の様子と、パン焼きがまの調子を確認すると、店の前に出た。

 彼の店『ベイクのベイクズ・パン屋ベーカリー』も、この通りの多くの商店や家屋と同じく、軒先は道に面してぎっしり他と並ぶようにあり、裏手に小さな中庭を持った造りをしている。

 店舗の奥には、パン焼き窯やかもむろを備えた製パン部屋があった。

 それらよりも小さなスペースを割り当てた、ささやかな住居のための部屋もある。

 中庭には井戸や、パンを焼くための薪置き場。業者から買った麦粉や上質の水を蓄えておく納屋もある。

 店を開けるのは、もう少し日が昇ってからの時刻となるが、朝の内に店先を掃除しておくのもベイクの習慣だった。店先は軒がそのまま石畳の表通りに面している。


 ……見ると、店の軒先に誰かが倒れている。


 あわてて駆け寄ると、起き上がって、あくびとともに伸びをした。


「おはようございます。僕はハロオです」


 ベイクが拍子抜けするようなのんきな声で言い、にっこりと笑う。

 よく見ると中年に差しかかった青年のようだが、妙に子どものような目と表情をしていた。

 ベイクは思い出す。そういえば、就職斡旋所のホリックさんにお願いしていた求人募集に人材が来たという知らせがあった。


「そうか。……俺はパン屋のベイク」と自己紹介する。

 あまり喋るのが得意でない彼は、ごく簡単に聞いた。

「ここに寝てたのか?」


「いやあ。遅刻するとまずいと思いまして」ハロオは、笑顔のまま答えた。

「野宿とか、石畳いしだたみの上で寝るのも慣れてますし」



     ★     ★



 元魔王ホリックが、ハロオに斡旋したのは「パン屋」の店員だった。

 ちょうど街のパン屋が店員を募集していたのだ。

 パン屋と言えば、早起きと勤勉さ、力仕事が必要とされる。

 元勇者であるハロオにはぴったりだろう。何しろ、必要となれば何日でも不眠不休で活動できる気力体力があるくせに、本質的には早寝早起きになる性質だ。

 ……彼と実際に出会った時間はわずかだが、以前の戦いのさいは長期に渡って魔王軍の監視対象に置いていたため、よく知っている。


 募集資料を見れば、製パンのスキルはあるに越したことはないが、必須ではないらしい。弟子として仕事しながら修業すればよいというわけだろう。あの真面目な元勇者なら、何年修業するのも苦ではあるまい。

 それに資料を見ると「追記:モンスター知識など独創性ある店員求む」という追加条件がある。

 ホリックは大きくうなずく。こんな条件があるなら、なおさらだろう。


(あいつほど、魔物に詳しい者はあるまい。……何しろ、我ら魔王軍の配下と戦い続け、さんざん打ちのめしてくれたやつだからな)


 苦笑しながら、ホリックはつぶやく。


「なに。きっといまごろ、すっかりうまくやっているはずだ」

「ナァ~ゴ」答えるように、竜猫キャッドラゴのトラが鳴き声をあげた。



     ★     ★



「……さっぱり、うまくいかん」

 ちょうど同じ頃、パン屋のベイクはしかめ面をしていた。


「僕のせいで、ごめんなさい」

 ハロオが頭をかいて謝った。いまはパン職人の見習い服に着替えている。


「いや、ハロオくん、きみのせいじゃない」

 ベイクは言う。

 彼は少しばかり妙なこの青年には、むしろ好印象を持った。

 確かに石畳の上で寝ていることに最初は呆れかえったが、遅刻をしないためとは、いまどきなかなか真面目な青年だ。今後、正式に店員に採用するなら、空いてる部屋に住み込みをさせればこんなことも起こるまい。

 確かに、先ほどから仕事を頼むと、薪割まきわりをやらせれば薪を台座ごと割ってしまったり、水みを頼めば井戸のおけを壊してしまったりしているが、ベイクもまさか、ハロオ自身の力のせいとは思わない。台座や桶が古くなっていたのだろうと考えた。


「すみません。力加減がうまくいかなくて……」


 そんなふうに恐縮するハロオに、むしろますます好感を持った。


 一方ハロオのほうも、自分の力を思い切り使うほどバカではない。

 勇者だった彼は自分の身体能力も理解している。本来の能力の0.1%ぐらいに抑えたつもりなのだが、この有様だった。

 以前、どこかの村で薪割りをしたときなどは、大地を割り、斧の刃圧で家屋を二、三軒倒壊させてしまったことがある(このあたりがほかの村や街で職に就けなかった理由なわけだが)。これでもずいぶん制御がマシになってきたほうなのだ。

 それに、ハロオは元勇者ゆえの性格で、周囲の者に好意を持つと、つい調子に乗ってしまう。ベイクが「薪を割るときは腰を入れるんだぞ」と手本を見せてくれたら、分かっていてもつい力が出てしまうのだ。


「うまくいかないというのはきみのことじゃない。……うちのパンのことだ」


 ベイクはそれだけ言うと、目の前の作業に戻った。

 いまはパン生地きじをこねる作業だ。

 ベイクのパン屋も、この世界の多くのパン屋と同じように、業者から買った各種の麦粉を、自前でふるいにかける。パンの種類にあわせて粉も調整するためだ。

 その粉に、契約している水売りから買った上質の水を混ぜ、パン種を加えてこね上げ、パン生地にしていく。


「うまくいってないんですか? ベイクさん、すごいと思うけどなあ」


 それを見ているハロオは言った。

 素直な感想だった。実際、ベイクのパン生地をこねる様子は見事なものだ。何年も修業したパン職人だけが身につける、無駄のない動作をしている。


「ふむ。そうか?」


 ベイクは微妙に首をかしげた。しかめ面のままのように見えるが、付き合いの長い者なら照れた顔だとわかっただろう。照れ隠しするように言う。


「ハロオくんも、ちょっとやってみるかね」

「えっ。いいんですか?」

「修業はこれからやってもらうとして、麦粉むぎこにも慣れてもらわんとな。そっちの古い台を使うといい。生地をこねるのは見かけよりも力がいるぞ。思いっきり力を入れてみたまえ」


 そう言うベイクは職人の顔だった。

 ハロオも腕をまくって、練習用の生地に取り組む。

 もちろん『思いっきり』と額面通りに受け止めるわけにはいかない。

 力を千分の一に抑えようとする。しかし、職人気質のベイクの声に、またちょっとばかり力加減を誤ってしまい――。


 こね台は壊れ、製パン室には麦粉が白い煙のように、もうもうと舞うことになった。

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