プロローグ(2)

 そして、現在……。


 世界全ての者の記憶はもちろん、記録も歴史も改竄かいざんされ、はるか昔からそうだったというように誰もが認識している。

 勇者と魔王の戦いは、はるか昔の伝説として、文献ぶんけんと人々の記憶に残っているに過ぎない。


(……本当のところを覚えているのは、私だけか)


 魔王は思う。

 いや。元・魔王、と言うべきか。それに、それが「本当のところ」なのかは、証明するすべはない。冷静に考えれば、この記憶のほうが、自分の妄想だと思っておくほうが現実的だろう。

 いまの自分は――魔王だったという記憶を持つ、ただの小娘に過ぎない。

 この街で、この事務所を営む、ただの魔族の小娘。


 カラン、とドアチャイムが鳴る。


 お客だ。

 この事務所を訪れる客とは、すなわち無職のやからであるわけだが、それを見下したり、さげすむことを彼女は決してしなかった。

 いつものように営業用の笑顔を浮かべる。


「どうも。ここで仕事をもらえると聞いたんですけど……」

「もちろんです。当オフィスは、実に百パーセントを誇る実績の……」

「あれっ?」

「……うっ」


 やってきた客の顔を見て、元・魔王の笑顔は凍りつく。


 忘れもしない。

 クセのある茶色がかった金髪。平凡な顔。澄んだまっすぐな瞳……。


「やあ」と屈託のない顔で笑う。


 元・魔王は、たちまち不快になった。

 この笑顔。素直でまっすぐで、自分が正しいと信じており、私利私欲もなく、ひたすら前向きで、悩みも絶望もなく――

 彼女は顔が熱くなるのを感じた。いつもの冷静沈着な自分を忘れ、大声で叫ぶ。


「なんで、お前が。よりによって、私のこの事務所に来るのだっ!」


 言いながら、自分のオフィスの看板を指した。


 そう。

 ここは元・魔王が営む『就職しゅうしょく斡旋あっせんじょ』。

 

 やってきたのは――元・勇者。

 

 現在、無職の男であった。

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