魔王の就職斡旋所に勇者がやってきました。

藤浪智之

序 ~勇者と魔王

プロローグ(1)

 それは、ある世界、ある時代の物語。


 世界を支配しようという魔王の大迷宮の最下層へ、ついに勇者がやってきた。


「よくぞ来た。勇者よ」闇の君臨者たる魔王は、不敵に言う。

「お前は数々の試練を突破してきたつもりでいるかも知れぬが、これも全ては計画通り。

 お前をここで倒すことによって、我らが闇の勝利は決定的となる!」


 そして行われる、光と闇の決戦。


 悠久ゆうきゅうの昔より繰り返されてきた、戦い。

 地上最強の存在と、地下最強の存在がぶつかりあう現象は、地上世界であれば都市ひとつを消滅させるほどのエネルギーを発生させたが、それも、この決戦の意味するところを考えれば、ささやかなものだったと言えるかもしれない。

 これによって――文字通り、世界そのものの支配者と運命が決まるのだから。


 戦いは――幾日も続いたようでもあり、一瞬で決したようでもあった。

 深き迷宮の底では時間も意味をなさなかったし、悠久の歴史のなかではこの戦いも刹那せつなのごときものであったから。


「……ば、ばかな。私が……闇が負けるとは」


 敗北したのは、魔王だった。

 おのれの砕け散った玉座ぎょくざのそばで、膝をつく。


(……やはり、勝つことは叶わなかったか)


 魔王は、この世界を武力で圧倒的に支配しているように見えていたがその実態は、危うい薄氷はくひょうを踏むような勝利をひとつひとつ重ねた結果に過ぎなかった。

 秩序よりも混沌を好む魔族たちをなだすかしてどうにか束ね、常に魔将ましょうたちの叛乱はんらんの危険に悩まされ――元より一枚岩でない魔王軍を維持するのも限界に達していた。

 共通敵である勇者を迎え入れて戦うことによって、なんとか組織の結束を保つと共に、この最終決戦で勝利する。そのことに魔王はけていたのだった。

 そして、その極めて危うい最後の計画も、いまや砕け散り霧散むさんした。


 地下深くの最下層のこの部屋に、奇妙な色彩の球体が出現した。

 伝説の《願いの宝珠ほうじゅ》だった。この大迷宮の最下層で、世界の命運を賭けた最終決戦が行われたときに出現する――どんな願いもかなえるという究極の宝物ほうもつ

 大迷宮のあるじである魔王も、実物を見るのは初めてだった。


 そしてその願いの行使権は、勝利者が有する。


(……これを、私が手にすることさえ出来ていれば!)


 魔王は床に手をつき、歯ぎしりする。


(だが……)続けて、心に思う。

(人間とはみにくき存在。《願いの宝珠》など手に入れたら、欲望に流され、権力を欲し、破滅するだろう。となれば、私は敗れても、闇に勝機がある……)


「勇者よ。《願いの宝珠》はお前のものだ。さあ、願いを言うがよい」

 魔王は力を振りしぼって、勇者に呼びかけた。


 こつこつと足音を立て、勇者が近づいてくる。

 先ほどまで、一振りで山ひとつを破壊するほどの剣圧を放っていた勇者は、こうして見ると、その力に対して驚くほど小さい。標準的な人間ほどしかなく、膝を屈した魔王も、わずかに顔を上げればその顔を見ることが出来た。そういえば魔王が、勇者とこのような形で、お互いの顔が見える距離で見つめあうのは、これが初めてだった。

 わずかにくせのある、茶色がかった金髪。極めて平凡な人間の顔だった。そして、子ども――人間のひなのような、透きとおったくもりなきひとみをしている。


 魔王は、たちまち不快になった。


 光の体現たいげん。正義の代行者。自分が正しいと信じて疑わず、悩みも悲観もせず、ひたすら前向きな者だけが持つ顔だ。

 同時に絶望する。こいつは絶対、私利私欲で願いなどしないだろう。


「――僕は願うよ。争いのない、平和な世界を」


 勇者は、静かな微笑ほほえみを浮かべ、つぶやくように言った。


「これでようやく、戦いが終わる」

「……争いのない、平和な世界……だと?」


 魔王は不快でたまらなかった。そんな理想論、どんな頭から出てくるのか。正常な思考からはおよそ思いつくはずがない。平和とは圧倒的な武力によって成し遂げられるものであり、争いを収めるためには、無数の血を流す、途方もない代償だいしょうが必要なのだ。


 思わず呪詛じゅそを吐く。


「ならば……その“平和”のために『魔族をこの世から消え去ること』を望むか。……魔の者が消えても、別のものが争いを生む。戦乱は、繰り返されるだろう……」

「えっ。そうなの?」


 その言葉に、勇者は目をしばたたかせた。まっすぐな素直な瞳で尋ね返す。


「じゃあ、きみはどんな願いを叶えるつもりだったの?」


「魔の者たちが……しいたげられず生きていける世界だ」


 魔王は顔が熱くなるのを感じた。

 冷静沈着を常とし、決して感情をあらわにすることのなかった自分が、なぜこんなに心を乱しているのか。魔将の誰にも明かしたことのない、自分の本音。よりによって、最大の宿敵である勇者に、私は何を言ってるのだろう。いつものように謀略を巡らせ甘言かんげんろうするべきではないのか。いやそれより、私の願いこそ、とんだ理想論なのかもしれない。こいつは笑うだろうか。いや、そんなことを考えている場合ではない。最大の敵に手の内を明かすようなことをするなど……。


「へえっ。なるほど」

 勇者はにっこり笑った。魔王が恐れたのとは違う、屈託くったくのない笑顔。

「じゃあ、それも一緒に叶えよう!」


「えっ?」


 勇者は《願いの宝珠》に向きなおった。迷いなき声で宣言する。


「僕は願う。この世界から戦乱がなくなり、人間も魔物も理由なく差別されることなく生きていける世界。――それを僕は望む!」


 ――心得た。


 声が響く。宝珠が反応し――光と闇を同時に放った。

 それは魔王と勇者を包み、そして、たちまちの内に世界全てを包みこんだ。



 こうして――世界は《改変》され……


 

 戦乱もなく、

 人間も魔物も理由なく差別されることのない――

 

 そんな世界が、生まれた。

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