第277話 劫末型


 ドクン。


 と、鼓動が高鳴る。


 ゾワ。


 と、身体中の毛穴が開く。


 ゴソ。


 と、身体の内側から魔力が全て抜け出たのがわかる。


 ゴクリ。


 と、僕から抜け出た魔力が周囲の外部魔力を吸収した。


 僕の外側に、魔力の渦が出来上がる。


 まるで、一つの特異点。


 僕の中身の魔力はすっからかんだが、外側に放たれた魔力の束が周囲に存在する自然の魔力を際限なく吸収していく。


 今さらになって、吹き飛ばされた右腕の付け根が金切り声のような痛みを告げる。


 止血のためのミリアの氷が魔力を失ったことで溶け始め、そこから血が滲み出す。


「シャルル殿、これは……」


 隣に立つモノロイからも、魔力を吸収している。


 自分の体内魔力と外部から吸収した魔力が僕の周りで混ざり合ってひとつになろうとしている。


 魔力が枯渇した身体が重い。


 それなのに、自分自身は魔力の奔流の真ん中にいる。


 巨大な渦潮の中に魂だけで存在しているような、不思議な感覚。


 しかし、そんなことはどうでも良かった。


 抑えようのない怒りの衝動が、鼓動と共に胸の内側をノックするのだ。


 僕は憤怒の脈動を抑えながらモノロイに告げる。


「辛いなら……退いてもいいぞ」


 モノロイはそれを鼻で笑って答える。


朋友ともの隣に立てなくなったら、それはもう我ではござらんよ。我はモノロイ。モノロイ・セードルフ。魔王シャルル・グリムリープの盾にありますれば」


 怒りとは別の感情が、僕の心を暖かくする。


「あ……ア……アイ……あ」


 魔物は不気味な声を漏らしている。


「アイアイアイアイ五月蝿えよ、お猿さんか? てめーは?」


 僕は吐き捨てて、魔物へ向かって疾走した。


 フーブランシュから伸びた巨大な黒い稲妻の剣が、魔物の喉元を捉える。


 バリン。


 と、空気を鳴動させながら振り抜かれたそれはいとも簡単な魔物の首を撥ね飛ばした。


 至福の暴魔トリガーハッピーで引き上げられた魔法の威力に驚く。


 フーブランシュを介した至福の暴魔トリガーハッピー劫末型ドゥームモードは周囲の魔力を無差別に吸収し、魔法の威力を上げているらしい。


 頭部を失った魔物は後ろに仰け反りながら、再生したばかりの右手を槍のように変形させて僕の腹部を貫こうとする。


 それを僕は身体を半転させながらギリギリで躱し、逆に魔物の伸ばした腕を切り裂く。


 魔物の右手も河に落ちたが、魔物の身体で僕からは死角になる左手が槌のような形状に変わっていた。


 それと同時に、再生を始めた魔物の頭部。


 振り抜かれた魔物の左手。


 僕の顔面に迫る真っ赤な槌。


 僕は回避行動を取らない。


 ……避けられないのは、解っている。


 だから僕は、まるで沈黙は銀サイレンスシルバーで呪文を起動するかのように、ただこう思う。



 ──どうにかしろ。



 同時に、僕と魔物の間に入ったモノロイがその巨体で魔物の槌を受け止めた。


 そして僕はモノロイの背後から、彼の頬ギリギリのラインに雷刃グローザを伸ばして魔物を貫く。


 魔物の腹部に雷の刃が突き刺さると同時に、魔物に魔力を通して雷刃グローザの威力を上げる。


 魔物の腹から黒い稲妻が迸り風穴が空く。


 すかさずモノロイの魔力を込めた鉄拳が再生を終えたばかりの魔物の顔面を捉えて吹き飛ばした。


「……終わりなわけねーよな」


 僕の呟きに答えるように、魔物の千切れた腕や頭部がヒルのようにうねりながら本体に吸収され、また再生して起き上がった。


「厄介な……、無限に再生するのでござろうか……?」


 そう言いながら、モノロイは額の汗を拭う。


「この世界に無限なんてもんはほとんど存在しねーよ。それに、『無限に再生する』なんて万物の理をひっくり返したような能力を持ってるなら、なんでコイツが今まで北方に攻めて来な……い……?」


 そこまで言って、僕は自分の思考に何か引っかかりを覚えた。


 この魔物の登場と奇襲は、僕たちからニコというエース級の強者の無力化に成功した。


 イズリー、ギレン、ライカを束にしても勝てなかったことを見るに、この魔物は最強に近い能力と強さを持っている。


 コイツらの大群が北方を襲えば、人類は本格的に絶滅するだろう。


 何故、そうしないのか?


 仮説として最も有力なのは、その個体数が少ないからだ。


 強い魔物は数が少ない。


 ゴキブリみたいな雑魚の魔物、コッカーは腐るほどいるし、オークやホーンベアなんかもコッカーほどではないが数が多い。逆にエンシェントのような強すぎる魔物は北方に一体しかいなかった。


 無限の再生力なんていう、『センスが枯れたアマチュア作家がネタ切れの末に断腸の思いで投入するようなバカタレすぎる性能』を持った魔物は間違いなくユニークな個体だ。


 そんな化け物を大量生産できるわけがないし、できるなら人類は魔王誕生以来、五百年も存続できているわけがない。


 そんな、南方の魔王にとって虎の子の戦力が満を持して今、奇襲を成功させた。


 それが『今』なのが問題なんだ。


 人類側にニコほどの強者がこれまで存在しただろうか?


 彼女は知力も武力もぶっちぎりの人類ナンバーワンの上に、魔物特効を持っている。


 人類の中に正面切って魔王を刺せる者がいるとしたら、ニコしかいない。


 魔物は僕を狙っていたようだが、ニコ自身が狙われていたら彼女は回避できただろう。


 彼女に不意打ちなど通用しないからだ。


 魔王は僕ではなくニコを狙い撃ちにした可能性が高い。


 これはつまり、歴とした作戦。


 偶然が重なった会心の一撃だったことも考えられるが、そうでなかった時、可能性として考えられるもの……。


 スペードのエースをこちらの数ある手札からピンポイントで狙い撃ちに……。


 こちらの戦力の把握……?


 監視されていた……?


 だとすれば、どうやって……?


 僕はかつて王国領ナソンの防衛戦でデュラハンに魔力を通して奴と対峙した時のことを思い出す──



 

 ──同時に、魔物は薔薇の蕾のような頭部に魔力を充填させた。


「来るぞ!」


 モノロイは飛び退く。


 ──沈痛の彼岸ペインディスティネーション


 魔物から圧縮された魔力がレーザービームのように放たれ、一直線にこちらへ向かってくる。


 空気が嫌な音を立てながら震え、河の水は逆巻く。


 一瞬と呼ぶにはあまりにも短い刹那だったが、僕の魔法の起動も間に合った。


 僕の眼前に黒い球体が現れ、魔物の頭部から放たれた魔法とぶつかる。


 沈痛の彼岸ペインディスティネーションは超極小のブラックホールを生み出す闇魔法だが、魔物から放たれた濃密な魔力を魔塞シタデル魔城フォートレスで受けるよりは勝算が高いと思ったからだ。


 魔物の渾身の魔法は、沈痛の彼岸ペインディスティネーションとぶつかり虚空の彼方に飛ばされる。


 すぐさま沈痛の彼岸ペインディスティネーションの起動を停止して魔物に向き直る。


 あの威力の魔法を連続で撃たれたら不味いからだ。


 幸い、魔物は今の攻撃を連続で撃つことはしなかった。


 沈痛の彼岸ペインディスティネーションは使う魔力も膨大だ。


 そう易々と連続では撃てない、と思ったが、全く魔力を消費した気がしないことに気付く。


 至福の暴魔トリガーハッピーの権能だろうか?


 確かに、そもそも今の僕自体はほぼ魔力切れの状態なのだ。


 それがポンと強大な闇魔法を放てたということは、それこそ至福の暴魔トリガーハッピー 劫末型ドゥームモードの権能なのだろう。


「タメが必要な大技を、駆け引きなしに当てようなんて虫が良すぎだろ」


 魔物が聞いているとも思えないが、僕はそんな憎まれ口を叩く。


 モノロイは僕の背後で「どうにかあの身体を削ぎ落とさねば……」なんて呟く。


「だが相手は人型、小さくて素早いときてる。こっちも大技は当たらないと見ていい。モノロイは防御に回れ、至福の暴魔トリガーハッピーが起動してるうちはお前も辛いだろう」


 現に、僕の至福の暴魔トリガーハッピーは今も周囲の魔力を無差別に吸収し続けている。


「なんの、魔力が足りなくなれば補うだけであるよ。それこそ、魔物を喰らってでも……」


 そこまで言って、モノロイはポンと手を叩く。


「なんぞ、こんな簡単なことに気付かなかったとは! シャルル殿、あの魔物、喰えば良い!」


 ジュルリと。


 僕の隣に立つ色黒スキンヘッドのマッチョから、舌舐めずりをする音が聞こえた。

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